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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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何度聞いても、すばらしい。
息を通してくれるような
風が駆け抜けるような演奏。


今日の言葉*

 誇りを持てない人が多いという話を聞くたびに、私は残念に思います。
 なぜなら、誇りというのは持つとか持たないという類いのものではないからです。誇りとは自尊心と意味づけられます。自尊心はこの世に生かされている感謝の気持ちの裏返しですから、そもそも私たち全員が持っているものです。
 自分がこの世に存在することを両親に感謝し、周囲に感謝し、お天道さまに感謝する、その気持ちの裏返しとして持つもの、それが自尊心のある誇りです。誇りは相対評価の結果として存在するものではありません。

矢作直樹「おかげさまで生きる」
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by sachiolin | 2014-08-11 12:39 | 聴● | Trackback | Comments(0)
僕は基本的には文章を音楽的に書いているような気がします。書いたものをよく声に出して読んで、リズムやソノリティー(音の響き)や音楽的ドライブ(うねりのようなものです)を細かくチェックします。それは僕にとってとても大事な作業です。文章がまず音の流れとして優れていること。僕はこのように文章についての多くを音楽から学びました。
 でももちろんそれだけでは小説にはなりませんので、そこに絵画的な部分を必要に応じて付加していきます。絵画的な文章に関して大事なのは、デッサンの速さと、塗り重ねの綿密さです。この部分は音楽的な部分に比べて、仕上げるのにすごく時間がかかります。作業としてけっこうしんどくもあります。しかしもちろんやりがいはあります。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終り」の方のパートは、どちらかというと絵画的な傾向がより強いような気が自分ではします。
 だから僕が小説を書く場合は、音楽的な方法と、絵画的な方法とをかなり意図的に、有機的に組み合わせている、と言っていいかもしれません。「意図的に」と言いましたが、最初からそうだったわけではありません。僕は長い時間をかけて、このようなものの書き方のシステムを自然に作り上げてきたのです。あなたに質問されて、そういえばわりに意図的にそういうことをやってきたのかもな、とふと思っただけです。意識されない意図というか。ややこしいですね。

村上春樹
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by sachiolin | 2013-09-25 00:20 | 引用:: | Trackback | Comments(0)

観■ オイストラフ



オイストラフのショスタコーヴィチのカデンツァ。

もう何度聞いたか分からないけれど、
何度聞いてもすご過ぎてポカーンとする。

得体の知れないエネルギーの渦の真ん中に
彼は立っていて、周りの何もかもを巻き込んでいく。
心を根こそぎ持っていかれる。


まったく、なんという音だろう。
深くて澄んでいて力強い。
天と地を結ぶようなダイナミックさ。

台風の目。

渦のなかには何もない空間がある。



今日の言葉*


優しさに包まれてする仕事なんて、本当の仕事じゃない。
怒りがあって、はじめて仕事ができるのよ。 

ココ・シャネル
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by sachiolin | 2013-04-10 02:43 | 観■Musik | Trackback | Comments(0)

思○

実直で素直で誠実であること。より他者を思えるようになること。静かで穏やかな水面を、心の奥に携えていること。凛とした響きと、風通しのよさのある器であること。人は楽器。人は物語る。人は声を震わせる。人は心を震わせる。人は音を震わせる。人は音楽を奏でている。



今日の言葉*
「心の速度は光の十七倍ある」
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by sachiolin | 2012-08-02 12:57 | 思〇 | Trackback | Comments(0)

聴● Ebene Qu.

