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わたしの心の風景メモ。 


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空 ( ) 高橋悠治さん

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掠 れ書き16(漂う舟のように)  高橋悠治

記憶は、崩れていく廃墟か、過去は偶然の出会いの堆積か。予想しなかった状況に出会い、切り抜けてきた経験が個人の歴史と行動様式をつくる。 それは一時的な安定だが、仮の足場として、隠れ家として、夢みるための繭として使えるだろう。

道は世界より前にうごきはじめていた。時間も空間もうごいていくものに追いすがる尺度にすぎない。この世界には構造も要素もあらかじめあたえ られていないから、うごきの軌跡が場をつくる、それを構造と呼ぼうか、要素はうごきを跡づけるとき、ところどころに打たれる目印、構造に先 立って選ばれ、構造を組み上げる素材となる実体というよりは、うごきの名残りとして燠火のように見え隠れする幻影ということになる。楽譜の上 では、まだ鳴っていない音もページの上で見えているから、空間配置のようにして音楽の構成を考えることもできる。音楽家のあいだで作曲家の地 位が上がるにつれて、紙の上の設計図にしたがって音楽の細部までが決められるようになった。だが音は記号ではないし、音楽は記号操作とはちが う。いま聞こえているメロディーは5分前に聞こえたものとおなじではない。いま聞こえているメロディーと言っても、じつは記憶がむすびつけて いる音の残像から立ち上がるイメージでしかないが、楽譜を離れて音を聞く体験とはこんなにも頼りないもので、それだからこそ心を惹きつけ、説 明できない
出会いの印象が いつか思いがけなく遠い過去のように水中花となって立上ってくることもあるのかもしれない。

偶然は向こうから落ちかかるもの、それを避けようとして曲がり、あるいはそれに添ってめぐり、方向を変えて、行先のない旅になる。先が見えな くても「一瞬先は闇」の不安ではなく、日常はそこにいるだけなのがあたりまえで、いまここはどこかとあたりを見回す余裕もなく、次々に無意識 のトンネルに落ち込んで忘れられる瞬間があり、現在とはそういうこととするならば、地図の上でここからそこへと設定された目標と道筋をひたす ら 先へと辿るのではなく、歩くにつれて見知らぬ風景がすこしずつ現れてくるなりゆきのなかで、流れる水のように過ぎて帰らぬ線ではなく、記憶の なかを探り、浮かび上がる断片をそのつどの手がかりに迷い逸れて、追いついてくる時間や空間がさしだす線や枠からはずれる。

17世紀の日本には構造や全体から俯瞰されるのではない、プロセスの芸術があった。書院造、回遊式庭園、蕉風連句など、要素の配分や位置では なく、まず歩き出しうごきだすものが通りすぎる部屋の空間のちがい、視線をさえぎり方向を変えて回りこむと見えてくるものと隠れるものが、全 体を予感させないで、移ること、前の空間と次の空間のあいだに起こる連続と転換が、それぞれの空間を独立したものとしながらも、前の場の見え てない部分をきっかけとして次の場にひらき、次の場によって前の場をちがう文脈で見せる、これは庭や家ではなく、机の上の白紙に書き込まれる 瞬間に現れる連句の集団即興の場合、書きつづけて書き終わるまで全体は姿を現さないあそびには、ただ書きつづけるという以外に何の根拠も保証 もない。式目や句法は場の限界を消極的に監視する規則だとしても、規則にはいつも例外があり、プロセスの推進力のほうが優先して、そのたびに 伝統を組み直していく。

ここに西洋的な構成主義と日本的な感性の対立を見るのは意味のないナショナリズムで、老子の道もエピクロス派のクリナメンも、オートポイエー シスもラディカル構成主義も、アルチュセールの偶然の唯物論も、世界のなかにあり、不安定な大地と戦乱の時代に微かに見える隠れた小道の表現 かもしれない。それらは徴であり、兆しであり、それを指すことばのなかにではなく、そのことばの消えた余白に漂うなにか、だから言われたこと ばを信じることや示された方法に従うのではなく、文脈を転換しながら、その場で対応する以外にないプロセスを照らす闇の光のようなものだろう か。

