sachiolin.exblog.jp

わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
人も状況も世の中も、こんなにも変わっていくのに、「昔と何も変​わらないね」と笑い合える相手は、どれだけ愛おしいだろう。変わ​っていくもののなかで、変わらないものがある。人に刻まれた風景​がある。人に刻まれた時間がある。  大学時代の親友は、前よりもっと逞しく、もっと素敵になっていた​。どんどん水が澄んで美しくなっていく分、昔のまま、水底に沈ん​でいる石がもっと美しくはっきり見えた。水は流れているけど、石​は流されていなかった。それは本当の美しさと強さだった。私もが​んばろうと素直に思えた。



今日の言葉*

「しゃべらないでいい友達というものはとても少ない。
一回無理に​しゃべるのをやめてしまうと、体が、
長年しみついたお互いのリズ​ムを勝手に刻んでくれる。
会話はゆっくりと、なめらかになる。」

(​吉本ばなな「黒いあげは」)
[PR]
by sachiolin | 2012-08-13 00:57 | 思〇 | Trackback | Comments(0)

聴●82歳のピアニスト

今晩は、82歳のピアニストの演奏会に行った。

前半はシューマン。
後半はショパン。

ピアノリサイタル、というのは、実は
今までで、一度くらいしか行ったことがない。

ピアノという、大きな黒いものに向かって、
舞台の上で、ひとりの人間がひたすら
音を奏でるという世界には、異様なものさえ感じてしまう。
すごく孤独で、すごく静かな深い闘いのような。
ヴァイオリンという楽器の持つキャラクターと
ピアノのそれとは随分と違うものだ。

私にとって、ピアノは、水面を思い起こさせる。
夜の林の中の静かな湖。波紋が伝わる。月が輝いている。
春の小川。魚が水しぶきを上げて、水を揺らす。
そういう水のイメージがする。

私にとって、ヴァイオリンは、空と風を思い起こさせる。
広い草原と広い空。空の上の方で鳥が旋回している。
鳥のように、風のように、空を自由にかけめぐる。
そういうイメージがする。ドイツの師匠の音は、
勢いのあるつむじ風のようだった。大好きな音。懐かしい。
弓の動きは、呼吸と似ている。息を吹きかけて命が芽吹く。



82歳のデームスさんは、ものすごく美しい音を奏でた。

特に、ショパンの子守唄が素晴らしかった。
瑞々しくて。キラキラしていて。不思議な死の香りがするような。
眠りというのはある意味、死だから、聴いていて連れて行かれそうだった。
なんて美しい曲なのだろう。聴きながら、なぜか桜が散る様子がふと
思い浮かんだ。その下で、赤ちゃんを抱く女性がやさしく微笑んでいる。
生を抱きながら、死が舞っていく。時間がとまっているような流れている
ような、そういう不思議な空間に包まれた。




続く、舟歌もすばらしかった。
水面がキラキラと光るのがみえるようだった。
光と影のなかで、たゆたう感じがたまらなかった。
82歳という年齢でしか表現できないような色と影があった



アンコールも3,4曲弾いた。
休憩をはさんだものの、2時間たっぷり。

すごいなぁ。


色々考えてしまった。

自分が80を過ぎたときに、これほど
音楽ときちんと向かえているのだろうか。
つまり、自分ときちんと向かえているのだろうか。

すごくそれは、根気と我慢と努力と勇気が要ることだ。


あと、どれくらい生きられるのかは分からないけれど、
ここのところ、自分からすこし逃げていたのだと、
82歳の丸まった背中と、繊細な指先が気づかせてくれた。


がんばるよ、デームスさん。
がんばるんだよ、自分。










今日の言葉*

「視界が曇っていても、覚悟を決めた瞬間、くっきりと晴れ渡るという経験は、誰にでも一度や二度はあると思う。視界を曇らせている原因は、外的環境ではなく、きっと自分の内側の濁りなんだろう。いろいろなことを知り、考えて、分別臭くなることは避けられなくても、畢竟、一度限りの人生。 」

(佐伯剛さん)
[PR]
by sachiolin | 2010-10-27 00:53 | 聴● | Trackback | Comments(0)

■ Mr.Children 「口笛」

ここ数日、よく泣くこと。
ちょっともう疲れたなー。
笑顔で別れようと思うのに、
ハグすると涙が勝手に出てきちゃって。

普段は閉じられているはずの、
心の深い、深いところにある水門が、
ただいま、全開のようである。

感情というものが、これほどたくさん
表に出てくるのは、ひさしぶりだ。


これを見ながら、何だかまた泣けたわい。


客席のなかの全ての人に、
どんな誰とも違う、それぞれの物語が、
紡がれているんだなぁと、じーんとした。
そういうものを、大きく大きく包み込んで
一つの物語にしてしまう音楽の力は
やっぱりすごいなぁと、思う。

ミスチルのライヴ、いつか行ってみたいナ。
というか、あの後ろで弾きたいナ(!)






