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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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孔雀草。

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すこしムシャクシャすることがあって、
プンプンしながら、商店街を歩いていたら、
お花屋さんがあった。無造作に
バケツに入れられたお花たち。

バラもSALEで一本百円、とある。
店主は奥の方で居眠りをしている。

美しいバラと迷ったけれど、
モサッと草花のように入れられている
お花たちが気になったので、それにした。

こんにーちはーーー

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こーんにーちはーーーーー

005.gif


へい、いらっしゃいっ
あ、これね、かわいいでしょ
孔雀草ねっ 二本ね、はい、二百円!

ね、かわいいでしょ。
君もかわいいよ!001.gif

あ、ありがとう笑
036.gif


孔雀草って言うんだね。
かわいい。やっぱり、お花が
家にあると、よいなぁ。


内側に、愛を育て、表現すること。
自分のなかに、花が静かに開くのを待つ。



今日の言葉*

使命とは「何かになる」ことではありません。自分の内側に「愛」を育て、表現することなのです。また、使命を形に求めてもなりません。
自我に対して、「無くそう、消そう」と思っても無駄です。座禅をしても"無念無想"になどなれません。なろうとしてもなれないのです。「なろうとする」こと自体が自我なのですから。あるとき、ふと気づいたら「自分が無くなっていた」その境地が、無念無想の極意であり、涅槃と呼ばれる現象なのです。人は死なずともその境地に入ることが可能です。

加納眞士
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by sachiolin | 2015-06-06 17:31 | 撮❏ | Trackback | Comments(0)

マイケルのスピーチ

ふとマイケルジャクソンのスピーチを思いだした。

なんて、やさしくて輝く瞳と笑顔なんだろう。。。
なんてステキな兄弟。なんてステキなスピーチ。
言葉、存在そのものが、愛とやさしさにあふれている。






今日の言葉*

わたしたちの心は、私たちが垣間みるものを知っています。
生命の喜びです。だから僕は子どもたちが好きなのです。
子どもたちから学ぶことはたくさんあります。
今日 世界は様々な問題を抱えています。
街の犯罪から 大規模な戦争やテロなど
これらは私たちが子どもたちから
楽しい時代を奪った結果です。
マジック 奇跡 神秘
そして子どもたちの無邪気は
世界を癒す創造力の種です。
私はそう信じています。
私たちが子どもたちから学ぶべきものは
子どもっぽさではありません。
彼らは私たちに どのように生きるべきか
教えてくれます。それが何よりも大切なことです。
子どもたちは私たちの心に潜む神秘を知っています。
私は世界中の子どもたちに感謝します。
病気や体の不自由な子どもたちに心から同情します。
また私を助けてくれた人々にお礼を申し上げます。
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by sachiolin | 2014-12-30 20:23 | Trackback | Comments(0)
いい話だ・・・・・
泣ける・・・
心があらわれる・・・・・


::::::::::::::::::::::::::::


アナンダの愛とマタンガの愛


 仏陀のいとこに、アナンダという男がいました。ある日アナンダは食べ物の施しを受ける托鉢に出かけました。のどが渇いたので井戸の前で足を止めるとそこにはマタンガという名の若い娘が座っていました。彼女は「ダーリット」、つまり「不可触賤民(ふかしょくせんみん)」と呼ばれる最低層のカーストに属していました。高いカーストの人々は、汚れるからという理由で不可触賤民に触れたり近寄ったりしませんでした。ですからアナンダが水を求めたとき、マタンガはこう答えたのです。「私はあなたに水を差し上げることはできません。私は不可触賤民で、あなたを穢すことになるからです」アナンダは言いました。「私達の教えにカーストの区別はありません。仏陀はわれわれはみな平等だと教えています。ですからあなたが私に水をくれても大丈夫なのです。私は穢れることもないし、恐れてもいません。」マタンガはとても喜びました。そして柄杓に水をすくってアナンダに飲ませたのです。彼は手を合わせて礼を言い、帰っていきました。

 マタンガはアナンダへの恋に落ちました。寝食を忘れ、彼がいかに美しく、正しく、優しい人かということばかり考えていました。何週間も眠れず、食事ものどを通らない娘を見て、母親は気を揉むばかりでした。

