2010年 09月 02日
再考○イメージとファンタジー
昔「カール爺さんの空飛ぶ家」を
観たときに考えたことを、反芻。
○○○再考○○○○○○○
現実にあることと、ないことを、うまく混ぜて作り上げているから、リアルに感じつつ、ファンタジーの世界を楽しめる。見ている方は、「自分の感覚」に全くないものは、イメージができない。ファンタジーだけだと、そこで括られてしまう。それもいいけど、それは真のエンターテイメントではない気がする
楽しむということは、「ありそでなさそで」という感覚があるからこそ、
そのリアルとバーチャルの間に自分を置くことができ、
意識と無意識の間で、楽しめるのだと思う。
つまり、蝿とか、鳥とか、犬とかが、映画を作ったとしたら、
私たち人間は、まったく意味が分からないということが
あり得るのじゃないかってことだ。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
観たときに考えたことを、反芻。
○○○再考○○○○○○○
現実にあることと、ないことを、うまく混ぜて作り上げているから、リアルに感じつつ、ファンタジーの世界を楽しめる。見ている方は、「自分の感覚」に全くないものは、イメージができない。ファンタジーだけだと、そこで括られてしまう。それもいいけど、それは真のエンターテイメントではない気がする
楽しむということは、「ありそでなさそで」という感覚があるからこそ、
そのリアルとバーチャルの間に自分を置くことができ、
意識と無意識の間で、楽しめるのだと思う。
つまり、蝿とか、鳥とか、犬とかが、映画を作ったとしたら、
私たち人間は、まったく意味が分からないということが
あり得るのじゃないかってことだ。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
by sachiolin
| 2010-09-02 11:30
| 考〇