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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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読◇ みうらじゅん「マイ仏教」

みうらじゅんさんの「マイ仏教」すいすいっと読み終わった。
面白かった。この方は、ことばの掴み具合が絶妙。

言葉というのは、うなぎのようなものなのだなあと
みうらじゅんさんの言葉を読みながら感じた。
すいすいと泳ぐ、ことばうなぎを、みうらさんは、
ひょいひょいっと、見事に掴んでいくようなのだ。
川端康成は、ことばそのものが、川の流れのようで、
それもまた好き。よしもとばななさんは、川底に
静かにたゆたっている石や、海底のわかめのよう。
三島由紀夫は、川面に散りばめられた金箔のよう。

どれも違って、どれも好き。

みうらじゅんさんのことばの持つ空間は、
軽快でアソビがあるのだけど、それが、単なる
軽さ=軽々しさにはなっていない。バランスが絶妙なのだ。
青春時代の葛藤や、その後のさまざまな話などを読みながら、
根がまじめな方なんだろうなと思った。志村けんさんもそうだが、
根がまじめな人こそ、本当の笑いを掴むのだと思う。

もっとも、みうらじゅんさんは、喜劇役者でもないし、
笑いを狙っているわけでもないのだろうけれど、
まじめさと、おかしさの、やじろべいが絶妙。
辛酸なめ子さん(←最近、マイブームの、憧れの人)
の独特のユーモアや笑いに通じている。


いやいや、今回の本は、仏教の話であって、
笑いの本ではないのだけれど、笑いとは何か?も考えさせられた。
多分、きっと悟りを開いた人が、朗らかで清らかで温かで、
風通しがいい感じなのも(←釈尊妄想)、そこには、
アソビ=余白があるからで、悟りと笑いは、
どこか通じるものがある気がしたからかもしれない。
笑うって、純粋にすごくステキなことで、
人生そのものかもしれない。(←大きく括りすぎ)
動物は笑わない、笑いは人間の特権というのは、
昔から、マイブーム、マイテーマである。
(昔からブームだったら、ブームではないか。。)


「自分探しではなく、自分なくし(=諸法無我)」

「憧れ/リスペクトする人を、どうしても
真似しきれなかった余りの部分が、コンプレックスであり
自分であり、個性である」

「比較三原則;他人と親と過去と自分を比較してはならない」

「文化は欲望から生まれる」

「ホビー教」

「ご機嫌とり」

「後ろメタファー」

「不安タスティック!」

「そこがいいんじゃない!」


などなど、一言一言が、いちいち面白くて深い。
コンプレックスが何かとということと、自分の今の立ち位置が
どこらへんかというのが、ちょっと分かった気がする。


読み終わったあとに、妙にさわやかな気持ちになった本だった。
これは読む前には、全く想像していなかったことだったのだが、
「そこがいいんじゃない!」とみうらじゅんさんに、突っ込まれた気がした。 


人生はオセロゲームのようだなあと考えていたことがある。
黒優勢の盤を、最後の最後で、隅に白を置いて、
パラパラと反転できるかどうか。みうらじゅんさんの
「そこがいいんじゃない!」は、最後の最後で置く「白」
なんだろうなあと思った。


「ブッダのことば」を読んだとき、
私は、「悟りたくないナ」と思った。
愛する家族を捨ててまで、悟るってどうなの、
ブッダ、それってどうなのよ、と思った。
でも今回この本を読んで、ちょっと腑に落ちた。

「誰も真剣に考えなかったこと、
誰も疑問に思っていなかったことを
考えに考え抜き、考え続けたのが釈尊だった」
「四苦八苦のひとつに、愛別離苦を加えているのが
証拠であり、釈迦の後ろメタファーを感じる」



私は悟りに出たりはしないと思うけれども、
生きていることが、毎日が修行だというのが
分かったので、苦しみながら楽しみたいと思う。

死ぬときに、
「まあ、いろいろあったけれど、いい人生だったじゃない!」
と言えたらいいな。 

だから、寝るときに
「まあ、いろいろあったけれど、いい一日だったじゃない!」
と言っていこう。


こんな自分だからこそ。
こんな毎日だからこそ。
こんな世の中だからこそ。




今日の言葉*

「そこがいいんじゃない!」

(みうらじゅん)
by sachiolin | 2011-06-18 04:09 | 読◇non-Fiktion