2015年 07月 11日
「自分」というのは。
以前にも、自分だけのかなしみではない、
太古の昔から続いてきたかなしみ、
茫漠たるかなしみのようなものを感じたことがあったから、
今日の話は、結構腑に落ちた。
それがそうであるにせよ、そうでないにせよ、
「自分」というのは、なんとまあ広いものかと思う。
かこっているつもりでも、篭城しているつもりでも、
隠れているつもりでも、たくさんの人のかなしみや、
よろこびと、つながっている。そう考えていくと、
よい意味で「どうせ自分、されど自分」と、感じられる。
肩の力が抜け、そして、それと同時に襟を正したくなる。
自分というのは、ひとりであり、またひとりではない。
小さくもあり、また大きくもある。
自由であり、不自由でもある。
限りがあり、また無限でもある。
そこには責任と選択があり、そしてまた天意がある。
太古の昔から続いてきたかなしみ、
茫漠たるかなしみのようなものを感じたことがあったから、
今日の話は、結構腑に落ちた。
それがそうであるにせよ、そうでないにせよ、
「自分」というのは、なんとまあ広いものかと思う。
かこっているつもりでも、篭城しているつもりでも、
隠れているつもりでも、たくさんの人のかなしみや、
よろこびと、つながっている。そう考えていくと、
よい意味で「どうせ自分、されど自分」と、感じられる。
肩の力が抜け、そして、それと同時に襟を正したくなる。
自分というのは、ひとりであり、またひとりではない。
小さくもあり、また大きくもある。
自由であり、不自由でもある。
限りがあり、また無限でもある。
そこには責任と選択があり、そしてまた天意がある。
by sachiolin
| 2015-07-11 01:41
| 思〇