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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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あやとり

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道をはさんで、電線で
あやとりしているみたいだった。
木が気持ちよさそうだった。

夕空好きだなぁ。
光の束が降りていく。



今日の言葉✳︎
思考するときの私たちは
光のなかを生きています

シュタイナー
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by sachiolin | 2014-04-26 20:43

ビルのタイル

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「かなしみと同じ深さに
楽しさもあるかもよ。」


夕方のビルは、夜に沈んでいく光を、てろんと、水のなかのように通していた。魚の鱗のようにぬめりとしたビルのタイルは、どこか深海を思わせた。仕事の帰り道で足を止めて、しばしそのてろんとした光を眺めていたら、数ヶ月前に肩にポンと手をやるようにポンと置いてくれた言葉をふと思い出した。かなしみの場所には、ただひたすらかなしみしかないと思っていた私にとっては、ハッとするような言葉だった。かなしみの場所には、たった一人しかいないはずなのに、いつの間にかその子は隣りで一緒に体育座りをして、そうやって私の肩に手を置いた。もしそうだったら、楽しいじゃないか、そうだったら、それはどんな楽しさなのだろうと、ほんのりやわらかい気持ちになった。くみちゃん、げんきかな。
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by sachiolin | 2014-04-24 21:13

しだれざくら

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枝垂れ桜見つけた(*^^*)

通ったことのない道を通ると、
思わぬ出会いがある。

たまには、道にわざと迷うのもよい。

枝垂れ桜ってほんとすきだなぁ。
なんて美しいのだろう。。


今日の言葉✳︎
踊りの間と云ふものに二種ある。教へられる間と教へられない間だ。取分け大切なのは教へられない方の間だけれど、これは天性持つて生れて来るものだ、教へて出来る間は間(あいだ)と云ふ字を書く。教へても出来ない間は魔の字を書く。私は教へて出来る間を教へるから、それから先きの教へやうのない魔の方は、自分の力で索りあてる事が肝腎だ。

尾上菊五郎「芸」
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by sachiolin | 2014-04-16 19:44

手を開いてごらん

「大切なものを、大切にし過ぎて
ずっと握りしめていると、
手の中で、シュンと萎んでしまうよ。

風を通してごらん
手を開いてごらん
握りしめるのをやめてごらん」
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by sachiolin | 2014-04-16 15:33 | 声¢

小さいことを

「小さいことを気にしなさんな
いろいろと決めつけなさんな

もっと広いところ
もっと遠いところ
もっとあたたかなところへ
向かいなさいな」
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by sachiolin | 2014-04-16 15:27 | 声¢
●(まず人間の居住条件として)狭い仮設住宅に3年間も押し込められているのは酷い(精神面での負担も大きい)。
●(チェルノブイリ事故後の避難地域設定に比べても)福島第一原発事故後に日本政府が定めた避難地域は狭すぎる。もっと広い地域がひどい汚染状態にある。

●年間被曝量が1m/Sv以下であるべきなのに、年間20m/Svにしているのは医学者として受け入れがたい。放射線量の計測も第3者が行うのでなく、業者任せというのは無責任。



●福島では、すでに子どもたちの喉に悪性腫瘍が見つかり、手術をした子が何人もいる、というが(20年以上も前で)技術水準も低かった当時(チェルノブイリ事故後)のウクライナで起きたことを見ても、問題はこんなものではすまない。子どもの悪性腫瘍の事例は、今後時間の経過とともにさらに増えるだろう。

●チェルノブイリ事故後、ベラルーシなどでは夏休みの時期、幼児から少年少女までを母親とともに安全な(放射線量の低い)地域に連れて行き、一定期間過ごすようにするとかなりの程度健康を回復することがわかっている。こうした転地療法はやった方が良い。

●日本政府はセシウム137を計測しているが、一層危険なのはストロンチウム90だ。セシウムはある程度体外に排出されるが、ストロンチウム90は、いったん体内に入ったら骨や歯の中にこびりつき排出されず、放射線を出して骨細部御などを傷つけ続けていく。

●チェルノブイリ事故後10年の経緯を見ると、とりわけ食物や飲料水を通した内部被曝は一層深刻な問題だ。

ジャガイモや米・穀類など、地中から直接養分を蓄える食物などから体内に入る、ストロンチウム90の影響は絶対に軽視してはならない。リンゴなどは葉と茎に放射能が蓄積する。人々が毎日簡単に食物の安全性、放射能汚染の程度を計測できるように計測機を各地に配備するべきだ。

●現在の避難地域より広範な範囲で、内部被曝の程度を最低でも半年に一度は計測し、人々の内部被曝の状況を監視するべきだ(1年ごとでは不十分)。

●チェルノブイリ事故後、ウクライナやベラルーシで、赤ちゃんが子どもに、青年に、そして成人になって、様々な障害が出てきているのと同じようなことが福島でも今後考えられる。