それはそれとして、世界を見るみかたはそのなかでどうふるまうかとかかわっている。全体から部分へ、構造から要素へと分類するのは、全体を管 理し操作するための方法で、そういうシステムは細かくなればなるほど制御できない混乱のなかに解体していくだろう。現実世界に統一原理や目標 をもとめれば、いつも予期しない事態に足をすくわれる。原子のような孤立した静的な単位の関連のネットワークから全体を組み上げていく方法 も、部分をすべて合わせたものよりも全体は複雑だというだけで、対象と外側からの操作をあきらめようとはしない。人間の思い上がりから生まれ る論理は、理論として整っていても、現実とは遠い。
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by sachiolin | 2011-11-29 17:59 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)

かけら◆19

日々思いついては消えていったり
日々他からもらってはためていったかけらを、
たまに書いていこうかなと。

本日19回目の試み。

基本的にごちゃごちゃの100%自分のための
メモなので、 あしからず…。
ごちゃごちゃが、いつかどこかで
繋がったりしたら面白いなぁ~


◆指先にまで魂が来ているか
◆音を手で丁寧に掬うこと
◆音を手から零さないこと
◆よい指揮者ほど、音が指揮棒に集まる 零れない
◆楽器との接点 道具との接点
◆道具が身体の一部になること
◆力で握らない
◆道具の力を最大限に活かすために、
握らずにキープする/保つ感覚


◆あなたとわたしを、分かちた時に生まれるもの。
◆ 「隣人を愛せよ」
◆あなたのなかのわたし、わたしのなかのあなたを、見出せるかどうか。


◆変化を楽しめるかどうか。
◆待てるかどうか。
◆可能性を感じるかどうか。

◆より聞くこと。

◆ 静けさと熱さを同時に持てているか
◆頭はクールに、心は熱く
◆音の温度
◆熱の伝え方
◆空間の感じ方
◆譜面に向かわない
◆上へ上へ広がり、音が対流する感覚
◆推進力と重さ


◆弓=スピード・重さ・テンション(駒寄り/指板寄り)
◆弓の撓み、しなり、弦の撓み、ふるえを感じる・利用する
◆鉄の棒ではない 木の棒



◆違いを違いのまま肯定できるかどうか
◆歩み寄れるかどうか
◆分かり合えずとも、分かろうとすることができるかどうか
◆互いに自然な形でリスペクトを持てるかどうか
◆アンサンブル 
◆心を尽くせるか、言葉を尽くせるか


◆カラッと晴れていること
◆よい閃きは、心と頭が青空の時に訪れやすい
◆曲解しないこと
◆本質からずれないこと
◆本質のど真ん中をまっすぐに掴みにいくこと
◆こだわり過ぎないこと
◆閉じないこと
◆開けていること


◆生活 生命活動 生きること 日常
◆日常の中の非常
◆非常の中の日常
◆日常の中の無常


◆「憧れから卒業しないと」

◆根拠のない自信


◆世界へ自分を投げ出してみること

◆「自由とは空に浮かぶ凧である」
◆凧糸をきちんと手で操ること
◆凧糸が切れては凧がどこかへ消える
=それは、ほんとうの自由ではない 
◆凧;音/作品   音の自由 
◆風;奏者が与えるもの
◆凧糸;奏者と音楽をつなげるもの 意識
◆すごい奏者ほど、高く広い空へ凧を自由に泳がせる

◆ダイナミズム 

◆テンション
◆緊張を集中にかえる
◆身体は緊張しないこと



◆「大切なものは全て余白にある」 (ヴィム・ヴェンダース)



◆ほんとうの原因は、他にあること


◆「若い人たちは、無からでも何ものかが生み出せると
いうことが私の例から分かるでしょう。私が今日あるのは、
貧乏でどうにもならなかったことの成果なのです。」

ハイドン最晩年の言葉

◆有でもなく、無でもなく、中であること
◆答えを与えるのではなく、答えを引き出すこと  
◆道を照らすことも、標識を立てることもできるけれど、
代わりに歩くことはできない
◆先生はいつかいなくなる
◆いつかひとりで歩いていかねばならない

◆電源とプラグ
◆脳と体と楽器がイコールになっていること
◆音をきちんと噛んで吸収すると栄養になる
◆音を噛まないでそのままのみ込まない
◆意識と無意識


◆わたしをわたしたらしめているもの

◆丁寧に積み上げたものを、最終的にいかに壊すか


◆その人の目が何に向けられているか
◆その人の心が何に向けられているか

◆「音楽によってのみ、宇宙の秩序の方向に傾く秤に、
魂の重さをかけるという喜びを体験する」
(聖アウグスティヌス)


