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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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<   2011年 08月 ( 14 )   > この月の画像一覧

空 ( ) 中島義道

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メルロ=ポンティは言う「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」(「知覚の現象学」)。私はただよい気持ちでうつらうつらしているわけではないのだ。
 脳髄の中はくるくる思考が回転している。貧弱な身体を晒して汗に塗れている「私」とは何なのか?いま、剥き出しの脚に触れているこのざらざらした砂の感触は、なぜいま私だけが感じているのか? 太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか? 太陽から私の身体までのこの空間とは何なのか?
このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられてはじめて見えるということだ。空間は見えない、時間は見えない、いまここに開かれているこの風景以外の世界は見えない、過去も見えない、私も見えない、私の脳髄も見えない、他人の心も見えない……膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前に広がっている。
ここにメルロ=ポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。フムフムいいぞ、いいぞ……。哲学者とは、夏の海岸でもこういうことを絶えず考えているへんな奴である。
メルロ=ポンティは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(「眼と精神」)。「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということである。この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者である。
いや、もう一つの条件を加えておこう。どんな場合でも、周囲世界に埋没していないこと。われを忘れていないこと。…(中略)… プラトンは哲学の開始を「驚き」と言ったが、ひとの驚くことを驚かず、ひとが驚かないことを驚くと言い換えてもいい。…「見えること」の不思議さに驚き、いつも「いま」であることの不思議さに驚く



(中島義道「狂人三歩手前」)
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by sachiolin | 2011-08-30 23:55 | Trackback | Comments(0)

再考○ 真善美

真実は、不都合だし、劇薬だ。

しかし、真実をまっすぐに見つめなければ、
真理は見えてこない。深い沈黙を携えて、
黒い海の向こう側を見つめること。

少しずつ自分の中の「真善美」を整えていくこと。
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by sachiolin | 2011-08-30 02:55 | 考〇 | Trackback | Comments(0)

考○ 表現について

表現について考える。

強烈な絵は、強烈なエネルギーを持っている。
その表現者がなにか巨大なものに乗っ取られた残骸だ。
残り香だ。風化しない命だ。

それと、まっすぐと対峙している間、
それを、じっと見つめている間、
プスプスと体中から湯気を出しながら、
もしくは、強烈に引き込まれながら、
その人もある意味、なにかを表現しているのかもしれないとも思う。

アウトプットすることだけが、表現ではないのかもしれない。

やはり、表現とは、
アウトプットでもインプットでもなく
循環なのだろうと、思う。




有でもなく無でもなく「中」であること。
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by sachiolin | 2011-08-30 01:37 | Trackback | Comments(0)

考○ 違和感

違和感を大切にしよう。
違和感に蓋をしないでおこう。
違和感を見つめよう。
違和感は自分と世界との境界線。

違和感が、自分の真善美を整える。
違和感が、世界を広げる。
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by sachiolin | 2011-08-23 00:56 | 考〇 | Trackback | Comments(0)

思○ 黙祷

今日は、
戦争で亡くなった方々、
震災で亡くなった方々、
そして、昨年亡くなった友人のことを想い、
黙祷をした。 


1分間は、思いのほか、長く感じた。
武道館は、しーんと静まりかえった。


66年か、と思う。
たった66年か、と思う。


写真でみるあの焼け野原から、
これだけのビルが乱立する町が出来上がった。
人々の生活が変わった。価値観が変わった。


自分はおおよそその年月の半分を生きてきた。

今まで感じた時間を束にして、
それをもう一度重ねたら、
一国がこれほどまでに変わる年月になる。


人は変わる。
町も変わる。
国も変わる。



66年前のかなしみを伝える人は
ますます、少なくなっていく。

66年後にこの国が抱えている
新たな大きなかなしみを思うと、心が叫ぶ。



どんな時代にも、それぞれの時代の
抱えるかなしみが、あるのだろうと思う。

現在を共にしている。
時代を共にしている。
宿命を共にしている。
かなしみを共にしている。


同じ時の河を泳いでいる。



耳をかたむけ
心をかたむけ
口を瞑り
眼を瞑り
祈りたい。




今日の言葉*

「私たちの本当の知恵は、自分の目で見ること、
ーー本を読むことも、そこに入れましょうーー、
自分の耳で聞くことをよく受けとめ、
自分のものとして活用することができるのになって、
 生まれるのです。」

