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わたしの心の風景メモ。 


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空 ( ) 司馬遼太郎

「物事は両面からみる。それでは平凡な答えが出るにすぎず、智恵は湧いてこない。いまひとつ、とんでもない角度――つまり天の一角から見おろすか、虚空の一点を設定してそこから見おろすか、どちらかしてみれば問題はずいぶんかわってくる。」

(司馬遼太郎「夏草の賦」)
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by sachiolin | 2010-12-28 04:23 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)

ひなたぼっこ

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シ「おひさま、気持ちがいいね〜」

ポ「ね〜。おひさまって最高だねぇ。」

シ「一回、ご主人様が水をくれなくって死ぬかと思ったけど、
よかったよね、あの時二人で訴えて」

ポ「そうそう。忙しかったみたいだけど、ひどいよね〜。
僕なんて、葉っぱが一枚切れちゃってさ〜。痛かったよ〜。ハァ。。
でも命に別状はなかったけどね。いやあ君も迫真の演技だったよね〜。
首なんてだらーんて下げちゃってさ〜」

シ「そうそう。僕も始めは演技だったんだけど、途中から本気でヤバく
なってきて、首がもう自力じゃ上がらなくなったもんね。
いや〜ほんと。だから余計に久しぶりの水は美味しくて
美味しくてごくごく飲んじゃったよ〜」

ポ「ほんと美味しかったよね〜。君なんて我を忘れてすごい勢いだったよ。
あんなに垂れてた首が一気にピーンとなって、早っ!て呆気にとられて
隣りで見てたんだから」

シ「えーっ僕そんなだった?オハズカシイ。ご主人様はね、この前
山登りしたときに、山頂で食べたカップラーメンの美味しさに
びっくりしたらしいんだけどやっぱり腹ぺこになったときは、
最高に美味しいもんだよね〜。人間はいいなあ色んなところに遊びにいけて。」

ポ「そうだね。僕ら基本的に定住だもんね。
どこにどうやって引き取られてどうやって死ぬかも、
運命にゆだねるしかないしねぇ。でも僕はこうして
君と出会えて隣りで日向ぼっこできてすごく幸せだよ。」

シ「え〜そんな〜泣けること言うなあ。僕も幸せだよ〜。
ご主人様もなんだかんだやたら可愛がってくれてるし、よかったよね〜。」

ポ「たまに話しかけてくるけどね(苦笑)。僕らの言葉は
聞こえないだろうしなあ。ま、いっか。おひさま浴びよ浴びよ」

シ「あ〜気持ちいいね〜」

ポ「うん。しあわせ〜」
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by sachiolin | 2010-12-18 11:39 | Trackback | Comments(3)

電車のなかで。

電車のなかで、本を読みながら、ぐっときたところに、
鉛筆で線を引いていたら、隣りのおじさんが、覗きこんできて、
うんうんなるほどという感じで、頷いた。まるでスイッチを
押したかのように、そのままその人は、頷きモードに入ってしまい、
私が席を立つまで、ずっと何かに納得していた。

知らずに、人さまの大切なスイッチを押してしまったかと
少し悪い気持ちになって、閉まる電車の扉を振り返った。


小さいとき、ガタンゴトン、という電車の音が、
線路の継ぎ目なんだと知った時に、少しショックを受けた。
あのリズムもあの音もあの感じも、電車自身が電車だけで
作っていると思いこんでいて、それが好きだった私は、
軽く裏切られたような気持になったのだった。

小さいとき、電車の窓から、見える電線の動きが好きだった。
いつも靴を脱いで、立て膝で電線をじっとみていた。
電信柱や他の電線とくっついたり離れたりしながら
動いていく電線は、まるで生きているようで、ずっとじっと見ていた。


こどものときの記憶は、ずっといつも不思議。


今日の言葉*

古代社会では口に出したコト(言)は、
そのままコト(事実・行為)を意味したし、また、
コト(出来事・行為)は、そのままコト(言)として
表現されると信じられていた。それで、言と事は未分化で
両方ともコトという一つの単語で把握された。
 ところが奈良・平安時代以後になると両者は次第に
分化してきて、「言」は「コト(事)のすべてではなく、
ほんの端にすぎないもの」を表す「ことのは」、
「ことば」として事から独立するようになった

(木村敏「時間と自己」 )
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by sachiolin | 2010-12-16 02:04 | Trackback | Comments(0)

空 ( )河合隼雄

「人間の自我は、その活動にふさわしい心的エネルギーを必要とする。ところが、その心的エネルギーが自我から無意識へと流れ、自我が利用しうるエネルギーが少なくなるときがある。それを心的エネルギーの退行という。
このような退行状態では、人は活動できないし、意識的統制の少ない空想にふけったり、幼児的な願望が強く前面に出てきたりする。退行状態におちいると、われわれは他人の少しの親切を無闇にありがたく感じたり、少しの冷たい仕打ちを極端に冷酷に感じたりする。それは、現実とずれたものではあるが、観点を変えると、より真実を把握している――拡大した形で――とも言うことができる。」


(河合隼雄「昔話の深層」より)
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by sachiolin | 2010-12-13 20:40 | Trackback | Comments(0)