◆行雲流水
◆ゆだねる
◆おのずから
◆刀ではなく器
◆聞く
◆沈黙
◆無為 自然
◆線ではなく点
◆石になること
◆点から円
◆同心円 ・◎ 
◆外に向けられた矢印 ←・→ 
◆内に向けられた矢印  →・←  
◆ 流れ 波 動き~


◆他者へのリスペクトを自然なかたちで持てているか
◆自分の状態 環境 周りと自分  
◆距離 スタンス バランス 
◆自分からのアプローチ 
◆進む 退く 
◆ベクトル 方向 
◆点 
◆円 より大きな円 広がり 
◆余白
◆遊び
◆肯定 否定 全肯定


◆「悟りといふ事は如何なる場合にも
平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」
(正岡子規)


◆音を運ぶこと
◆よきドライバーになること
◆出発するときに、きちんと目的地
(フレーズの頂点、フレーズの終わり)が分かっていること
◆近くばかり見ないで、遠くの景色が把握/見えていること
◆急発進急ブレーキをしないこと
◆乗客(音そのもの?聞いている人?)を不愉快にさせないこと


◆遊ぶこと 壊すこと 想像力 
◆作り込まないこと 開いていること 
◆変化しつづけること

読みたいmemo
◆声の文化と文字の文化
ゾーンに入る技術


読んだmemo
生物の中の時間
◆「移り変わっていく時間」と「何度も繰り返す時間」時間の二面性 
◆「蓄積した過去が今という瞬間に実現するという感覚」 記憶
◆目的論(telelogy)ーー 存在論(ontology) 機械論(mechanism)
◆時間の空間化

クマムシってスゴスギル。。
◆水がなくても120年生きる
◆乾燥にさらされると樽状に変身
◆呼吸も代謝もとめる
◆真空、高/低温、X線にも耐える
◆常温に戻し水分を加えると生き返る
◆クマムシ時間はとまる
◆時間の一時保存
◆いのちの一時停止?


夢が覗ける?脳内イメージを映像に

◆スケールの大きさ
◆アソビ感覚
◆時間/空間の中で、自由にあそぶ
◆地道な足し算ではない 
◆創造は破壊 
◆あそんでいるうちに、勝手に空間がうまれていく 
◆本当のcreate?
◆構築ではなくて破壊からうまれるrecreate


◆「A person is a success if they get up
in the morning and gets to bed at night
and in between does what he wants to do.」    
(Bob Dylan )

◆部分と全体


◆「死んだからだをていねいに扱うとき、わしらの目それぞれが、
死んだそいつの目になるんだ」…
「見えない世界に、まっすぐ向けられた目だ。
生きたわしらに、その場所はけっして見えねえ。
けど、死んだ目を通して、そいつを感じとることならできる。
そこがあると信じられるから、わしら猟師は、鳥やけものに
鉄砲を向けることができるんだろう。」
(いしいしんじ*ポーの話)

◆「呼吸、脈、心拍、消化、発汗、排尿などなど
自分で意識できない速度も含めて、からだは、とっても
複雑な速度の混合で成りたち、その速度やリズムの
どれ一つとっても、世界中が基準にしている速度「時間」とは、
まったく一致しないのです。面白い。面白い。」
(「僕はずっと裸だった」田中泯)


◆『いちどに道路全部のことを考えてはいかん。 わかるかな?
つぎの一歩のことだけ、 つぎのひと呼吸のことだけ、
つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。 いつもただ次のことをな。』
(ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳  「モモ」より)
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by sachiolin | 2011-11-24 10:01 | かけら◆ | Trackback | Comments(0)

引用:: 龍のお話。

養老先生の話しを読んでから、
数年前から、気になっている国、
行ってみたい国、ブータン。
その国王が来日されていた。

相馬市に行かれて、子どもたちと交流し、
ブータンのシンボル「龍」の話をされた
そのお話に、そのまっすぐなやさしい
眼差しと語りに、とても感動した。




Do you know that the dragons exist?
I've seen the dragon.
There's a dragon in each and every single one of us.
Dragons feed on experiences.
It becomes stronger and stronger over the years.
We must always be in control of that dragon.


