人気ブログランキング | 話題のタグを見る

sachiolin.exblog.jp

わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

最後のコンサート。

おとといは、シンフォニーコンサートだった。
月に一度、暗闇の穴倉(オケピット)から
抜け出て、舞台の上で、皆で光を浴びる。笑。

私にとって、最後のシンフォニーコンサートだった。
曲目は、マーラーの交響曲の7番。







正直なところ、私はこの曲が
あまり好きになれずにいたし、
正直なところ、ラストだからといって、
そこまで感慨深くなってもいなく、
いたって、平常心で、椅子に座った。


ところが、弾いていて、ある瞬間、
ふと、泣きそうになってしまった。
自分で自分にびっくりした。
まだ曲の始めの方だったので、
いかんいかんと、こらえた。

じわりじわりと涙が出てくるのではなく、
あまりにそれは突然で、そして予想外だった。
弾き続けなくてよいのなら、多分私は、
その場で、長いこと、泣いていただろう。


あれは、音楽の力、だったのかもしれない。
音楽が、閉まっていた心の引き出しを開けてしまった。

私は、あの瞬間、弾きながら、
ここで、この人たちに育まれたと、
強烈に、そしてやさしく感じた。



本番は、とてもうまくいった、と思う。

個人的にも、ベストの状態だった。
内なるマグマは燃えつつ、
外からは冷風が吹いていた。
理性と感情のバランスがよかった。
体と心のバランスがよかった。
オーケストラでは、たとえコンマスの席に
座ろうとも一度も変な緊張をしたことがない。
あの感覚を、ソロのときも持てたならよいのに。

オーケストラは、何十人という人間が
集まって、成り立っている「楽器」である。
ひとりひとりの奏者から、音の粒が
湯煙のように立ちあがって、上の方で
まざりあい、ゆっくりと降りてきて、循環する。
その音のシャワーを浴び続けながら、
新しい音をどんどんと立ちあげていく、
その時間は、その感覚は、とても言葉で表し切れない。


それぞれの楽器を鳴らし、
それぞれの身体を鳴らし、
ひとつの大きな「楽器」が出来あがり、
最終的にホールという「楽器」を満たしながら、
聞く人々を巻き込みながら、音のお風呂は、
温められ、ぐるぐると、循環し続ける。

なんて、贅沢なんだろう、と思う。

こんなに沢山の人間が関わって
作り上げていく「音」だけの世界。


心が満たされていく。浄化されていく。



最後の演奏会を逃すまじとばかりに、
大好きなふたりが、聴きに来てくれた。

「感動した~~~!!」と言って、
目をキラキラさせて私に近づいてきてくれて、
私も目がキラキラした。客席にいるふたりは、
やわらかく、華やかなオーラに包まれていて、
流石だわと思った。ふたりは、ダンサーなのだ。


少しずつ仲良くなっていった、ふたり。
10代で親元を離れ、ひとり海外生活を送り、
社会人歴ももう長い。厳しい世界で生き抜き、
舞台の上で舞うふたりを、とても尊敬している。

ふたりに出会えたことを、幸せに思う。
ふたりとお別れかと思うと、かなしくなる。

もっと沢山の時を、沢山のことを、
ここで、このふたりと分かち合えたら、
どんなに素敵だったろう。

おふたりさん、私の前に
現れてくれてどうもありがとう。


そろそろ、いろいろ、おしまいが見えてきた。
この金ピカのホールで弾くこともなくなった。

最後のコンサート。_c0110074_948297.jpg















最後のコンサート。_c0110074_9494026.jpg





















今日の言葉*

「魂は全体として魂なきものの全体を配慮し、
時のよりところによって姿を変えながら、
宇宙をくまなくめぐり歩く。その場合、
翼のそろった完全な魂は、天空高く駆け上って、
あまねく宇宙の秩序を支配するけれども、しかし、
翼を失うときは、何らかの固体にぶつかるまで下に落ち、
土の要素から成る肉体をつかまえて、その固体に住みつく。
つかまえられた肉体は、そこに宿った魂の力のために、
自分で自分を動かすようにみえるので、この魂と肉体とが
結合した全体は「生けるもの」と呼ばれ、そしてそれに
「死すべき」という名が冠せられることになったのである」

(プラトン「パイドロス」より)
by sachiolin | 2010-06-05 10:01