sachiolin.exblog.jp

わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2012年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

風 ∬ 宮沢賢治

中等学校生徒諸君
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性はただ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ
むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ
諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか
新たな詩人よ
雲から光から嵐から透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て
衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ
新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少くとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである
潮や風……
あらゆる自然の力を用ひ尽くして
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか

(宮沢賢治)
[PR]
by sachiolin | 2012-07-29 01:47 | 風 ∬
イチロー選手の会見。
さすがだな。ぐっとくるものがある。

20代、オーディションを沢山受けていたころは、
「イチロー262のメッセージ」という本をお守りにしていた。
迷いや不安が起きた時に、イチロー選手の言葉は
一番スッと心に入ってきた。一番自分を見直せた。


イチロー選手、新天地でも、素晴らしいご活躍を!







今日の言葉*

「人間は以下のようなことができないといけない。オムツを替える、侵略を計画する、ブタを屠殺する、船の操縦を指揮する、ビルを設計する、ソネットを書く、経理会計を行う、壁を築く、骨折の手当をする、死にかけている人を慰める、注文を取る、命令を出す、協力する、1人で行動する、方程式を解く、新たな問題を分析する、肥料をやる、コンピューターをプログラムする、おいしい食事を作る、効率よく闘う、立派な態度で死を迎える」

(ロバート・ハインライン/SF作家)
[PR]
by sachiolin | 2012-07-26 01:44 | 観■TV

viva 本屋さん !

丸の内の、松丸本舗が9月末で閉店するのだという。
非常に残念だなあ。うーん残念だなあ。

普段は、どうしても読みたい新書以外は、
のんびりと古本屋さんで買うタイプの私も、
あの博覧強記の松岡正剛さんの選び抜いた
魅力的な本たちが並ぶ空間を訪れると、
どうしても、毎回、2~3冊は買ってしまったものだ。

棚自体も、流線形になっていたり、
高さも幅も、いろいろすごく工夫されていて、
あっちからもこっちからも、本が語りかけてくるし、
何より、何だか本が生き生きとして嬉しそうなのだった。

本屋さんって、本当に銀河のような無限の広がりを
感じる場所。そのなかに、旅するように泳いでいくと
そのときの自分に、キラっと光る星が必ずある。
松丸本舗などは、関連本の置き方が絶妙で、
おぉぉこんなところに、こんな星も!と、
すぐに自分のなかに新しい星座ができていく。


本屋さんという場所が、本当に好き。


今日も、たまたま、代官山の蔦谷書店に行ってきた。
建物の周りには樹が配置されていたり、内装も
静かな落ち着いた空間で、なかなかよかった♪
雑誌も、海外のものを含めものすごい数が
そろっていて、こんなに雑誌というものが
世の中にはあるのか・・・としばし呆然とした。

青山ブックセンターも、ものすごくセンスを感じた。
人の視線というものを分かっているなーと
思った。本が自然に飛び込んでくる。
色んな意味で、きっとここの書店の人たちは、
本が好きなんだなーというのが、伝わってきた。

まあ、でも、なんといっても、一番すごいのは、
神保町の古本屋さんだろうなあ。
あそこは、何度行っても、大宇宙。
到底旅しきれない。広大すぎる。すばらしすぎる。
あの町があることは、本当に日本の財産だなあと感じる。
魅力的な喫茶店も、たくさんある。買った本にホクホクしながら、
美味しい珈琲をじっくりいただく。最高ですね。
先日行った、ラドリオ
とってもステキだったな。
これからもっと色々開拓したい。



さてさて、松丸本舗で、出会って、思わず買ってしまった一冊が、
岡島 瑞徳著「五感が息づけば体が甦る!新整体入門

これがなかなか味わい深い本。
何だか、ここ数日体調がよくないので、
読み直している。季節の変わり目だからか、
今までの疲れがどっと出たのか。うーん。
鼻が乾燥していて辛い。こんなに世の中は
湿気ているというのに。。どうしたのかな。


これから暑い夏がやってくる。
帰国してからもうすぐ2年になる。
心身ともに日本仕様に、なるのに、
ナンダカンダと時間がかかるのかもしれないな。

7月は特別忙しかった。疲れたなあ。
8月は、ちょっとゆっくりしたい。


みなさまも、よい夏を。




今日の言葉*

本というのは、実はコンピュータにも匹敵するすぐれた装置だと思っています。目次があり、見出しがあり、パッと開けば自分の読みたいページが出てくる。本自体が持っている使い勝手のよさは、コンピュータでもなかなかかなわない。これは人類が発明した装置の中では、最大のもののひとつだと思いますね。

