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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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「 タットルは感情を忘れた。ただひたすら目をひらき、頭上にひろがるまっくろくおおきな星空に、小柄なそのからだのすべてを委ねた。頭上の星月夜と、プラネタリウムに映し出された夜空。一見おなじようなふたつの空は、タットルの目に、まったくかけはなれたものに見えていた。
 星々のあいだにくろぐろとひろがる闇。ただ一様に暗いのではない。ほんとうの闇は手でさわれそうなほどたしかで、それでいて、はてがなかった。もっともちいさな星のむこうにさえ、闇の無限の奥行きがまちがいなく感じられた。巨大な闇は星月夜にちらばる光を縦横につなぎ、目に見えない星くずをひとつずつつなぎ、そしてタットル自身をさえ、無限のさらに先へとつないでいた。」

「 タットルは見つめかえす。
 おとめ座。りゅう座。はくちょうにとかげ。ケフェウス座の上には赤いガーネットスター。アンドロメダときりん座にはさまれている、ぼんやりとした二重星団。
 そして、それらの星々をはらみ、自分の足元からこの世のはてへと広がっている、底のしれないほんとうの闇。
 見えない、きこえないからといって、そこになにもないということにはならない。胸のなかで、タットルはそうひとりごちた。闇は空洞なんかじゃない。光発せずにいても、まっくろくておおきな闇こそが、この星空の、まさに大神なんだ。」


(いしいしんじ「プラネタリウムのふたご」より)
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by sachiolin | 2011-01-17 23:37 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)

◆いしいしんじさん

いしいしんじさんのインタビューのお話、
読んだとき、衝撃だった。鳥肌が立った。
想像以上に、変わった人だった。変人だ。
私は元来一風変った人が好きなのだ。
もう、いしいしんじさんという人そのものが、
とても好きになってしまった。どうしよう。
それは、恋に落ちる感じの「好き」だった。
会ってもいないのに。とにかく今は、
いしいしんじさんの作品に夢中である。

いろんな作家さんがいて、
いろんな物語が、この世にはある。

でも、いしいしんじさんほど、
自分の心にぴったりとくる物語に、
未だかつて出会ったことがない。

夢か現かの、その世界に身を浸していると、
自分のかかえている水たまりが気持よく
さざ波を立てる。波がととのえられる。


ほんとうに、かなしい気持ちのとき。

私はそういうとき
文字が頭に入ってこないし、
何かを読む気にもなれなかった。

でも、いしいしんじさんの本は、
そういうときにも、わたしを
包んでくれるようだ。それを感じる。
多分、わたしの心の深い底にも響く
なにか特別な音が、いしいさんから
発せられているのだろう。



インタビューでのお話。
よく思い出す。よく考える。


体の外と内のこと。
チューブのこと。
世界と私との間にある溝のこと。
こころとからだのこと。
机の下の黒い風船のこと。

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◆世界と言うのは自分がひとりで何しようと関係ない=別なものとして存在している

◆三崎に引っ越してからはすごく健康的で、身体の中から自分の表現するものが出てくるっていう、自分がチューブみたいな感じがすることがときどきあって、自分の身体のことはすごい信用しているんですけど…身体って自分に一番身近な「外部」じゃないですか。自分にとって「対象」ですよね。その外部がそれ以外の遠い外部とうまくつながりを保っている時には、そのチューブの中の風通しもよくなる感じがあるんです。

◆そのチューブってクラインの壺みたいな形をしているんじゃないかと思うんです。つまり、外部イコール内部なんですよ。だから自分が即世界、というのは外部から広がっていくんだけれども、それがどんどん広がっていくと自分の内側に入ってくる、そういうようなことがぐるぐる回って写真になったり小説になったりするのではないかっていうことを、今、喋りながらふと…

◆世界っていうのは自分が思ってもいないような方向にガーッと開いているということがすごくあってね

◆書くっていうこと自体が他者を作るってことなんだって気づいたんだと思います。「結ばれ」と「切り離し」とが同時に起きてしまう。それまでは他者というのがあらかじめいて、それに対して何かしないといけないって思っていたので実は他者とつながっているつもりで切れてたんです

◆宗教って内と外がひっくり返りみたいなものをちゃんと筋の通ったもので包んでみましょうかっていうような、だからクラインの壺をガラスケースに入れたようなもので、ガラスケースはいろいろな方向から見られる

◆小説もある意味そのクラインの壺に理屈を与える、内側と外側をつなげられる別の回路を考えてみて、つながったりつながらなかったりの、その明滅を味わうということだと思うんです

◆集中していれば陽気

◆平均台をあるく

◆机の下に黒い風船。机に穴があいている。
黒い風船が、一度沈めて、上がってくる。
黒い風船のなかに何かが見えてくる。(つながっている)

◆言語と身体が一緒に動いている

◆自分と違う⇔万能感(どんなところにでも自分を投げられる)
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by sachiolin | 2011-01-13 23:05 | かけら◆ | Trackback | Comments(0)

