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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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センター

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今日は嬉しいこともあれば、
残念なこともあった。

プラスマイナスゼロダニャー。


よいとか、悪いでは
ないんだろうな。
ただその心の働きがあることを知り、
そして、それに振り回されずに、
その都度、センター戻ってくる。

テニスの選手も、ボール一回ごと
センターに戻ってくるもんね。
そうじゃないと、打ち返せない。


ナニゴトモ バランスダニャー。



今日の言葉*

生命は、あるときは生きている、あるときは死んでいる。生命は生も死も別のない営みで、あるときは生でありあるときは死である。そんなふうにとらえることができたら合点がいきます。
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by sachiolin | 2015-04-30 03:03

それも選択

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選択しないということも
ひとつの選択であるということを、
時に忘れる。

道はあるのではなく、
歩いたら、道になる。



今日の言葉*

何を「気」にして、何を「気」にしないか。その「気配り」が「気分」をつくり、気分がよければ「気前」もよくなる。気前がよければ「運気」もあがり、運気があがれば「気持ち」も晴れる。晴れた気をふりまけば、周りも自然と気分がよくなる。だから今日も気を抜かずに、気合いを入れて、生きていこう。


森田真生さん
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by sachiolin | 2015-04-30 02:59

やわらかな夕暮れ

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空も空気も光も
やわらかな夕暮れだった。

三寒四温というけれど、
五寒三温くらいの雰囲気で、
なんども寒さに揺り戻されながら、
少しずつ少しずつ春になっている。

春はただのどかなだけでなく、
狂気も感じる。生命の狂気だ。

他をかき分けるようにして
ぐんぐんのびる若葉。
命の源がうずまいている。

ぼぅっとしていると、その世界に
のみこまれそうになる桜。
カスミカクモカ。。。
その美しさと散り際の潔さには、
おそれいり、息をのむ。

わたしが時折感じる
そんな春の狂気は、
今日は不思議なほどなかった。

それは、少し遅れて咲く
大好きな八重桜のように、
少しぼてっとした、
やわらかい春の日だった。


広い空を眺めていると
心がのびやかに無限に広がっていった。



今日の言葉*

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳くらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しいとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふらふらと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と


茨木のり子 さくら
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by sachiolin | 2015-04-19 01:37

カラン

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今日はたくさん歩いた。
トンネルには虹があって、
ぼぅっと光っていた。

今日はとてもよい日だったなぁ。
たくさんのことに気づいた。
頭のなかでものごとが散らかっていく
前の感じとは違い、漫画の吹き出しの
ように、考えたことが、考える度に
フッと自分から切り離されて、
プカプカ浮いて風に乗っていった。
サヨウナラ。ヨキタビヲ。

無になれる瞬間が何度もあった。
子どものときはこんな感じだったのかも。

無といっても、空虚でも孤独でもないのだ。
カランとした、よい音がする。


子どもたちというのは、
たくさん遊んでも、
帰るときになると、
もうそれぞれの帰り道へ
そそくさと行く。

あの後腐れのなさというのは
あっぱれだなーと思いながら、
友人の子どもたちを眺めていた。

さっぱりとしていて、
よい音がしている。


カラン。



今日の言葉✳︎

それ観というものは、無観をもって正観とする。 多くの観あるものを邪観とするのである。先にそなたは多観のために
この重症になった。今これを救うのに無観をもってするのが一番よいのではないか。 そなたがもし、心の炎、意の火という心火上昇を収めて、丹田足心の間においたならば、胸の中は自然に清涼となり、ああでもないこうでもないと思いめぐらすことが一点もなくなり、分別意識や心情の波は一滴もなくなるであろう。
これが観音経にいう「真観清浄観」である。

白隠禅師
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by sachiolin | 2015-04-10 00:51