じっくり読みたい時はゆっくりと読める。あるいは、この先どうなるかと心が急く時は、どんどんページを繰っていく。これは電子ブックにはないんです。『ページ風を立てる』という言い方がありますが、これは電子ブックではどうやってもできない。特に小説にいたっては、最初の1行から最後の1行に至る作品が作り出す時間の流れというものがあります。それは電子ブックだと見えないんですね。うまく言えないんですけど、全体が見通せないというんでしょうか・・・・・」


「生活の質を高めるということを考えると、いちばん確実で、手っとり早い方法は、本を読むことなんですね。本を読み始めると、どうしても音楽とか絵とか、彫刻とか演劇とか、人間がこれまで作り上げてきた文化のひろがり、蓄積に触れざるを得ない。人間は、自然の中で生きながらも、人間だけのものをつくってきた。それが本であり、音楽であり、演劇や美術である。いい悪いは別にして、人間の歴史総体が真心をこめてつくってきたもの、その最大のものが本なんです」


(井上ひさし「本の運命」)
[PR]
by sachiolin | 2012-07-26 01:23

考○ 抑制 

人間は、思い込む、勘違いする、間違う。それは、何と恐しく、ま​た何と豊かなことだろう。この世界を分断できるのも、この世界を​なめらかにできるのも、人間ならではの仕業だ。だからこそ、人間​は人間らしさを自覚し、己に対する抑制が必要になってくる。


今日の言葉*

「神は細部に宿る」
[PR]
by sachiolin | 2012-07-13 00:31 | 考〇

風 ∬ 風通しのよさ 

先日、偶然にお会いしたあの方。あの方の纏っていたあの空気が忘れられない。鋭さと柔らかさ、刀と器。天才って本当にいるんだなあと、呆気にとられた。 突き抜けている人は、風通しがよい。風が吹いてくる。気持ちがよい。人は、風を起こせるんだな。色んな風を。ひとりひとり違う風を持っている。人は、動く風車なのかも。


今日の言葉*

「心というのは、自分自身ではなく、付き合い難い隣人のような存在です」「心をあきらめる。心をこめるのではなく、心は放っておけ。そうすれば自分自身に戻ってこれる」「怖れというのは、流れにたいして抵抗していること。そういう意味で、怖れは 怒りなんです。」 「エネルギーを鬱滞させていると、そのエネルギーが腐るんです。だから病気に なる。エネルギーは十全に使っていないと病気になりやすくなる」「いま自分が得ているものが、ある瞬間すべてを失う可能性はいつもあるんだ、 と日に1回は自分に言い聞かせています。そういう意味では〈怯え・怖れ〉と生きるということは表裏一体。人生がわかってきたと思えるんじゃないかな」

名越康文先生
[PR]
by sachiolin | 2012-07-06 02:53 | 風 ∬

あふれてくる、今。

ベートーヴェンの音楽があまりに美しすぎて、弾きながら泣きそうになってしまった。。深い藍色の夜空が思い浮かぶ。世界がやさしく染み込んでくる。満ち足りる。 夜空の向こう側にも、心の手がのびていく。遠くにいる誰かと地平線の先でやさしく握手をする。世界がなめらかにのびやかに深呼吸する。ひとつになる。全てになる。 ただ、今、であること、それは、何と美しいことだろう。没入するのでもなく、つかまえるのでもなく、あふれ出てくる、今がある。今があふれてくると、何もこわくない。



今日の言葉*

神秘を語ることはできない。
神秘に憑かれなくてはならない。
(ルネ・マグリット)
[PR]
by sachiolin | 2012-07-05 14:19
今日は、時間のこと、時のこと、今のこと、コマ割りのこと、
アニメのことを考えていたら、偶然この作品と出会った。