頼り無く二つ並んだ不揃いの影が 北風に揺れながら延びてゆく
凸凹のまま膨らんだ君への想いは この胸のほころびから顔を出した

口笛を遠く 永遠に祈る様に遠く 響かせるよ
言葉より確かなものに ほら 届きそうな気がしてんだ

さあ 手を繋いで 僕らの現在が途切れない様に
その香り その身体 その全てで僕は生き返る
夢を摘むんで帰る畦道 立ち止まったまま
そしてどんな場面も二人なら笑えますように

無造作にさげた鞄にタネが詰まっていて 手品の様 ひねた僕を笑わせるよ
形あるものは次第に姿を消すけれど 君がくれた この温もりは消せないさ

いつもは素通りしてたベンチに座り 見渡せば
よどんだ街の景色さえ ごらん 愛しさに満ちてる

ああ 雨上がりの遠くの空に虹が架かったなら
戸惑いや 不安など 簡単に吹き飛ばせそうなのに
乾いた風に口笛は 澄み渡ってゆく
まるで世界中を優しく包み込むように

子供の頃に
夢中で探してたものが
ほら 今 目の前で手を広げている
恐がらないで踏み出しておいで

さあ 手を繋いで 僕らの現在が途切れない様に
その香り その身体 その全てで僕は生き返る
夢を摘むんで帰る畦道 立ち止まったまま
そしてどんな場面も二人で笑いながら
優しく響くあの口笛のように

[PR]
by sachiolin | 2010-07-05 20:49 | 観■Musik | Trackback | Comments(0)

柔らかさ。

おとといは、朝晩とボエームのリハーサルで、
昨日はフィガロの結婚のリハが、3時間半もかかり、
夜はマイフェアレディの本番で、久しぶりに、
体がどっと疲れた。今朝起きたら、マラソンを走ったあとのような
独特の疲れを感じた。でも無理やりへとへとになるまで走らされた
おかげさまで、久しぶりに深い睡眠をとることができた。
極限まで体を使うと、自然とオフモードに体が移行して、
自然と深く休養する。生まれ変わる感覚だ。

今晩のフィガロの結婚は、すごくよい状態で楽器が弾けた。
本当によい状態のときは、体が頭を追い越す。
頭より、体が半歩先を行くのだ。
体が音に勝手に反応し、それに伴って心が躍る。
もしくは、心が音に反応し、それに伴って体が動く。
体が頭より先にというよりは、頭のスイッチが全くオフになる。

体をコントロールするということは、頭でそれをまず意識することとは違う。
禅問答のようだが、本当にコントロールできている状態というのは、
コントロールしていないということなのかもしれない。
歩くのに、何も考えなくても、右足と左足が、順序よく出ていくというのは、
ある意味、コントロールできていて、コントロールしていない。
それは、「状態」と「作用」の違いでもあるのだろうけれど、
それは、紙一重のことなのだと思う。表と裏が同時にあるというか。
甲野先生がおっしゃっていることを、また、はたと思い返す。
うーん。今見てみると、またこのことの深さが分かる。




体がよい状態というのは、「柔らかい」ということだと
今日は、弾きながらしみじみと感じた。
昔は、脱力できているかどうか、ということに、固執していた。
巨匠の演奏している映像を何度も見ては、
いかに脱力しているか/するのかを、研究していた。
しかしそれは外見だけを見ていたのであって、
本当の「脱力」は、体の内の「柔らかさ」から
生まれるのだと、やっと気付いた。
スピードは、柔らかさから生まれる。
本当の強さも柔らかさから生まれる。
強くも柔らかくもなれる、というのが本当の強さだと思う。
鋼の硬さではなく、紐の柔らかさが、鞭のようなしなやかさを生む。

楽器を弾くのに、ムキムキの筋肉は要らない。
それよりも骨格をしっかりと支える柔らかい筋肉が必要だ。
無理なハードなたくさんのトレーニングは硬さを生み、
適度な的確な適量のトレーニングは柔らかさを生む。
そして、思っている以上に大切なのは、良質の深い睡眠だ。
眠ることは、頭にも体にも心にも大切。

よい眠りがとれた今日は、
指先も、脚先も、体全体が柔らかさを持っていたから、
よい状態で楽器を弾けて、新しい感覚を得た。
指先、腕が自然に「畳み込まれていく」感覚。
楽器を「挟む」のでもなく、「押さえる」のでもなく、
その体の自然の畳み込みの中に、楽器がふわっと包まれる感覚。
「畳み込まれる」というのは、関節が自然と自然な方向に曲がって、
体がひとつにまとまっていくような、子宮の中で胎児が丸まっているような、
そういう感じ。体のほとんどが水分なのだということを、
どうしても忘れがちだが、その体自体も羊水のなかで
守られて育ってきたのだよなぁ。人間の体って不思議。


「体は、自然そのものである。」と、
友人が書いていて、ナルホドそうかと思った。

考えてみると、自然と同じように、
体にも直線というのは存在せず、
曲線の世界であり、常に動き続けている。

それは、やはり、水のイメージなのかもしれない。
淀みなく、流れ続ける、清らかな水。

水である体は、気をつけないと、凍りつく。
凍りついたら、温めて、流れをつけよう。
小さな流れは、大きな流れとなり、勢いとなる。



今日の言葉*
「日本人を、ユーラシア大陸から少し離れた箱庭のような
別荘で何の苦労もなく育った青年とみるなら、
ユダヤ人は、ユーラシアとアフリカをつなぐハイウェイに、
裸のままほうり出された子供である。」
(イザヤ・ベンダサン「日本人とユダヤ人」より)
[PR]
by sachiolin | 2009-10-04 08:32 | 考〇 | Trackback | Comments(0)