「他の人のいうことによく耳をすまし、
注意深くうけとめることができるようになれば、
自分が本当にいわなければならないことを
確実にまとめることもできます。」

(大江健三郎「『新しい人』の方へ」)
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by sachiolin | 2011-08-16 01:30 | 思〇 | Trackback | Comments(0)
2011年前半は、まさしく怒涛のごとくだった。
大きなかなしみが、訪れた。
おそらく、自分のなかの色んなものが死んだ。
日記を読み返してみても、荒波どんぶらこである。


かなしみをバネにできなかった。
かなしみをどこまでも吸収してしまった。
かなしみの岩を地上で打ち砕くことも、
それを踏み台にすることもできず、かなしみの岩を抱えて、
川の底に沈んでいった。底は驚くほど穏やかで静かだった。
せせらぎに耳を澄ました。目を閉じて誰かと手をつないだ。


いつしか、その川底から、浮いてきて、
川の流れるままに、まかせている自分がいる。

数ヶ月前までは、考えられなかったことだ。
生きているというのは、不思議だ。


最近、あるがままに、ということの
意味が、前より分かってきた気がする。



夜更かしして、整理。


「沈黙したまま坐っていること、矛盾に耐え、対立するものを包摂することをも心理療法の一部にせんとしている。河合は、全体あるいは無の円環の内部で、上下方向と左右方向に螺旋運動することで、静止状態にある中間点に分け入るのである」

(河合隼雄「ユング心理学と仏教」)



「ほんものを見る、ってのもな、むろん大切なことだ。
でも、それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、
たったいま誰かが自分のとなりにいて、自分と同じものを見て
喜んでいると、こころから信じられることだ。そんな相手が
この世にいてくれるってことだよ。」

(いしいしんじ「プラネタリウムのふたご」)


「畢竟依を帰命せよ」
(親鸞「浄土和讃」)

「何かを越えていくときは、精神力だと、
よく言われるのですけれど、僕はそうは信じていないんですよね。
そんなに苦しいとき、厳しいとき、弱っていると自分が感じているとき、
精神なんて強くなれないんですよ。越えていけないんですよ。
まぁそういう人もいるのかもしれないですが、僕は基本的には
人間はそういうことはできないと思っています。
それを越えるのは何かっていうと、技術だと思うんです」

「そもそも、結果があとからついてくるというスタンスは、
結果を出すために、困難な状況から逃げている印象なんですよね。
ひょっとして結果は出てくるかもしれないけれど、そういう人って
それをきっとくりかえすから、深みみたいなものが出てこない。
選手としての数字が残っているだけで(それだけではないのでしょうけれど)、
人間的な成熟にはつながらないだろうなという言葉だから。
結果はやっぱり困難を伴ってだすべきだし、そうでないと出ない。」

(イチロー)


「 『本当に大切なことは検索できないんだよ』
星の王子様のメッセージを受信しました 」

(辛酸なめ子さん)


「自由というのは反面、責任を伴う非常に厳しいものです。
それを真にわかってはじめて、自然の中で、社会の中で、
人は生きていけるのだと思います」

黒沢清

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by sachiolin | 2011-08-09 01:38 | 今日の言葉+Wörter | Trackback | Comments(0)

道 ≡ 養老孟司さん

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 死ぬとは身体の道連れにされるということです。そうすると、「共同幻視論(※吉本隆明)」という言葉の意味もよくわかってくる。つまり脳はほかの人と機能を共有しているのです。たとえば日本語は共有できるわけです。心臓の機能は共有できないから移植するしかないんだけど、共有部分をどんどん増やすことが社会の目的の一つなんですよ。
 書いたものを残すなり何なりすると、本人は死んでも一応脳の一部は残っている。そういう形で共有可能なものをできる限り増やそうという方向に拡大するんではないかという気がするんです。
 そうすると逆にいえば、死ぬことを運命づけられているわれわれを、社会が救ってくれるわけで、そういうふうに脳は自分自身を拡大したものとしてまず社会をつくる。