●原子力規制委員会は、再び原発稼働の許可を与える方針のようだが、(事故の原因究明も収束も何も進まない状況下で再稼働を認めるなど)個人的には理解できない。

●東北電力の女川原発は、大震災でも(奇跡的に)持ちこたえたが、日本は地震国、事故が起きた時の対価を考えると原発再稼働は何としても避けるべきだろう。


デルテ・ズィーデントプフ博士
(Dr.Doerte Siedentopf)”

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by sachiolin | 2014-04-13 13:40 | 引用::

カラムシザワさん

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最近葈沢さんにお世話になっている。「カラムシザワです」と名刺を渡されたとき、「え?か、カラムシザワさん・・?」と聞き直し、渡されたものをじーっと見てしまった。「はい、カラムシザワです。」と、少しゆっくりめに発音し、カラムシザワさんは、まあるい笑顔を向けてくれた。それは、今までに何度も何度も「カラムシザワですか?」と聞かれて、「はい、カラムシザワです」と答えてきた歴史と風格と器を感じた。こちらの要望にも、誠実に丁寧に答えてくださり、ある程度の距離感もあり、アグレッシブには決してならず、節度があり、中庸を行く方。風貌もお名前も、村上春樹の小説に出てきそう。

カラムシというのは、虫ではなくて、草。

今でこそしつこい雑草として嫌われる場合もあるが、茎の皮からは衣類、紙、さらには漁網にまで利用できる丈夫な靭皮繊維が取れるため、分布域では6000年前から栽培されてきた。このため日本に自生するカラムシは、繊維用に有史以前から栽培されてきたものが野生化した、史前帰化植物であった可能性が指摘されている。『日本書紀』持統天皇7年(693年)条によれば、天皇が詔を発して役人が民に栽培を奨励すべき草木の一つとして「紵(カラムシ)」が挙げられている。

カラムシってば、すごい。カラムシザワさんってば。。


今日の言葉*
原因論「不安だから外に出られない」
目的論「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」
と考える。
では、なぜ外に出たくないのか、不安という感情を
作り出しているのはなぜなのか、そこから具体的に行動に移していく。

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by sachiolin | 2014-04-13 13:37

芍薬

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立てば芍薬
座れば牡丹
歩く姿は百合の花


美しい。

花にも表と裏、正面と背面、顔と背中
みたいなものがあるよなぁと、しげしげと色々な角度で、愛おしく眺めてしまった。昔から思っていたが、花びらや葉の裏側というのも、何とも美しいものだ。芍薬は、そのなんといっても、首すじのところが、はんなりと艶っぽい。スーッとのびた首すじを惚れ惚れと眺めていると、その凛とした佇まいに、思わずこちらも姿勢がシャンとしてきたりして。ある先生が、花と対面するときに、この花は、どういう風に、どんな景色で、どちらを向いて咲いていたのだろう?と想像してみてくださいと、仰っていたのを思い出す。花との時間は楽しい。植物には植物の時が流れていて、雲には雲の、人には人の時が流れている。花の時に身を委ねると、ふと、ピタリと、人と花が出会う間がある。それからいつの間にか、花の身体に、自分の身体がとけこんでくると、面白い。ピタリと合ってからは、ゆるるりと添っていく。それから、風の吹くのを待つ。

植物の神秘生活という本を知った。
いつか必ず読みたい。


今日の言葉✳︎
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめながら
生き抜いている人もいますもの

歳月 / 茨木のり子
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by sachiolin | 2014-04-13 02:12

ます


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by sachiolin | 2014-04-11 16:46

雪崩

たとえば、道に人が歩いていて、桜の木は空に向かって枝をのばし、道端の石は沈黙し、信号は赤青黄色に明滅する。鳥は羽ばたき、美容院のシャッターが降り、誰かが部屋の電気を点ける。そのどれもが欠けてもこの世界や風景は今を成り立せず、そのどれもが絶妙に調和している。そのハーモニーにとける。ただそこにあるという無数の現象が、これ以上ないというタイミングで、今の今を生み、そして死んでいく。たまにその豊かさが雪崩のように自分を覆うときがあり、そのときは、抗いもせず、はじめと同じように、ただそこにいる。そして、そもそもこうだったのだなといつも気づくのだ。わたしが、美しさを感じるときは、いつもその雪崩に覆われている。そこには、あらゆるものの、存在の美しさしかない。そのもの自体の醜ささえも、それが存在するということの美しさにおいて、到底かなわないのだ。



今日の言葉✳︎

あんまり誰かを崇拝するのは、
自分の自由を失うことだよ

スナフキン
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by sachiolin | 2014-04-09 20:28