じっと引き込まれるように、見ていたら、次第に、
子どもに戻っていくような気持ちになった。
子どもの眼差しを呼び覚まされた。
子どものときの時空間が甦ってきた。

時が流れるというよりは、時がとまる。


不思議な世界
夢のような世界
と同時に存在する
鮮烈なリアリズム

懐かしさと恐ろしさと愛おしさ
リンゴの水滴の美しさの純度


赤ん坊
子守唄

オオカミ
リンゴ
水滴

テーブルクロス
縄跳び
落ち葉


白い紙
ゆりかご



PCでみると、ちょっと何かが違うな。。。大画面で、
暗がりのなかで、静けさのなかで、見たいものだ。




















これもすごくよいなあ






今日の言葉*

芸術史を見ると、それは人間の情熱の歴史です。私は追体験という意味の「ぺレジバーニエ」という言葉を使います。芸術史は巨大な「ぺレジバーニエ」なんです。これは何らかの原因で、絶えず絶えず、呼び起こさなければいけないのです。 赤ちゃんが泣くという時は、これは言葉抜きで周囲に自分を理解してほしい、泣いている原因をわかってほしい、という希求から泣くのです。お母さんにわかってもらいたい、というもっとも単純な行動なんです。芸術家たちもこのように語らなければいけないのです。このように、ただ赤ちゃんが泣くように、芸術家たちは語らなければいけないんです

ユーリー・ノルシュタイン
[PR]
by sachiolin | 2012-07-03 00:44 | 観■Film

[PR]
by sachiolin | 2012-07-02 03:01 | 観■TV
これ、見たかったんだ!




