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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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日常ブロック・2

今日も一日終りました。

今日は何だか自分に少しくじけました。
今ちょっとがんばってみているだけに、くじけもするのかも。
全てが無駄だったんじゃないかとふと思うことがある。
そういうときは泣きたくなるし、呆然として立ち止まる。 
でもどんなことも、案外全てが人生の糧になったりするから、驚きだ。

人生は味わい深い。

どんなときも、明日がくるってことさ。
そうそう。そうなのです。
明日がくるのです。どんなときも。


日常に非常なる無常を感じる。
日常ブロック、二個目、無駄に更新。



今日は久しぶりに、あぁ本当に久しぶりに気持ち良く晴れた。太陽と青空!嬉しくて近くの公園までいつもの雪靴を履いて散歩にいった。きしっきしっきしっ。新雪のいい音がする。「危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となる」というけど自然の中を歩いてみないとそれが実感として湧かないものだ

整備されている町に暮らしていると、道はいつでもどこでも自分の歩いていく目の前に確実に続いている。自然の中には、本当に道がない。歩いた分だけ道になる。真っ白になめらかに積もった雪の平原を、きしっきしっと音を立てて歩きながら、気持がすーっとリフレッシュされた。

散歩の後、1.5㍑の水、6本セットを近くにキオスクに買いに行った。6本で2.5ユーロと破格。1本だけ買うと高いのでまとめ買い。10キロ近い荷物をえっちらおっちら家まで運ぶ。全身の感覚を総動員して、運ぶ。体を使って、働くこと。動くこと。労働すること。考えてばかりはだめだなーほんと。

昨晩いつものように仕事場に歩いているとき、ふと夜空に浮かぶ大きな月を発見した。やけに大きかった。やけに妖しく光っていた。じっと見ていると吸い込まれそうであった。あの光も太陽の光が反射しているのだよなぁと思うと不思議な気持ちになった。月、地球のわたし、太陽。真黒な宇宙。

ぬくぬくと家で過ごしたいと思う日。重い腰を上げて職場に向かう。パパとママに手を引かれておしゃれをしてわくわくしながら劇場に向かう子供、仲良く手をつないで寄り添いながら劇場に向かう老夫婦、一人で杖をつきながら一歩一歩劇場に向かうおばあさま。あぁ今日も楽しく弾かねばと思う瞬間。 自分にとっては、毎日の出来事であっても、お客様にとっては、特別な日、特別な時間なのだ

今晩はマイフェアレディだった。娘を売ろうするイライザのお父ちゃんは「あなたにはモラルってものがないのか?」と言われるが「ない。」と言い切る。「アンタだってきっとないさ。おいらのように貧しくて生きていくのが精いっぱいだったらな!」心に残るシーン。 「衣食足りて礼節を知る」

あぁ今日も雪。よく降るなぁ。

午前中は子供のための演奏会だった。子供たちのエネルギーにただただ圧倒された。子供ってすごいわ・・・。自分もああだったのか。 司会進行役の人がとてもよかった。曲分析も、分かりやすかった。内容が易し過ぎても難し過ぎても子供は飽きる。ほんの少しの難しさが大切。皆よく聞いていた。

子供がもともと大好きというのもあるけど、日本に帰ったら、漠然とだが、なにか子供と関わる仕事をしたいなと今日は改めて思った。学ばなくてはいけないのは寧ろ私たち大人だ。子供からキラキラした瞳。黒く塗りつぶされていない、白い画用紙たち。 


今晩はダンサーの故障で白鳥の湖がキャンセル。違うバレエ作品(オケなし)を公演。タナボタヤスミを活用しようと思っていたのに、ものすごい眠気に襲われてもうどうしようもなく寝てしまった。あぁ気付いたら0時だ。どうしよう。眠れない。。


日本にいる親友と1時間半くらい話した。声を聞いていると、ドイツと日本という距離を全く感じなかった。あぁ…いいもんですなぁ。友達というのは。


毎日毎日寒い。親から、いろんなものをできるだけ着させられ被せられた子供が、よちよちと歩く姿は、めちゃくちゃかわいくて、思わず微笑んでしまう。雪だるまのようだなぁと思って、ショーウィーンドーをふとみたら、そこに映る自分も雪だるまのようだった。かわいくないけど。今日も日が暮れた。あっという間。今日はミュージカルの本番だ。今日もまた雪だるまになって、仕事場に向かう。


この前お気に入りのアフガニスタン料理屋さんに行ったら、アメリカ人4人組がペラペラと話していた。ほんとにペラペラという感じだった。久しぶりに聞くアメリカ英語がやけに耳について気になった。ドイツ語に比べると、音の層が断然薄く高いところにある。ドイツ語は、響きの層が厚い。低音が充実。

日本語はどうなんだろう。よく分からない。言語によってメロディーもリズムもハーモニーも違う。そういう言語を話しているとそういう人間ができあがっていくという気もする。実際ドイツ語を話している自分と日本語を話している自分は違う。内容だけではなく音声学的にも言語に支配されるのだと思う。

久しぶりに台所のねじまき時計のねじを、ぎーこぎ―こと巻いてみた。軽快に時を刻む音。よきかな。 今日は自分が嫌いな自分満載の日で無駄に疲れた。自分というやつは、とても面倒くさい生き物だ。でもうまく付き合っていかねばならない。自分は自分から抜けられない。明日はいい一日になりますように
by sachiolin | 2010-02-01 09:05 | 常・