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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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時◎ 武満徹

十一月も半ばを越すと、いまこれを書いている信州の仕事場では終日ストーヴを焚きつづけているのに、それでも朝夕の冷気はかなり厳しいものに感じられる。空はどこまでも蒼く、唐松の葉が雨のように降りしきっている。昔、感心して読んだ、オーストラリアの少女の、俳句のよつな、短詩を憶い出す。
時間は生命の木の葉、 そして、私はその園丁だ。 時間は、緩っくりと、落ちていく。
下手な訳だが、大意はおよそこんなものだった。十一歳の少女が書いたとは思えない、なにか哲学のようなものが感じられる。この少女は、オーストラリアでも、都会ではない、自然の変化に恵まれた、たぶん、地の涯(はて)が見通せるような環境に住んでいるのではないだろうか。 落葉の様子(さま)を観察しても、この少女と私では、当然、その感慨は異なる。五十を過ぎ、はや六十に掌の届こうという人間にとって、落葉降りしきる光景は、充実した生を予感させもするが、同時に、避けようもない死が、次第に、その貌を現わしているようにも感じられる。 近頃になって、友人や知己の訃報に接することが多くなった。私には、あと、どれほどの時間が残されているだろう?いまや限られた時間のなかで、私がしなければならない仕事は、どんなものだろう? たぶん、正直に、希むところを生きれば、解答(こたえ)は、私が見出すまでもなく、彼方(むこう)からやってくるだろう。私は、死の優しさを、信じている。 私もまた時間(とき)の園丁だ。
無限の時間に連らなるような、音楽の庭をひとつだけ造りたい。自然には充分の敬意をはらって、しかも、謎と暗喩に充ちた、時間の庭園を築く。だがこれは、あるいは、不遜な野望かもしれない。それにまた、それが可能だという保証もない。一枚一枚の生命の木の葉を掻き集めて、火を点す。それは祈りのようなものだ。内面に燃焼する焰が、この宇宙の偉大な仕組みを、瞬時でも、映しだしてくれたらいい。だがそれには、私はこれまでしてきた努力では、未だ到底不足だろう。落葉の安らぎを覚えながら、反面、抑えようもない苛立ちが私をとらえる。
庭の片隅の小さな菜園に、蕪が、まるい白い肌をころころと無心に晒している。間もなく霜が降り、水道の水も凍る。時が経って、鳥たちが再た戻ってくる頃までには、いまの仕事を了えなければならない。 時間は、緩っくりと、落ちていく。


武満徹 「遠い呼び声の彼方へ」
by sachiolin | 2013-07-02 01:22 | 時◎