君たちは龍を見たことあるかい?
私は見たことがあるよ。
龍は私たち一人一人の中にいるんだよ。
龍は経験を食べておおきくなるんだ。
年を重ねればどんどん強くなっていく。
私たちはいつもその龍をコントロールしなくてはならないんだよ。




何とも有難い深いお話で、
ありがたや~ありがたや~と拝みたくなる。

現地の子どもたちの頬を紅潮させて
話しているその様子や、年配の方が、
「握手をしてくれた。心から祈ってくれているのが
分かった。本当にありがたくて、思いだすだけでも、
今もほら涙がでてきてしまう・・・」と涙ぐんでいる
様子を見て、ああ、本当に人と人というのは、
このようにして、心と心が通じ、深い愛というのは、
このようにして伝わるのだなあと感動した。


「ありがとう」という気持ちが、
自然と湧いてくるような
ほんものの出会いというのは、
確実に人生を変える。

人との出会いでも、恋愛でも、ある音楽でも、
ある小説のことばでも、あるひとつの映画でも。


有り難い。ありがたい。


「ありがとう」の反対のことばは、
「当たり前」だと、何かに書いてあったな。
確かにそうかもしれない。





今日の言葉*

自分が特別だなんて決して思ってはいけない。
しかし人はだれも自分が特別でないと思うべきではない。
客観性とは、こんなにもややこしいものなので、
手に入れたり見失ったりをくりかえして生きていくのですね

(吉本ばなな「パイナツプリン」)
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by sachiolin | 2011-11-21 00:54 | 引用:: | Trackback | Comments(0)
自分を大切にすることが、人を大切にすることにつながるし、
人を大切にすることが、自分を大切にすることにもつながる。

ただただ自分のためだけに、もしくは、
ただただ人のためだけに生きていればよい、
というわけではない気がする。

行ったり来たりだし、循環しているのだと思う。  
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by sachiolin | 2011-11-09 00:21 | 思〇 | Trackback | Comments(2)

考○ 順序

思考とは順序である。道筋である。
音楽もまた、順序である。数学もまた、順序である。
公式は、楽譜と似ている。物語だ。語り物だ。

はじめがあって、おわりがある。
はじまらないと、おわらない。
はじまりは、おわりで、おわりは、はじまり。

音楽的であることと、絵画的であることについて、
書かれていたのは、立花隆さんだっただろうか。 

音楽は、決して一度に全てを聞くことができない、ということは、興味深い。
そしてまた、非常に音楽的な演奏は、絵画的であり、
非常に絵画的な絵画は、音楽的であることも、
それとなく、浮かび上がってくる。


生きることは、音楽的な現象だ。



今日の言葉*

「英語やフランス語の concept(思考、概念)という言葉は、
conception(妊娠)の語と同語源である! ゲーテが
『永遠に女性的なるもの』を讃えたとき、賛美の対象は
具体的なひとりの女性をさしているのではなかった。
 受けるものは、与えるものを必要とする。
 与えるものは、受けるものを必要とする。
 受けるものなしに与えるものは存在意義を失う。
 与える力は、受ける力を持つ。与えてから、与えたものを
 受けた力が新しい存在を創造し生み出すのを待つ。
 おしべ。
 雄。
 男性。
かくて相互作用が成り立つ。相互作用が『存在』をつくり出す。
相互作用は、すなわち、生命の緊張である」

(犬養道子「男対女」)
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by sachiolin | 2011-11-04 02:03 | 考〇 | Trackback | Comments(0)

聴● Ebene Qu.

エベーヌカルテットを聞きに銀座に行った。
結成10年を迎えて、まさに、世界を股にかけて
大活躍する現代最高のカルテット。

それはもう、本当に最高だった。感動の嵐。
前半はドビュッシーとブラームス。後半はジャズ。
こんな風に、クラシックとジャズを両方楽しめて
しまうのは、お得だし、嬉しいし、編曲も含めて、
それを可能にしてしまう、彼らの才能と感性に脱帽である。

特にドビュッシーは本当に本当に素晴らしくて、
一瞬たりとも飽きることがなかった。
どの音にも魂があり、息づいていた。

4人共が、心の底から音楽を愛していて、
世界をキラキラと見つめていて、あふれ出てくるものが、
沢山あって、それが目の前で、音になっている、という感じだった。



楽器というのは、道具でしかないのだなあと、あらためて思った。
あらためて、気づかされた。とにかく、音楽があふれていた。

そして、リズム感や、拍感が、抜群だった。
だから緊張感が絶対にとぎれない。
聞くのではなく、聞かされてしまう、あの感じ。
背もたれから背が離れて、気づけばずっと前のめりになっていた。
うまい落語を聞きに行ったときのことを思い出した。
聞くのではなく、聞かされてしまう。思わず聞いてしまう。
あの感じだ。弾き手/話し手が、一番の聞き手になっている証拠。