エベーヌカルテットを聞きに銀座に行った。
結成10年を迎えて、まさに、世界を股にかけて
大活躍する現代最高のカルテット。

それはもう、本当に最高だった。感動の嵐。
前半はドビュッシーとブラームス。後半はジャズ。
こんな風に、クラシックとジャズを両方楽しめて
しまうのは、お得だし、嬉しいし、編曲も含めて、
それを可能にしてしまう、彼らの才能と感性に脱帽である。

特にドビュッシーは本当に本当に素晴らしくて、
一瞬たりとも飽きることがなかった。
どの音にも魂があり、息づいていた。

4人共が、心の底から音楽を愛していて、
世界をキラキラと見つめていて、あふれ出てくるものが、
沢山あって、それが目の前で、音になっている、という感じだった。



楽器というのは、道具でしかないのだなあと、あらためて思った。
あらためて、気づかされた。とにかく、音楽があふれていた。

そして、リズム感や、拍感が、抜群だった。
だから緊張感が絶対にとぎれない。
聞くのではなく、聞かされてしまう、あの感じ。
背もたれから背が離れて、気づけばずっと前のめりになっていた。
うまい落語を聞きに行ったときのことを思い出した。
聞くのではなく、聞かされてしまう。思わず聞いてしまう。
あの感じだ。弾き手/話し手が、一番の聞き手になっている証拠。



こんなに命をかけて演奏して、大丈夫かなあ、と
ちょっと心配になってしまうほど、目の前に鮮やかに
できていく音楽は、命そのものだった。

舞台の上で起きていくその光景は、
音に魂、spiritが吹き込まれていく姿であり、
音楽が、そして観客がinspireされていく現象だった。

in-spire

「In」(中へ)+「Spirare」(息吹)





アンコールで、この曲。
you tubeで、何度も聞いていたけど、
生で聞けて、大感動。思わず涙が出ました。
これを聞く度に、愛おしさ、というものを感じずにはおられない。




これも生で聞けた。ものすごい迫力だった。
生きているって感じ・・・!(なんという感想。笑。)









一緒に聞きに行った友人と、
全員男子、しかも全員フランス人っていうのは、
やっぱりすごいね、と、女子であることを
なぜかちょっと口惜しく感じたりして。

あれが、もし女子4人だと、
多分、いや、絶対ああはいかないのである。

あの感じ、あの力強さ、あの野性。
そして、あの色気。よい意味で、
とても色っぽかった。上品な色香が。


あれが、本物の贈りものであり、
本物のエロス
なのだろうなと、また思った。


いつかあんな風に弾けるようになりたい。
何だか、強くそう思った。
決意ではないけれど、そんな風に自分を
鼓舞させる、何かすごい魔力のようなものを受けた。


この日のことを忘れないようにしよう。
分からなくなったら、この日に戻ってこよう。



今日の言葉*

「大切なものは全て余白にある」
(ヴィム・ヴェンダース)
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by sachiolin | 2011-11-04 01:41 | 聴● | Trackback | Comments(0)

空 ( ) 高橋悠治

「音楽はなぜか心をかきみだす。音のうごきは音を追って、ふたたび起こり、音のなかに消えてゆく。どうしてこの無償の、それ自身の軌道の上でそれ自身を追いかけるにすぎない音の戯れ、響きつづけることしか望んでいない音の世界にこちらを向かせようとか、ある意味をもたせ、ある情報を入れこみ、あるいは抽き出し、ある目的のためにそれを使うことができるのだろう。象徴や指標として使われる音のかたちは、文化や時代によってさまざまだったし、社会がもたせた機能が、ことばのように明確に伝わるわけではない。その社会のなかでも、音楽は社会的機能に収まらないあいまいなところがあり、それだからちがう時代やちがう地域でも受け入れられる場合もあり、それがすべて誤解であるとも言えず、音の美しさというものが、音響学的あるいは美学的、哲学的に定義できるような超越的な価値をもつようにもあつかわれてきたが、そのような論議はすでにある音楽についてのものであれば、決定的な根拠をもたないままに、論議が論議をよび、研究の上に研究の研究があるような、音楽学の歴史ができただけだった。

