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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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:: 高橋源一郎 「教わる」

高橋源一郎さんの「午前0時からの小説ラジオ」より。

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「学生たちに教わる、子どもたちに育てられる、自分の作品の読者になる」

1・いま、話題の、マイケル・サンデルの『これから「正義」の話をしよう』を読んでいます。面白いですね、いろいろ。でも、今日は、サンデルの話じゃなく、サンデルが引用しているミルの言葉から。

2…ミルの言葉はこういうものです。「人間の能力は、知覚、判断力、識別感覚、知的活動、さらには道徳的な評価さえも、何かを選ぶことによってのみ発揮される。何事もそれが習慣だからという理由で行なう人は、何も選ばない。最善のものを識別することにも、希求することにも習熟しない…」

3…「…知性や特性は、筋力と同じで、使うことによってしか鍛えられない……世間や身近な人びとに自分の人生の計画を選んだもらう者は、猿のような物真似の能力があれば、それ以上の能力は必要ない。自分の計画をみずから選ぶ者は、あらゆる能力を駆使する」。うん、その通り!

4…ミルの言葉の中心は、「知性や特性は、筋力と同じで、使うことによってしか鍛えられない」というところにあると思います。そして、ミルのこの考えは、ミルが学校教育ではなく、ミルの父親によるある種の天才教育を受けたことによって生まれたのではないか、とぼくは考えています。

5…ぼくが大学で教えるようになって6年目です。いつも思うのは、1年生として入ってくる若者たちの頭の固さです。もう常識でがちがちに固められている。気の毒なぐらい。だから、最初のうち、ぼくが学生たちにするのは、ある種の整体、精神的なマッサージです。他にはなにもしません。

6…学生たちが講義の最初に訊きます。「出席はとりますか? どのくらい欠席すると落ちますか? 評価の基準は?」。で、ぼくは「なにも決まってません」といいます。学生諸君は不安そうな顔つきになる。ぼくは心の中で「ごめんね」といいます。でも、一回、不安にならなきゃなりません。

7…授業が始まる。窓の外は抜けるように青い空。で、外を眺めてから、ひとこと。「あのね。ずっと欠席してない人、たくさんいるよね。向学心旺盛ですごくいいけど、人生、勉強ばかりじゃありません。たとえば、どうしても、恋人と離れがたいとか、そういう日は断固して、そっちを優先!」

8…それがどんなものであれ、なにかを教えたり、教わったりするには、「自分の人生の計画をみずから選ぶ」ことができる必要があるのです。やがて、学生諸君は、徐々に「自分で選ぶ」ことができるようになる。それは聞くべきことなのか。自分はなにを知りたいのか。なにを知らないのか。

9…ひとたび常識を離れることを知った学生たちは、たくさんのことをぼくに教えてくれるようになります。ぼくが「教える」のじゃありません。ぼくが「教わる」ようになるのです。ぼくは大学で「教える」ようになって、教育というものが実は小説(文学)とよく似ていることに気づいたのです。

10…そのもっとも素晴らしい例が「ゾーン」体験です。ぼくと学生たちが、教室で一つの小説について論じています。集団である作品について論じる時、ひとりで読む時とは異なったことが起こることは知っていました。たとえば文学賞の選考会です。いい選考会のいい選考委員の態度はいつも同じ







11…「この作品については自分でもよくわからないところがあります。今日はみなさんの話を聞いて考えたいです」、これです。これは、決して無責任な態度ではありません。全身全霊で読んでなお、未解決の部分がいくつもある。これは、ある意味で、優れた作品の特徴でもあります。

12…そのような真摯な態度の選考委員たちが討議をしていくと、不思議なことが起こります。まず、ひとりでは思いもつかなかった考えが生まれ、やがてその考えがまるで自分が考えたかのように強い確信を持って、自分の中で生きるようになる。ぼくはそれを「ゾーンに入る」と呼んでいます。

13…授業中に「ゾーン」に入ることがあるのです。面白い小説の面白い部分、あるいは謎めいた部分について、考えつづけている。誰があることをいう。それは鋭い。別の誰かが、その意見、さらに飛躍させるような意見をいう。みんながうなる。すると、また別のところから。すべては即興です。

14…そんな授業が終わると、生徒たちは、すっかり興奮して「先生、なんかすごかったね」とか「先生、90分でこんなに真剣に考えたのは生まれて始めて」とか「どうしよう、ふつうに生きていけない」とかいいます。みんな、ぼくが「教えた」のではなく、全員で作り上げた「ゾーン」のせい。

15…「言語表現法講義」という授業(『13日間で「名文」を書けるようになる方法』というタイトルで本にしました)で、こんなことがありました。その時は「ラブレター」を書かせる授業でした。書かせたものは、本人に読ませます。ぼくは、ぼくのゼミの学生ふたりに読ませました。

16…その時、ぼくは、長く付き合ったふたりが、数日前に修羅場の果てに別れた直後だということは知りませんでした! ふたりが読んだ「ラブレター」は、すさまじい愛の葛藤の実況報告でした。教室は一瞬凍りつき、重苦しい雰囲気に包まれ、それから、突然、「ゾーン」に入ったのです。

17…学生たちは感想を言い合い、自分の体験を語り、そして、言葉によるコミュニケーションの持つ本質的な無力さと、それにも関わらず、言葉しかコミュニケーションの手段がない人間の存在について語りました。きわめて深く。しかも、ぼくは、ほとんど一言もしゃべる必要がなかったのです。

18…「ゾーン」では何が起こっているのでしょう。おそらく、二つのことが起こっています。一つは、その中にいる者はひたすら「耳を澄ませて聞こうとしている」のです。もちろん、それは「考えている」と言い換えてもかまいません。でも、ぼくは「耳を澄ませて聞く」の方が近いと思うのです

19…もう一つは「『私』が薄くなっている」ということです。「耳を澄ます」を、別の言い方にしたといってもいいかもしれません。ふだん、我々は「自分」を主張します。「自分の意見」を聞いてもらいたがる。でも、それでは「ゾーン」に、というか「集合知」にたどり着くことはできません。

20…では、「ゾーン」は特殊な体験でしょうか。いや、そんなことはありません。作家は、小説を書く時、物語を考えたり、描写をどうしようと考えたりばかりしているわけじゃありません。自分の作品の中で、静かに「耳を澄まし」、そこで何が起ころうとしているのか探っているのです。

21…自分でも知らない場所、未知の経験にたどり着くことこそ、「知性や特性」の目標ではないでしょうか。そして、そのためには「筋力」を鍛えるように、訓練をしなきゃならない。もちろん、ひとりでできる訓練もあります。密かに、知性を鍛えるのです。しかし、それだけでは足りないのです

22…それは、個人が集団の中に解消する、ことを意味するわけではありません。しかし、「教える」「教わる」の中には、我々をさらに遠くへ導くことのできる力が、通常知られているものとは異なった能力がある、とぼくは思っています。

23…それは、通日前ツイートしたように、「政治的アクション」の原則に「自分の意見を変える」というものを入れたことにも繋がっています。我々には多くの能力があります。そして、それは、常識によって、使われないままになっているだけなのです。今日はここまで。ご静聴ありがとう。
by sachiolin | 2010-06-09 08:24 | 引用::