ひえーーー超面白ーい ワクワクする
シャワーカーテンやパンの譬えも分かりやすい!
素晴らしいなあこの方。感動。本も読もう。








そして、宇宙的存在バシャ―ル…興味深い


[PR]
by sachiolin | 2012-07-02 02:46 | 観■TV

引用:: 方丈記

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつゝ(しイ)心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。七珍萬寳、さながら灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二(一イ)に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ邊際を知らず。人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。』また治承四年卯月廿九日のころ、中の御門京極のほどより、大なるつじかぜ起りて、六條わたりまで、いかめしく吹きけること侍りき。三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家ども、大なるもちひさきも、一つとしてやぶれざるはなし。さながらひらにたふれたるもあり。けたはしらばかり殘れるもあり。又門の上を吹き放ちて、四五町がほど(ほかイ)に置き、又垣を吹き拂ひて、隣と一つになせり。いはむや家の内のたから、數をつくして空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなりとよむ音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の業風なりとも、かばかりにとぞ覺ゆる。家の損亡するのみならず、これをとり繕ふ間に、身をそこなひて、かたはづけるもの數を知らず。この風ひつじさるのかたに移り行きて、多くの人のなげきをなせり。つじかぜはつねに吹くものなれど、かゝることやはある。たゞごとにあらず。さるべき物のさとしかなとぞ疑ひ侍りし。』又おなじ年の六月の頃、にはかに都うつり侍りき。いと思ひの外なりし事なり。大かたこの京のはじめを聞けば、嵯峨の天皇の御時、都とさだまりにけるより後、既に數百歳を經たり。異なるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人、たやすからずうれへあへるさま、ことわりにも過ぎたり。されどとかくいふかひなくて、みかどよりはじめ奉りて、大臣公卿ことごとく攝津國難波の京に(八字イ無)うつり給ひぬ。世に仕ふるほどの人、誰かひとりふるさとに殘り居らむ。官位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりとも、とくうつらむとはげみあへり。時を失ひ世にあまされて、ごする所なきものは、愁へながらとまり居れり。軒を爭ひし人のすまひ、日を經つゝあれ行く。家はこぼたれて淀川に浮び、地は目の前に畠となる。人の心皆あらたまりて、たゞ馬鞍をのみ重くす。牛車を用とする人なし。西南海の所領をのみ願ひ、東北國の庄園をば好まず。その時、おのづから事のたよりありて、津の國今の京に到れり。所のありさまを見るに、その地ほどせまくて、條里をわるにたらず。北は山にそひて高く、南は海に近くてくだれり。なみの音つねにかまびすしくて、潮風殊にはげしく、内裏は山の中なれば、かの木の丸殿もかくやと、なかなかやうかはりて、いうなるかたも侍りき。日々にこぼちて川もせきあへずはこびくだす家はいづくにつくれるにかあらむ。なほむなしき地は多く、作れる屋はすくなし。ふるさとは既にあれて、新都はいまだならず。ありとしある人、みな浮雲のおもひをなせり。元より此處に居れるものは、地を失ひてうれへ、今うつり住む人は、土木のわづらひあることをなげく。道のほとりを見れば、車に乘るべきはうまに乘り、衣冠布衣なるべきはひたゝれを着たり。都のてふりたちまちにあらたまりて、唯ひなびたる武士にことならず。これは世の亂るゝ瑞相とか聞きおけるもしるく、日を經つゝ世の中うき立ちて、人の心も治らず、民のうれへつひにむなしからざりければ、おなじ年の冬、猶この京に歸り給ひにき。されどこぼちわたせりし家どもはいかになりにけるにか、ことごとく元のやうにも作らず。ほのかに傳へ聞くに、いにしへのかしこき御代には、あはれみをもて國ををさめ給ふ。則ち御殿に茅をふきて軒をだにとゝのへず。煙のともしきを見給ふ時は、かぎりあるみつぎものをさへゆるされき。これ民をめぐみ、世をたすけ給ふによりてなり。今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。』又養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覺えず、二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうちつゞきて、五※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、544-14]ことごとくみのらず。むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、秋かり冬收むるぞめきはなし。これによりて、國々の民、或は地を捨てゝ堺を出で、或は家をわすれて山にすむ。さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらにそのしるしなし。京のならひなに事につけても、みなもとは田舍をこそたのめるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ。念じわびつゝ、さまざまの寳もの、かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目みたつる人もなし。たまたま易ふるものは、金をかろくし、粟を重くす。乞食道の邊におほく、うれへ悲しむ聲耳にみてり。さきの年かくの如くからくして暮れぬ。明くる年は立ちなほるべきかと思ふに、あまさへえやみうちそひて、まさるやうにあとかたなし。世の人みな飢ゑ死にければ、日を經つゝきはまり行くさま、少水の魚のたとへに叶へり。はてには笠うちき、足ひきつゝみ、よろしき姿したるもの、ひたすら家ごとに乞ひありく。かくわびしれたるものどもありくかと見れば則ち斃れふしぬ。ついひぢのつら、路頭に飢ゑ死ぬるたぐひは數もしらず。取り捨つるわざもなければ、くさき香世界にみちみちて、かはり行くかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。いはむや河原などには、馬車の行きちがふ道だにもなし。しづ、山がつも、力つきて、薪にさへともしくなりゆけば、たのむかたなき人は、みづから家をこぼちて市に出でゝこれを賣るに、一人がもち出でたるあたひ、猶一日が命をさゝふるにだに及ばずとぞ。