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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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植物を見ていると

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町で見かける植物がすごく美しい。植物を見ていると、昔、友人が話していたことを思い出す。完璧な人間なんてどこにもいなくて、編まれて、ほつれて、絆されて生きていくのかもなぁ。人生って不思議。うまくできない自分をゆるし、見守ってくれている人に、周りに、ひたすら感謝して、朗らかに生きていきたいですなぁ、紫陽花さんよ、と話しかけた午後。

「植物をみていると、みんな千切れたり破れたりしながらも、お構いなく美しいし、哀しみやら、傷付いたことは、別に愛やら何やら、他の何かで埋めなくても
いいものなんだって思ったよ。葉っぱが千切れました。あ、そうですか。はい、生きてます。みたいな、そんな気分だったの。みんな何かしら千切れたり欠けたりしていて、そうゆう人が出会って、先に進んで、生きていくのだなぁ。と、思うよ。」


今日の言葉*

“さぼれ、さぼれ。今日はみんな気持ちよくさぼってみたまえ。
街を意味もなくぶらぶらしろ。映画館に行け。脂っこいものを食え。
人に迷惑をかけろ。約束を破れ。変な服を買って着ろ。
大事なものを捨ててしまえ。言っちゃいけないことを言え。
(糸井重里)”
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by sachiolin | 2015-06-10 01:24 | 思〇

孔雀草。

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すこしムシャクシャすることがあって、
プンプンしながら、商店街を歩いていたら、
お花屋さんがあった。無造作に
バケツに入れられたお花たち。

バラもSALEで一本百円、とある。
店主は奥の方で居眠りをしている。

美しいバラと迷ったけれど、
モサッと草花のように入れられている
お花たちが気になったので、それにした。

こんにーちはーーー

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こーんにーちはーーーーー

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へい、いらっしゃいっ
あ、これね、かわいいでしょ
孔雀草ねっ 二本ね、はい、二百円!

ね、かわいいでしょ。
君もかわいいよ!001.gif

あ、ありがとう笑
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孔雀草って言うんだね。
かわいい。やっぱり、お花が
家にあると、よいなぁ。


内側に、愛を育て、表現すること。
自分のなかに、花が静かに開くのを待つ。



今日の言葉*

使命とは「何かになる」ことではありません。自分の内側に「愛」を育て、表現することなのです。また、使命を形に求めてもなりません。
自我に対して、「無くそう、消そう」と思っても無駄です。座禅をしても"無念無想"になどなれません。なろうとしてもなれないのです。「なろうとする」こと自体が自我なのですから。あるとき、ふと気づいたら「自分が無くなっていた」その境地が、無念無想の極意であり、涅槃と呼ばれる現象なのです。人は死なずともその境地に入ることが可能です。

加納眞士
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by sachiolin | 2015-06-06 17:31 | 撮❏

夢/// 夢のような夢

昨日みた、やさしい夢を思い出す。
やさしさに包まれて、夢のなかで、
寝ていた。夢のような夢だった。
できれば目覚めたくなかった。

夢と現実を行き来する。

「実は、この現実が誰かの大きな夢
かもしれないよね。そう考えると
ちょっとぞわっとするよね。」と
話していた友人のことを思い出す。

夢のなかの感覚は、時折現実よりも
ずっとリアルだったりする。
そして、その感覚には、永続性がある。

夢と現実がハチミツのように蕩けている
風立ちぬ、もう一度観たいな。




今日の言葉*
Carpe diem quam minimum
credula postero

明日のことはできるだけ信用せず、
その日の花を摘め
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by sachiolin | 2013-08-23 23:51 | 夢 ///

空 ( )坂口安吾

人の魂は、何物によっても満たし得ないものである。特に知識は人を悪魔につなぐ糸であり、人生に永遠なるもの、裏切らざる幸福などはあり得ない。限られた一生に、永遠などとはもとより嘘にきまっていて、永遠の恋などと詩人めかしていうのも、単にある主観的イメージュを弄ぶ言葉の綾だが、こういう詩的陶酔は決して優美高尚なものでもないのである。
 人生においては、詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。もとより現実は常に人を裏ぎるものである。しかし、現実の幸福を幸福とし、不幸を不幸とする、即物的な態度はともかく厳粛なものだ。詩的態度は不遜であり、空虚である。物自体が詩であるときに、初めて詩にイノチがありうる。
プラトニック・ラヴと称して、精神的恋愛を高尚だというのも妙だが、肉体は軽蔑しない方がいい。肉体と精神というものは、常に二つが互に他を裏切ることが宿命で、われわれの生活は考えること、すなわち精神が主であるから、常に肉体を裏切り、肉体を軽蔑することに馴れているが、精神はまた、肉体に常に裏切られつつあることを忘るべきではない。どちらも、いい加減なものである。
 人は恋愛によっても、みたされることはないのである。何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生は成りたたぬ。所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛がバカげていても、恋愛のひけめになるところもない。バカは死ななきゃ治らない、というが、われわれの愚かな一生において、バカは最も尊いものであることも、また、銘記しなければならない。
 人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。


(坂口安吾「恋愛論」より)
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by sachiolin | 2010-10-11 01:26 | 空 ( )