物理学が実験によって証明できるようには、音楽から生まれた音楽論は、そこからふたたび音楽を創る力をもたない。音楽家が音楽をするときに感じていることと、その結果が論じられるときのことば、たとえば楽譜を書きはじめ、書きつづけたときに作曲家をうごかしていた見えない力、神秘的なものを想定しているのではなく、この音の次にこの音を書いていくという決断と選択の連続がどのようにはたらいたかということは、音楽理論や、実際的な条件や制限だけでは語れない、なにか別な作用で、後からの分析ではない、音とそれを音符として書く人間の連携作業のような側面があり、それはできあがった楽譜の分析からは追体験できないのではないか、それを書いた人間でさえ、それを説明することができない、意識にのぼらなかった部分があるのではないか。そうしてみると、作曲という行為は、作曲家だけのものではなく、よびさまされた音の運動との恊働作業と言ったほうがいいのではないか。

おなじことが演奏にも言えるかもしれない。楽譜になった作品の演奏は、演奏者と楽器、その出会いから起こる音の運動、楽譜を書いた過去の作曲家とその時の音、さらにまさにいま、そこにいて演奏をきいているひとたちの存在、それらすべてを含む音楽空間のなかで進行している。

音の自律的な運動はイメージあるいはたとえにすぎない。音がうごいてメロディーになり、メロディーが次々に音を生んでいくということは結果からさかのぼるイメージで、人間の身体運動が自分の声帯を含む楽器から音を引き出すという状況での、技術に還元できない部分をイメージの連続性で覆っているとも言えるだろう。個の身体が音に共感するのは、歴史的な身体と身体の共振、文化的空間のなかでの情感による間接的な撹乱とも言えるし、音をどのように受け取るかは、受け取る側の自律的な認知行為で、ある音に対して一定の行為を誘導する保証も根拠もない。さらに音は全体的な振動現象で、それがはじまり、一つのまとまりをつくるまでが、聞く行為の対象になり、一つ一つの音や、主題や動機と呼ばれる作曲理論上の構成要素が一対一の対応をつくることはありえない。

18世紀から20世紀にいたる近代音楽史は、オーストリア・ドイツ的な構成的音楽観に囚われていた。その上での進歩主義が崩壊したのは、せいぜい1968 年の社会的撹乱をうけて、価値の多様性が再登場した後のことではないだろうか。ミニマリズムは、破片となった構成的統一を最少限すくいあげようとする西洋音楽のあがきとも言える側面をもっていたと同時に、アフリカやアジアの音楽文化の継承してきた身体性を見直すきっかけともなったとも考えられる。経済主義・商業主義に汚染された他文化の私有と知的財産化が問題であるにしても、コロニアリズム的オリエンタリズムとはちがう、ネオコロニアリズム的グローバリゼーションの時代が来た。

身体の復権にともなって、即興性、身振りの引用と転用、コラージュとパロディー、知的論理や認知主義にかわって、内在行動や情感の優位と、分節された構成ではなく、輪郭の循環性による、差異の戯れのなかに姿をあらわす組織の特異性が、すこしずつ音楽のなかに認められるようになった。ゆるやかに変化するもの、軽やかさ、多彩な音色、微妙にゆれうごくリズム、微かな音に耳をすます能力、これらが、まだアカデミックな垢となって新しい音楽の表面に付着している前世紀の技術主義的・構成主義的遺物のなかから、まだほとんど意識されない兆しとなって芽生えているようだ。」


(高橋悠治「掠れ書き(5)」)
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by sachiolin | 2011-06-05 18:19 | 空 ( ) | Trackback(1) | Comments(0)

夢 ///  高橋悠治

「理論からははじまらない 眼に見えるものではなく 手をうごかし 問いかけるうちに 直線ではなく 揺れと襞 ずれる時間 複数のシステム 断片をまとめたり ととのえたりしないで それぞれに裂け目を入れ 断層をのぞかせ 聞こえないものを聴き 手探りで方向を変えながらすすむ

記憶と夢のあいだ というより 思い出せないことを思い出し まだどこにもないものを夢みるのが音楽だ という ますます強くなる予測に突き動かされ 手をうごかすなかで新しい発見がある それはまだことばになりきれないままで 途切れるとそのまま消えてしまう輪のように かたちもなく 宙に浮いている