あやしき事は、かゝる薪の中に、につき、しろがねこがねのはくなど所々につきて見ゆる木のわれあひまじれり。これを尋ぬればすべき方なきものゝ、古寺に至りて佛をぬすみ、堂の物の具をやぶりとりて、わりくだけるなりけり。濁惡の世にしも生れあひて、かゝる心うきわざをなむ見侍りし。』又あはれなること侍りき。さりがたき女男など持ちたるものは、その思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづゆづるによりてなり。されば父子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちて死にける。又(父イ)母が命つきて臥せるをもしらずして、いとけなき子のその乳房に吸ひつきつゝ、ふせるなどもありけり。仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ、かずしらず死ぬることをかなしみて、ひじりをあまたかたらひつゝ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁をむすばしむるわざをなむせられける。その人數を知らむとて、四五兩月がほどかぞへたりければ、京の中、一條より南、九條より北、京極より西、朱雀より東、道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百あまりなむありける。いはむやその前後に死ぬるもの多く、河原、白河、にしの京、もろもろの邊地などをくはへていはゞ際限もあるべからず。いかにいはむや、諸國七道をや。近くは崇徳院の御位のとき、長承のころかとよ、かゝるためしはありけると聞けど、その世のありさまは知らず。まのあたりいとめづらかに、かなしかりしことなり。』また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころかとよ。おほなゐふりて、東大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。』すべて世のありにくきこと、わが身とすみかとの、はかなくあだなるさまかくのごとし。いはむや所により、身のほどにしたがひて、心をなやますこと、あげてかぞふべからず。もしおのづから身かずならずして、權門のかたはらに居るものは深く悦ぶことあれども、大にたのしぶにあたはず。なげきある時も聲をあげて泣くことなし。進退やすからず、たちゐにつけて恐れをのゝくさま、たとへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。もし貧しくして富める家の隣にをるものは、朝夕すぼき姿を耻ぢてへつらひつゝ出で入る妻子、僮僕のうらやめるさまを見るにも、富める家のひとのないがしろなるけしきを聞くにも、心念々にうごきて時としてやすからず。もしせばき地に居れば、近く炎上する時、その害をのがるゝことなし。もし邊地にあれば、往反わづらひ多く、盜賊の難はなれがたし。いきほひあるものは貪欲ふかく、ひとり身なるものは人にかろしめらる。寶あればおそれ多く、貧しければなげき切なり。人を頼めば身他のやつことなり、人をはごくめば心恩愛につかはる。世にしたがへば身くるし。またしたがはねば狂へるに似たり。いづれの所をしめ、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし玉ゆらも心をなぐさむべき。』我が身、父の方の祖母の家をつたへて、久しく彼所に住む。そののち縁かけ、身おとろへて、しのぶかたがたしげかりしかば、つひにあととむることを得ずして、三十餘にして、更に我が心と一の庵をむすぶ。これをありしすまひになずらふるに、十分が一なり。たゞ居屋ばかりをかまへて、はかばかしくは屋を造るにおよばず。わづかについひぢをつけりといへども、門たつるたづきなし。竹を柱として、車やどりとせり。雪ふり風吹くごとに、危ふからずしもあらず。所は河原近ければ、水の難も深く、白波のおそれもさわがし。すべてあらぬ世を念じ過ぐしつゝ、心をなやませることは、三十餘年なり。その間をりをりのたがひめに、おのづから短き運をさとりぬ。すなはち五十の春をむかへて、家をいで世をそむけり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官祿あらず、何につけてか執をとゞめむ。むなしく大原山の雲にふして、またいくそばくの春秋をかへぬる。』こゝに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉のやどりを結べることあり。いはゞ狩人のひとよの宿をつくり、老いたるかひこのまゆをいとなむがごとし。これを中ごろのすみかになずらふれば、また百分が一にだもおよばず。とかくいふ程に、よはひは年々にかたぶき、すみかはをりをりにせばし。その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二輌なり。車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、落日をうけて、眉間のひかりとす。かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置く。すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶるよすがとす。庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。すなはちもろもろの藥草をうゑたり。かりの庵のありさまかくのごとし。その所のさまをいはゞ、南にかけひあり、岩をたゝみて水をためたり。林軒近ければ、つま木を拾ふにともしからず。名を外山といふ。まさきのかづらあとをうづめり。谷しげゝれど、にしは晴れたり。觀念のたよりなきにしもあらず。春は藤なみを見る、紫雲のごとくして西のかたに匂ふ。夏は郭公をきく、かたらふごとに死出の山路をちぎる。秋は日ぐらしの聲耳に充てり。うつせみの世をかなしむかと聞ゆ。冬は雪をあはれむ。つもりきゆるさま、罪障にたとへつべし。もしねんぶつものうく、どきやうまめならざる時は、みづから休み、みづからをこたるにさまたぐる人もなく、また耻づべき友もなし。殊更に無言をせざれども、ひとり居ればくごふををさめつべし。必ず禁戒をまもるとしもなけれども、境界なければ何につけてか破らむ。もしあとの白波に身をよするあしたには、岡のやに行きかふ船をながめて、滿沙彌が風情をぬすみ、もし桂の風、葉をならすゆふべには、潯陽の江をおもひやりて、源都督(經信)のながれをならふ。もしあまりの興あれば、しばしば松のひゞきに秋風の樂をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。藝はこれつたなけれども、人の耳を悦ばしめむとにもあらず。ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかりなり。』また麓に、一つの柴の庵あり。すなはちこの山もりが居る所なり。かしこに小童あり、時々來りてあひとぶらふ。もしつれづれなる時は、これを友としてあそびありく。かれは十六歳、われは六十、その齡ことの外なれど、心を慰むることはこれおなじ。あるはつばなをぬき、いはなしをとる(りイ)。またぬかごをもり、芹をつむ。或はすそわの田井に至りて、おちほを拾ひてほぐみをつくる。もし日うらゝかなれば、嶺によぢのぼりて、はるかにふるさとの空を望み。木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地はぬしなければ、心を慰むるにさはりなし。あゆみわづらひなく、志遠くいたる時は、これより峯つゞき炭山を越え、笠取を過ぎて、岩間にまうで、或は石山ををがむ。もしは粟津の原を分けて、蝉丸翁が迹をとぶらひ、田上川をわたりて、猿丸大夫が墓をたづぬ。歸るさには、をりにつけつゝ櫻をかり、紅葉をもとめ、わらびを折り、木の實を拾ひて、かつは佛に奉りかつは家づとにす。もし夜しづかなれば、窓の月に故人を忍び、猿の聲に袖をうるほす。くさむらの螢は、遠く眞木の島の篝火にまがひ、曉の雨は、おのづから木の葉吹くあらしに似たり。山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かとうたがひ、みねのかせきの近くなれたるにつけても、世にとほざかる程を知る。或は埋火をかきおこして、老の寐覺の友とす。おそろしき山ならねど、ふくろふの聲をあはれむにつけても、山中の景氣、折につけてつくることなし。いはむや深く思ひ、深く知れらむ人のためには、これにしもかぎるべからず。大かた此所に住みそめし時は、あからさまとおもひしかど、今ま(すイ)でに五とせを經たり。假の庵もやゝふる屋となりて、軒にはくちばふかく、土居に苔むせり。おのづから事のたよりに都を聞けば、この山にこもり居て後、やごとなき人の、かくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその數ならぬたぐひ、つくしてこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞかりの庵のみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、ひる居る座あり。一身をやどすに不足なし。がうなはちひさき貝をこのむ、これよく身をしるによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人をおそるゝが故なり。我またかくのごとし。身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、たゞしづかなるをのぞみとし、うれへなきをたのしみとす。すべて世の人の、すみかを作るならひ、かならずしも身のためにはせず。或は妻子眷屬のために作り、或は親昵朋友のために作る。或は主君、師匠および財寳、馬牛のためにさへこれをつくる。我今、身のためにむすべり、人のために作らず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべきやつこもなし。たとひ廣く作れりとも、誰をかやどし、誰をかすゑむ。』それ人の友たるものは富めるをたふとみ、ねんごろなるを先とす。かならずしも情あると、すぐなるとをば愛せず、たゞ絲竹花月を友とせむにはしかじ。人のやつこたるものは賞罰のはなはだしきを顧み、恩の厚きを重くす。更にはごくみあはれぶといへども、やすく閑なるをばねがはず、たゞ我が身を奴婢とするにはしかず。もしなすべきことあれば、すなはちおのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。もしありくべきことあれば、みづから歩む。くるしといへども、馬鞍牛車と心をなやますにはしか(二字似イ)ず。今ひと身をわかちて。二つの用をなす。手のやつこ、足ののり物、よくわが心にかなへり。心また身のくるしみを知れゝば、くるしむ時はやすめつ、まめなる時はつかふ。つかふとてもたびたび過さず、ものうしとても心をうごかすことなし。いかにいはむや、常にありき、常に働(動イ)くは、これ養生なるべし。なんぞいたづらにやすみ居らむ。人を苦しめ人を惱ますはまた罪業なり。いかゞ他の力をかるべき。』衣食のたぐひまたおなじ。藤のころも、麻のふすま、得るに隨ひてはだへをかくし。野邊のつばな、嶺の木の實、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじらはざれば、姿を耻づる悔もなし。かてともしければおろそかなれども、なほ味をあまくす。すべてかやうのこと、樂しく富める人に對していふにはあらず、たゞわが身一つにとりて、昔と今とをたくらぶるばかりなり。大かた世をのがれ、身を捨てしより、うらみもなくおそれもなし。命は天運にまかせて、をしまずいとはず、身をば浮雲になずらへて、たのまずまだしとせず。一期のたのしみは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の望は、をりをりの美景にのこれり。』それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし。今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。』そもそも一期の月影かたぶきて餘算山のはに近し。忽に三途のやみにむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。佛の人を教へ給ふおもむきは、ことにふれて執心なかれとなり。今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。』しづかなる曉、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく、世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむがためなり。然るを汝が姿はひじりに似て、心はにごりにしめり。すみかは則ち淨名居士のあとをけがせりといへども、たもつ所はわづかに周梨槃特が行にだも及ばず。もしこれ貧賤の報のみづからなやますか、はた亦妄心のいたりてくるはせるか、その時こゝろ更に答ふることなし。たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ。時に建暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。

「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」。




(青空文庫
[PR]
by sachiolin | 2012-07-02 00:35 | 引用::