2015年 04月 10日
カラン
今日はたくさん歩いた。
トンネルには虹があって、
ぼぅっと光っていた。
今日はとてもよい日だったなぁ。
たくさんのことに気づいた。
頭のなかでものごとが散らかっていく
前の感じとは違い、漫画の吹き出しの
ように、考えたことが、考える度に
フッと自分から切り離されて、
プカプカ浮いて風に乗っていった。
サヨウナラ。ヨキタビヲ。
無になれる瞬間が何度もあった。
子どものときはこんな感じだったのかも。
無といっても、空虚でも孤独でもないのだ。
カランとした、よい音がする。
子どもたちというのは、
たくさん遊んでも、
帰るときになると、
もうそれぞれの帰り道へ
そそくさと行く。
あの後腐れのなさというのは
あっぱれだなーと思いながら、
友人の子どもたちを眺めていた。
さっぱりとしていて、
よい音がしている。
カラン。
今日の言葉✳︎
それ観というものは、無観をもって正観とする。 多くの観あるものを邪観とするのである。先にそなたは多観のために
この重症になった。今これを救うのに無観をもってするのが一番よいのではないか。 そなたがもし、心の炎、意の火という心火上昇を収めて、丹田足心の間においたならば、胸の中は自然に清涼となり、ああでもないこうでもないと思いめぐらすことが一点もなくなり、分別意識や心情の波は一滴もなくなるであろう。
これが観音経にいう「真観清浄観」である。
白隠禅師
by sachiolin
| 2015-04-10 00:51