 ある日、托鉢に回っているアナンダに会った母娘は、食べ物の施しを捧げるために彼を家に招きました。家の中でふたりはアナンダに茶碗一杯の薬草茶を差し出しましたが、これが彼の明晰さを失わせたのです。お茶を一口飲んだアナンダは何かがおかしいと感じましたが、どう表現してよいものかわかりませんでした。けれども自分が危険な状況にあることはわかったので瞑想を始めました。何も言わず、何もせず、ただ座禅を組み、呼吸に従っていました。

 祇園精舎にいた仏陀は、アナンダが帰ってこないので心配し、ふたりの僧にアナンダを探しに行かせました。アナンダがマタンガの家で座禅を組んでいるところを見つけた僧たちは、彼らを祇園精舎へ連れて帰りました。激しく泣きじゃくっていたマタンガも一緒に連れて行かれました。アナンダが精舎に着く頃にはお茶の効果も薄れ、彼は仏陀の前にひれ伏して、連れ戻してくれたお礼を述べました。

 そこへマタンガが入ってきました。仏陀はマタンガに座るように言いました。「アナンダをそんなに愛しているのですか?」と仏陀は尋ねました。
 マタンガは「はい、私はあの人をとても愛しています」と答えます。
すると仏陀は「アナンダのどこを愛しているのですか?目?それとも鼻ですか?」と問うのです。
 マタンガは答えました。「あの人の目も、鼻も、耳も、口も、愛しています。アナンダがいなければ、私は生きてはいけません」
 仏陀は言います。「アナンダには、あなたがまだ見ていないものがたくさんあります。もしそれが見えればあなたはもっともっと深く彼を愛するようになりますよ。」
「それはどんなものでしょうか?」とマタンガは尋ねました。
 仏陀は微笑みました。
「アナンダの愛、アナンダの菩提心です。あなたは彼の目、鼻、耳、口しか見ていません。彼は若い頃、多くの人を助けたい一心で裕福な家庭を捨てて出家しました。アナンダはひとりやふたりの人とともにいるだけでは幸せになれない。そんな幸せは小さすぎるのです。だからこそ彼は僧侶になったのです。アナンダはたくさんの人を助けたいと願い、広い平等の心を持っています。ひとりの人だけではなく、何千人もの人を愛したいのです。アナンダの菩提心はとても美しい物ですから、もしそれがわかればあなたはもっともっとアナンダを愛するようになるでしょう。
 あなたがアナンダを本当に愛しているのなら、僧侶としてのアナンダの深い志を、彼の菩提心を、実現させてあげてほしいのです。アナンダは一陣の爽風のようなもの、もし独り占めして小箱に閉じ込めたら、爽やかな風は失われてしまいます。アナンダはまた青空に浮かぶ美しい雲のようなものです。もしつかまえて箱に入れ鍵をかけてしまったら、アナンダは死んでしまいます。彼の持つ最も美しいものがあなたには見えないばかりに、そうなってしまうのです。それが見えたなら、あなたは彼をもっともっと愛するようになります。それも、アナンダの助けになるような愛しかたができるでしょう。ちょうど、雲を美しい青空にそのまま浮かべておくことが、雲の助けになるように。
 美しい志をもっているのはアナンダだけではないのです。あなたも同じ、あなたにもその美しさがあります。本当にアナンダを愛し、その菩提心を見ることができるなら、あなたもアナンダと同じように生きることができます。まず自分の中の菩提心を見てください。そして、できる限り多くの人を幸せにできるような生き方をあなた自身がしていくと、アナンダに誓えばいいのです。」
 マタンガはこれを聞いて驚きました。
「私にはなんの価値もありません。私は最低カーストに属しています。他人を幸せにすることなどできませn」
 仏陀は言いました。
「いいえ、あなたはすでに人を幸せにしている。あなたはすでに、自分の中に美と善と真実を持っているのです。それらはすべての人が持っているものです。自分の中にある根本的な善、真実、美に触れることができるなら、それを信じて多くの人たちに幸せをもたらすことができるとわかるはずです」
 マタンガは尋ねました。
「本当にそうでしょうか?わたしも 出家して尼僧になり、何千人もの人を助けることができるのでしょうか?」
 仏陀は答えました。
「もちろんです。できないはずなどありません。あなたが菩提心を育むことができたら、あなたもアナンダのように多くの人に幸せを与えることができるでしょう。」
 マタンガの悟りは仏陀によって開かれ、彼女は地面にひれ伏しました。こうしてマタンガは尼僧となり、その愛は開かれ、計り知れぬほどに広がっていきました。
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by sachiolin | 2014-10-16 01:16 | 引用:: | Trackback | Comments(0)
すごい映画だった。