こんなに命をかけて演奏して、大丈夫かなあ、と
ちょっと心配になってしまうほど、目の前に鮮やかに
できていく音楽は、命そのものだった。

舞台の上で起きていくその光景は、
音に魂、spiritが吹き込まれていく姿であり、
音楽が、そして観客がinspireされていく現象だった。

in-spire

「In」(中へ)+「Spirare」(息吹)





アンコールで、この曲。
you tubeで、何度も聞いていたけど、
生で聞けて、大感動。思わず涙が出ました。
これを聞く度に、愛おしさ、というものを感じずにはおられない。




これも生で聞けた。ものすごい迫力だった。
生きているって感じ・・・!(なんという感想。笑。)









一緒に聞きに行った友人と、
全員男子、しかも全員フランス人っていうのは、
やっぱりすごいね、と、女子であることを
なぜかちょっと口惜しく感じたりして。

あれが、もし女子4人だと、
多分、いや、絶対ああはいかないのである。

あの感じ、あの力強さ、あの野性。
そして、あの色気。よい意味で、
とても色っぽかった。上品な色香が。


あれが、本物の贈りものであり、
本物のエロス
なのだろうなと、また思った。


いつかあんな風に弾けるようになりたい。
何だか、強くそう思った。
決意ではないけれど、そんな風に自分を
鼓舞させる、何かすごい魔力のようなものを受けた。


この日のことを忘れないようにしよう。
分からなくなったら、この日に戻ってこよう。



今日の言葉*

「大切なものは全て余白にある」
(ヴィム・ヴェンダース)
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by sachiolin | 2011-11-04 01:41 | 聴● | Trackback | Comments(0)

:: ヴェンダース監督

最近、すごい人たちに会って、すごい人って本当にいるんだなあ、と、感動しきりである。すごい、という言葉は、本来、自分と遠い存在として、切り離されて使われる言葉のように思うけれど、本当にすごい人たちというのは、その生きる姿勢や、眼差しや、存在だけで、人に、希望を与えるのだなあと感じる。それは、与えようとして与えられるものではなく、ごくごく自然なかたちで、与えられる光なのだろうと思う。単に強い光ではなく、やさしく温かく輝く光だ。


あのヴェンダース監督が、来日していたようである。
彼もまた、まぎれもなく、希望を与える人だ。

田口ランディさんが、ヴェンダース監督との
福島の時間を綴られている。
そのときの状況、監督のその眼差し、
それを思い浮かべるだけで、うるっとしてしまう。


::::::::::::::::::::::::::::::

ヴェンダース監督はこの土地を離れざるえなくなった友人の訴えをただ黙って聴き続けていた。言葉は少なかったが、その「聴く」姿に慈しみと優しさと、悲しみが感じられ伝わってきた。そして、夜の試写会の後のインタビューで「私は映像の仕事をしてきた者として、目に見える世界を信じてきました。飯館の風景は天国のように美しかった。でも、目には見えない放射能の汚染されている。それを知覚することができない。こんな経験は初めてです。この現実をどう表現すべきか、いまはまだわからりません……。でも、私は必ず、またここに来ます。みなさんとの対話を続けていきたい。これが最後ではなく、これが始まりなのです……」と語った。そして、泣いている友人のほうを見つめ、小さく頷いた。彼女の思いを受け止めていることがはっきりと伝わってきた。それはとても勇気のいることだと思う。人の思いというものは、ほんとうに重いのである。

:::::::::::::::::::::::::::::::


「尊敬できる他者に出会うと、生きていることが楽しくなる。
よく生きていきたいと思う。  」

というランディさんの言葉に、深く共感。



生きるということを、じんわりと
あたたかく感じる今日この頃である。



今日の言葉*

「写真は見たままの現実を写しとるものだと信じられているが、
そうした私たちの信念につけ込んで写真は平気でウソをつくと
いうことに気づかねばならない」

(ユージン・スミス)
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by sachiolin | 2011-11-01 01:57 | 引用:: | Trackback | Comments(0)