煙のように空中に消えるもの 断片をモンタージュして何かを構成するのではなく 全体と部分の階層性を作らないもの 断片を断片のまま変形し 規範からはずれ 予測できない空間にひらくもの 生きる時間の闇のなかで微かに光る徴 哀しみの明るさ 夢の手触り

音楽は音のうごきであり 聞く耳と楽器や声を使う身体の運動感覚や内部感覚 それに感じというとらえがたいものによって維持されている 音は止まれば消え 音楽はとどめようもなく過ぎてゆく それだから消えた記憶をよみがえらせ まだない世界を予感する それが音楽の社会性あるいは政治性なのだが ことばのように世界内の存在や状態を指し示したりするというよりは 「いま・ここ」でないところに注意を向けるきっかけになったとしても それも文化的環境や歴史状況に条件づけられ 主体的な意志をはたらかせなければ何も響いてこない しかし そのあいまいさが音楽の強みでもあり 逆に ことばと結びついたときは相互作用によって強い力をもつことがある

国家主義と古典主義はおなじ側にある 規律や構成のように外部的で静的なバランスにもとづく管理 記号や表象の操作 内面化した自己規制 全体が矛盾なくたった一つの原理あるいはたった一つの構成要素から説明できると考える超合理主義 複雑性やあいまいな状態をデジタルな二分法で還元すること 方法主義 そうしたやりかたで裏打ちされた「新しい」単純性 これが1930年代以来の現代音楽の病気だった 演奏スタイルや ちがうジャンルの たとえばポップについても 似たような現象を指摘することができるだろう

音を物・記号・表象として操作しようとするとき 音を手段として構成される抽象的・普遍的全体 あるいは表面に民族主義・伝統美学・アジア思想を思わせる要素を貼付けてはいても 画一化された均質な部品でモジュール化された現代音楽は フェスティバルという見本市で消費されるだけのもの それは非商業的と言っても じつは少量生産される文化の「贅沢品」として 国家や財団の先物買いの対象になる

音楽は「いま・ここ」に留め置いて味わったり 分析し定義し 理論的に再構成するしようとしても かなたへ逃れて とらえどころがない 音楽論や音楽美学や音楽批評は 音楽の創造には追いつけないだろう ことばで語れるのは可能性でしかない それでもそのようなことばであれば それらの語る自由な夢が 音楽の社会的機能を維持し活性化するのにこの上ないはげましともなってきた ここにあるものではなく どこにもまだ現れていない音楽の夢を語るものである限りは

歩きながら問いかける 問いかけながら歩く これがサパティスタのはじめた運動論だった 1994年のことだ それ以来 ちがう領域でのさまざまな試みを参照しながら すでになされた行為の結果を分析する方法や それ以上変化しない素材や それ以上分解できない単位を組み合わせて作る秩序ではなく うごきつづけ変化してやまないプロセスのなかにありながら それ自身について考える可能性が見えて来た 再帰する生命・意識・認識システムや社会システムをあつかおうとするオートポイエーシスのようにまだ発展途上の理論や 生きている身体が心であることを内側の感覚を維持しながら意識し続ける仏教的な方法 さらに「いまだない」を哲学するエルンスト・ブロッホ doingとdone power toとpower overを区別して存在ではなく可能性から反権力の政治思想を導きだすジョン・ホロウェイ どれも完成された理論ではなく そうなるはずもなかった

音楽は いまある世界をそのままにしておこうとする権力や制度とは もともとあいいれないものだった だが 権力はいつも音楽を自分の側にとりこみ その想像力を自分のために使おうとしてきた だから音楽作品は 完成されたものであるほどゆがみ 可能性は消耗させられ 夢は砕かれ 抑圧され 逆転して その断片だけが散乱している 未完成なものほど 見えない芽をどこかにひそめて 発見される時を待ち望んでいる」