(養老孟司さん「脳と生命」)
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by sachiolin | 2011-08-08 13:06 | Trackback | Comments(0)


解放弦のロングトーン

弓の返し 



「えー、車掌(生徒)さん、車掌さん、お聞きします。
ただいま2番線(D線)お客さん(腕の重さ)全員乗りましたか?」
「うーん、まだひとり乗り遅れてます!はいOKデス!」
「乗り遅れてましたか(笑)、では出発進行。
停車は弓先駅です。停車前に特急にならないでね。
そうそう順調な運転ですね。ハイ停車。
お客さん乗った?今度は弓元駅まで!
脱線しないで来たところをまっすぐ」

「電車のスピードが急に変わってます、車掌(生徒)さん!
頼みます!お客さんびっくりしちゃうよー。
あ、これは、試運転なので、始めから終わりまで
同じスピードなんです。難しいけれどよろしくお願いしますよー。
電車が線路(弓)にきちんととまって(置いて)
乗客(腕の重さ)きちんと乗ってからね」

「弓元駅と弓先駅の停車、発車、うまくなりましたね!
では、今度は、弓先駅についたと思ったら、
そのまますぐに弓元駅に向かってください。
これぞ折り返し運転です。来た線路をまっすぐそのまま帰るのです。
スピードも同じです。何事もなかったかのように帰って(返って)ください。」
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by sachiolin | 2011-08-05 02:54 | 練習・レッスンメモ∞ | Trackback | Comments(0)

空 ( ) 金子みすゞ

わたしが両手を広げても 
お空はちっとも飛べないが 
飛べる小鳥はわたしのように 
地べたを早くは走れない 
わたしが体をゆすっても 
きれいな音は出ないけど 
あの鳴る鈴はわたしのように 
たくさんな歌は知らないよ 
鈴と小鳥とそれからわたし 
みんな違ってみんないい   

(金子みすゞ)
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by sachiolin | 2011-08-05 02:35 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)

引用:: 四大元素

wikipediaより引用
::::::::::::::

::概要

四元素説とは、「物質は、火、水、土、空気の四元素からなる」という説。「それらを結合させる『愛』と分離させる『争い』がある。それにより、集合離散をくりかえす。この4つの元素は新しく生まれることもなく、消滅することもない。」という考え方のこと。


::歴史

古代ギリシャのタレスは万物の根源に「アルケー」という呼称を与え、アルケーは水であるとした。その他、アルケーは空気であると考えた人、火であると考えた人、土だと考えた人たちがいた。

エンペドクレスは、アルケーは火・空気(風とも)・水・土(地とも)の四つのリゾーマタからなる、とする説を唱えた。後世にいう四元素説である。プラトンはこれに階層的な概念を導入し、土が正六面体でもっとも重く、他のリゾーマタは三角形からなる正多面体で、火が最も軽いリゾーマタであり、これら四大元素はそれぞれの重さに応じて運動し互いに入り混じると考えた[1]。 のちにアリストテレスがこの説を継承し、さらにはアラビア科学、パラケルススへと伝えられた。



::影響・派生

四大元素はタロットの小アルカナの4スートの棒(火)、剣(風)、杯(水)、硬貨(地)と関連付けて解釈されることもある。

フランス盛期バロック音楽の作曲家ジャン=フェリ・ルベル(レーベル)が1737年に出版したバレエ音楽《四大元素 Les éléments》は、「カオス(混沌)」を表現するために、教会旋法によるトーン・クラスターという当時としては極めて実験的な作風を用いたことで知られる。

現代でも、ゲームやファンタジーの世界観に用いられることも多く、四大元素をまとめて「地水火風(ちすいかふう)」または「風火水土(ふうかすいど)」と呼ぶ場合もある(ヒルダ・ルイスの児童文学『とぶ船』に、「空気よ 土よ 火よ 水よ」と唱えて秘密厳守を誓うシーンが出て来る)。
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by sachiolin | 2011-08-05 02:22 | 引用:: | Trackback | Comments(0)