もっとシンプルで、きゅーんと泣ける恋愛映画かと思っていたら、
とんでもない。一回では分からないくらい複雑にできていた。
おかげで、全く泣けなかった。笑。でも思い出すとじわじわジーンとする。
もう一度観たら、いろいろなことがもっとジーンとしてくるのだろう。

記憶。

固体のようであり、液体のようであり、気体のようであり。
水が形を変えるように、記憶も形を変える。
いろんな記憶がとけて混ざったりもする。
時を経ても変わらない記憶もある。
変えたくない記憶がある。

凍った川の上の二人。
記憶のなかを旅する二人。
記憶のなかでかくれんぼする二人。


忘れること
忘れられること
忘れられないこと
忘れたくないこと


忘却。記憶。夢。感情。愛。
いろんなことを思った。

それにしても夢の世界を、
こんなにリアルに映像にできるなんて。

すごすぎる。また観たい。

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今日の言葉*

「真の幸福は罪なき者に宿る。忘却は許すこと。
太陽の光に導かれ、無垢な祈りは神に受け入れられる」
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by sachiolin | 2013-09-18 02:16 | 観■Film | Trackback | Comments(0)

引用:: 龍のお話。

養老先生の話しを読んでから、
数年前から、気になっている国、
行ってみたい国、ブータン。
その国王が来日されていた。

相馬市に行かれて、子どもたちと交流し、
ブータンのシンボル「龍」の話をされた
そのお話に、そのまっすぐなやさしい
眼差しと語りに、とても感動した。




Do you know that the dragons exist?
I've seen the dragon.
There's a dragon in each and every single one of us.
Dragons feed on experiences.
It becomes stronger and stronger over the years.
We must always be in control of that dragon.


君たちは龍を見たことあるかい?
私は見たことがあるよ。
龍は私たち一人一人の中にいるんだよ。
龍は経験を食べておおきくなるんだ。
年を重ねればどんどん強くなっていく。
私たちはいつもその龍をコントロールしなくてはならないんだよ。




何とも有難い深いお話で、
ありがたや~ありがたや~と拝みたくなる。

現地の子どもたちの頬を紅潮させて
話しているその様子や、年配の方が、
「握手をしてくれた。心から祈ってくれているのが
分かった。本当にありがたくて、思いだすだけでも、
今もほら涙がでてきてしまう・・・」と涙ぐんでいる
様子を見て、ああ、本当に人と人というのは、
このようにして、心と心が通じ、深い愛というのは、
このようにして伝わるのだなあと感動した。


「ありがとう」という気持ちが、
自然と湧いてくるような
ほんものの出会いというのは、
確実に人生を変える。

人との出会いでも、恋愛でも、ある音楽でも、
ある小説のことばでも、あるひとつの映画でも。


有り難い。ありがたい。


「ありがとう」の反対のことばは、
「当たり前」だと、何かに書いてあったな。
確かにそうかもしれない。





今日の言葉*

自分が特別だなんて決して思ってはいけない。
しかし人はだれも自分が特別でないと思うべきではない。
客観性とは、こんなにもややこしいものなので、
手に入れたり見失ったりをくりかえして生きていくのですね

(吉本ばなな「パイナツプリン」)
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by sachiolin | 2011-11-21 00:54 | 引用:: | Trackback | Comments(0)