ずっと準備。

どんなことでも、それが「全て」になって、そこで閉じてしまうのは、勿体ない。 恋愛でも、仕事でも、勉強でも、人生でも。 どんなことも、部分であり、全体。表裏一体。 いしいしんじさんの言う通り、世界というのは、本当に、予想もしなかった風に、じゃーんと開けていることがある。のりしろを残しておくこと。残っていること。

毎日が、終わりなき準備。ずっと準備期間。
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by sachiolin | 2010-12-03 02:04 | Trackback | Comments(0)

読◇「ぶらんこ乗り」

いしいしんじさんは、初めて読んだ作家だった。
その世界観がいきなり好きすぎて参った。
ひさしぶりに、大好きな物語に出会った。


天才の弟くん。
ごく普通のお姉ちゃん。
静かな額縁職人お父さん。
かわいらしい画家のお母さん。
ドスの利いている大物おばあちゃん。


物語は、いわばお姉ちゃんの回想録。

物語の間中ずっと、そこはかとない
静かなかなしみが底で流れている。
読み始めてすぐにそのかなしみが
通奏低音のように私の耳に聞こえてきた。

それで、私はすぐに引き付けられた。
この切なさは、なんだろうと。



弟くんが書いた、ひらがなばかりの物語は、
ものごとの本質や真実をおどろくほど、
透明に映し出し、どの話も、心がしーんとする。



ぶらんこ乗りの話。
川のお化けの話。
ハト玉の話。
コアラの話。
ナマケモノの話。


光と影。氷の刺。声を失うこと。
心が変わっていくこと。
ぶらんこの揺れ。ゆらぎ。
動物の世界。人間の世界。
善と悪。ほんとうとうそ。
家族。おとなとこども。愛。孤独。
死。生きていくこと。。。


実はいろんなテーマが、深く深く書かれている
ように思う。この「実は」というのが私のツボ。

シンプルで、やわらかくて、わかりやすく、
書かれているけれど、「実は」ものすごいこと
書いてる。むずかしく書くよりやさしく書く方が
ずっとずっと難しいのは、分かっているからこそ
尚更、この透明感と深さに唸ってしまう。


私はなぜだか、村上春樹さんと、よしもとばななさんの
作品を読んだあとの感覚のことを思い出した。

いしいしんじさんは、このふたりの中間くらいに
位置している気がした。村上作品より女性的で、
よしもとばなな作品より男性的。

全く違う3人は、全く違う坑道を掘っているけれど、
掘って掘って、掘り進んだ先の沼のほとりで、
違う3人が、同じ景色を見ているように思えた。



いしいしんじさんの作品は、
その深さを、怖さや冷たさとして
感じさせず、静けさとやさしさとして
昇華させているところに、すごさが
あるように思う。大人も子供も楽しめる
というのは、ものすごいことだ。


おとなからこどもへ
こどもからおとなへ


包まれることと包むこと。
磨かれないことと磨かれることと。
変わらないことと変わること。

ぶらんこみたいに、揺れること。



好きな作家がまたひとり増えた。
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by sachiolin | 2010-10-05 22:10 | 読◇Fiktion | Trackback | Comments(0)
「手をにぎろう!」


 ふたりのぶらんこのりはうまれてからずっと空中でくらしてきた。べんきょうするのもごはんも、ねむるのもずっとぶらんこにのったまま。ふたりのけっこんしきももちろんテントのてっぺんでおこなわれた。しきのおわりに、ふたりはタイミングをあわせて、とてもやさしいキスをいちどした。
 さかさになったおくさんはりょうりがじょうず。だんなさんはサーカスがはじまるまでしんぶんをよんだりトランプをしたりしてじかんをつぶしている。あるあらしのよるに、さかさにぶらさがったおくさんはしんぱいそうにゆかのほうをみあげ、
「きょうはどうぶつがさわぎますねえ」
「きみ、ねつかれないかね」
 だんなさんのほうも、てんじょうのねずみをみあげるみたいに、おりのなかのとらやくまに目をやった。
「あらしのせいでみんなふあんなんだよ。たかいたかい、ぶらんこのうえのわたしたちみたいに、あんぜんじゃないからね。かぜがふけばふきとばされる、かじになればくろこげにもえちゃう」
「あなた、手をにぎってくださいな」
 だんなさんはしんぶんをたたんでせすじをのばし、おおきくぶらんこをゆらしておくさんのほうにふった。いちど手をにぎり、はなれていき、またちかづいてにぎり、そうしてはなれた。
「あなた」
とおくさんはさかさになったままいった。
「わたしたちはずっと手をにぎってることはできませんのね」
「ぶらんこのりだからな」
だんなさんはからだをしならせながらいった。
「ずっとゆれているのがうんめいさ。けどどうだい、すこしだけでもこうして」
と手をにぎり、またはなれながら、
「おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、すてきなこととおもうんだよ」
 ひとばんじゅう、ぶらんこはくりかえしくりかえしいききした。あらしがやんで、どうぶつたちがしずかにねむったあとも、ふたりのぶらんこのりはまっくらやみのなかでなんども手をにぎりあっていた。


(いしいしんじ「ぶらんこ乗り」より)
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by sachiolin | 2010-10-01 22:14 | 空 ( ) | Trackback | Comments(2)