(高橋悠治「記憶と夢のあいだ」)
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by sachiolin | 2011-06-05 18:12 | 夢 /// | Trackback | Comments(0)

lessonmemo ∞

lessonmemo 「一緒に弾くのだから、きちんと同じ電車に乗っている感覚がないと。乗せてあげないと。相方さん、たまに、落っこちてるよー。しかも落っことしたこと、気づいてないよー。まずいよーそれは。笑」「左指の動きは、歩くのと一緒。一歩進んだら次の一歩を体全体で準備しているよ。体重移動。」

lessonmemo 「ブラームスは、深い大きい温かい河が、底で流れていないといかん。その上をゆったりと大きな船で旅するような。大きい音楽。小さいカヌーで渓流下りしない。笑。」「エレベーターが急にガクンと停止したみたいに、ポジション移動しないでー。なめらかに目的の階まで上がって下がって。」

lessonmemo 「ミシンで同じ所を縫い続けないで。それじゃあ形にならないよ。きちんと音を運んであげて。」「テニスでもボールの真っ芯をとらえた時は、まるで打ってないような感覚で、しかも遠くに飛ぶ。手ごたえがないというか。力ではない。音も一緒。音の真っ芯をとらえて。遠くに飛ぶ音を覚えて。」

lessonmemo 「もぎたての果実のような、ジューシーな音だしてちょうだいな」「そこは、お好み焼きに、刷毛を全面使って、ソースをまんべんなく塗るように、音を出してちょうだいな//焼きたてのパンにバターをきちんととかして」「ところてんにならないで。音の芯が出てないぞー。滑ってるぞー」
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by sachiolin | 2011-06-01 03:13 | 練習・レッスンメモ∞ | Trackback | Comments(0)
「バイオリンの音は空を漂っていく、神さまへのプレゼント。
だから、弦を押さえつける感覚は厳禁。弦はあくまでも
中空で振るわせる感覚なんだ。」

「音の強弱をどうつけるのかということでなく、
問題は音色をいかに奏でるか、だ」

「それぞれの間に、10ではきかない色の違いがある。
白黒でなく、無限に色のニュアンス、色のパレットがあるんだ」



(ジュリアーノ・カルミニョーラ ::読売新聞 )


ヒエー。カッコヨイ。バロックヴァイオリン、いいなぁ… 
いつかまた弾きたい。古楽って麻薬のような魅力がある。
音楽の根源というか、原石というか。たまらない。



瑞々しいアンサンブル。



やっぱりいい曲。

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by sachiolin | 2010-12-03 01:23 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)
昨日聞いた笛の音は、天にまっすぐとのびていく光のようだった。その光は、ほんとうの強さを物語っていた。上へ上へ、天井をつきぬけて、天まで力強くのぼって、そのままわたしたちを、ふわりとやさしく包んだ。広い広い緑色の平原が見えるようだった。母体の中のような不思議な空間で、思わず、目を閉じて、聴き入った。どうしても目を閉じたくなった。その音は私という存在をなくし、私の殻をとかしていった。 目を閉じて、その音世界に耳を澄ましていると、からだもこころもない、人間でもない、男でも女でもない、何者でもない、ただの生きものとして、いや、その音の命の一部となって、その場に参加しているような、不思議な新しい感覚が、そこに生まれた。その笛の音を出す彼は、その音にとって、きっと一番の最高の聞き手なのだろうと思った。

ほんとうの音は、ほんとうの光をもち、ほんとうの力をもち、ほんとうの喜びとかなしみを携えて、ほんとうの物語り、全てを大きく包み込む。


私も、ああいう光に満ちた音をいつか出せるようになりたいな。



今日の言葉*

「結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは
自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものではない。
そして欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを、
自分できっちりと認識するしかない。」

(村上春樹)
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by sachiolin | 2010-10-01 21:43 | 聴● | Trackback | Comments(0)