道≒ 横尾忠則

自我と自己。
愛と情と愛情。

考えさせられます。



「とにかく自己ほど神秘的で謎めいた存在はない。これこそが人間であると思うよ。説明不可能な事象に科学のメスを入れたり、分析したりしなければならん理由などどこにもない。合理的な解釈が行われなきゃ行動できないというのは自我の崩壊に恐怖を抱いているせいだ。苦悩や苦痛の原因を生む自我が何ほどの価値を持つというのや。自己を愛するということと自我を愛するということは別問題だと思うがね。

もし本当に自己を真から愛することができるのなら自我を捨てることぐらい朝めし前でなきゃおかしい。自我を後世大事に守りながら、自己を愛するということは不可能に近い。芭蕉が俗界から足を洗って旅に出たのも真に自己が可愛かったからであろう。何ものからも束縛されず本当に自然の本源と一体になって真の自由の大海の中を悠々と抜き手を切って泳ぎたいと念ずるなら、芭蕉がしたように全てを放下(ほうげ)するより道はないのと違うか。永遠の真理の探究者になることを自己に約束するなら、自我を捨てることが最も近道だろう。

自分自身を完璧に愛することを躊躇していることは自我を愛していることである。自我を愛することは芸術家にとっては完全な神の意志の伝達者としての道具としては不完全である。とにかく難しい。何も芭蕉みたいに家族も名声も捨てて旅にでる必要はないけど、人は一度手にしたものを手離すということが、如何に難しいかということだ。一度手にしたものには情が移る。愛情ではなくて、情なのである。愛はその対象を解放して自由にしてやることができるが、情はその反対に抱きかかえて相手の自由を束縛してしまう磁性力がある。

多くの場合愛と情をごっちゃにしてしまっているはずだ。執着というのは愛ではなく情を指す。この執着が曲者である。われわれは愛と情の区別さえできないでいるように思う。子どもや妻に対する愛は本物だろうかと自問することがある。愛と言う名のもとで子どもや妻の自由を縛っているとすれば、それは愛ではなく情だ。天上界には親子の情愛というものはないはずだ。天上界では全て兄弟(姉妹)としての共存で満ちている。友だちのような親子関係が望ましいのだ。


日本人の美学の中に情を認める文化があるが、この美意識は危険なものであるとワシは思う。情をかけることによって相手が生かされるというのは実は大間違いだ。「情は人のためならず」とか言うじゃない。真に相手のことを思うなら、そこには自己犠牲の精神がなければそれにタッチすることを禁じるべきだ。情は相手も自分も同時に殺してしまうことになるからだ。」


(横尾忠則)
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by sachiolin | 2011-06-05 22:31 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

聴● I Loves You Porgy

ステキスギテ、ここ数日何度も聞いている。
何度聞いても、ステキスギル。
本当によいものは、何度聞いてもよい。
本当によいものは、何度でも聞きたくなる。

なぜ、I love you ではなくI loves youなのか。
黒人英語の文法的に間違った表現から来ているという説と
3人称単数のsをつけて、どうやら自分があなたを好きらしいわよ
と、直接伝えられないもどかしさ?を出している説があるらしい。

なんとなく、2つ目であってほしいわ。笑。
だって人を好きになるって、そういうことだものなぁ。


あぁ。Nina Simone、ステキスギル。


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by sachiolin | 2011-01-24 01:39 | 聴● | Trackback | Comments(0)

マイケル・ジャクソン

何か元気をつけたくて、マイケルを聴きたくなって
この受賞インタビューを見つけ、見ていたらジーンときた。
「あなたのことを誇りに思う。愛しているわ」という妹に
そっと抱きつくお兄ちゃん。何だかもう、泣けてくるゾ。
マイケルは、本当にキュートで優しい人だったんだなぁ。
彼の目は、本当にキラキラしていてきれいだなぁ。
彼のことばも、彼だからこそ、温かく感じる。





マイケル・ジャクソンのことは実は殆ど知らなかった。
This is it!を観て以来、心のどこかで、いつも
その音とリズムと魂が疼いている。
知れば知るほど、すごいわー。惚れるわー。
真のエンターテイナー、スーパースター。

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by sachiolin | 2010-01-05 07:14 | 引用:: | Trackback | Comments(0)