思○give and give

大学の後輩から留学について相談を受けた。
迷ってあきらめて迷ってあきらめて、
「今がラストチャンスと思ったんです」と目をキラキラさせる。
「いやー若いってイイナ―ー、私も君くらいのころ、ギラギラしてたわぁ。
勉強したいっていうエネルギーが風船みたいに膨らんでて。
あぁナツカシーガンバレーー。」と言ったら
「え。そうなんですか。今でもギラギラしていますよ。」と言われた。
そうですか。そうですか?!え??喜んでいいのか何なのか。何だろう。

今はきっと昔よりずっとずっと大変だけど、がんばれー。
生活のはじめかたとか、試験のこととか、記憶をたどって色々話して、
私もこうやって色々尋ねたなぁと思いだした。本当に懐かしい。

外国で暮らすって、ゼロからのスタートで、言葉も分からず、
初めはなにもかも分からず、通りを歩くだけでも、地下鉄に乗るだけでも、
全身の神経と感覚が全開になり、鋭くなるものだ。開いたり閉じたりの
レンジも必然的に広くなる。滞在許可証を出してもらうために、
ドキドキしながら、外人局に並んで、でっかいおばちゃんに、
でっかい声で矢継ぎ早に言われて、何も分からず、悔しくて帰りの電車で
泣いたりして。あの時、初めて、目をきちんと見て話さないといけないのだと
気付いたのだった。YESかNOか、自分がどう思うのか何をしたいのか、
強く言わないといかんのだ、と気付いたのだった。


私があの時、留学しよう、と最終的に決意したのは、
指揮者の佐渡裕さんの「ぼくはいかにして指揮者になったのか」という本の
一節を読んだときだった。胸にじーんとしみた。

「お金はあとでいくらでも返せるけれど、時間は取り戻せない」。

それから私は、ずっとパン食い競争だった。こなすべき課題が山積みで。
一つ食べたと思ったら、すぐ前にまたパンがあった。なんとまぁ。
でもそれは、何せ「ギラギラしていた」私だったから、パンを必死で食べ続けた。

ここ何年かで、いろいろなことが随分とがらりと変わった。

世界が変わる、ということが、あるんだと、驚いた。 
偶然10年前の手帳を見つけて読んだ。懐かしい、自分の字。
この頃には出会ってなかった人々がいて、
この頃には考えてもないことを今は考えている。 
人生って不思議だし、面白いし、味わい深い。

変わったこと・変わらないこと・変わっていくこと 


あの時、色々なお世話をしてくれた友人が、何気なく
私に言ってくれたことが、今でも自分の生き方や考え方の軸となってる。

「いやいや、大したことしてないよ。やれることをやっているだけ。
ぼくも始めはこうやって、前の人にお世話になったんです。
その人にお返しすることはできないけれど、こうして同じことを
次の人にすることで、お返しになっているんじゃないかって思ってるから。
だから、君も、いつか廻ってきたら次の人に同じことをしてあげてね。」

私はその時信号待ちをしながら、隣りで赤い信号を見ながら
その人がそう話すのを聞いて、「そうかぁ」とじーんとしたのを鮮明に覚えている。

私はただただ
「give and take ではなく give and give 」であるということの
自分にとっての新しさと、そのテーマのシンプルさと深さに感動したのだった。


今、目の前にいるこの子が、その「次の人」なんだよなぁと、
懐かしく思い出しながら、目を細めてお茶をすする、午後だった。



今日の言葉*

「いっぽんのその麦を 
すべて過酷な日のための 
その証しとしなさい 
植物であるまえに 炎であったから 
穀物であるまえに 勇気であったから 
上昇であるまえに 決意であったから  
そうしてなによりも 収穫であるまえに 祈りであったから 
天のほか ついに 指すものをもたぬ 
無数の矢を つがえたままで ひきとめている 
信じられないほどの しずかな茎を 風が耐える位置で 記憶しなさい」

( 石原吉郎「麦」)
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by sachiolin | 2010-12-13 02:32 | 思〇 | Trackback | Comments(0)

空 ( ) 太宰治

「水たまりには秋の青空が写って、白い雲がゆるやかに流れている。
水たまり、きれいだなあと思う。ほっと重荷がおりて笑いたくなり、
この小さい水たまりの在るうちは、私の芸術も拠りどころが在る。
この水たまりを忘れずに置こう。」

太宰治「鷗」より
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by sachiolin | 2010-12-08 23:15 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)

ミカンの皮

本番のあとは、剥いたミカンの皮みたいになる。そんな皮一枚の自分をぽいっと簡単に捨てられなくて、毎回すこし困る。体は疲れているけれど、感覚が鋭くなったままだから、お客様に食べていただいたミカン、の場所に、色々飛び込んでくる。夜空とか星とか笑顔とか。いろいろ。今日も帰り道、それを包みきれなくて、涙が出そうになった。給食の時間に、ミカンの皮をピュッと絞って、遊んでいたのを思い出した。あれが、今日の涙かも。
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by sachiolin | 2010-12-05 00:42 | Trackback | Comments(0)

夢 /// 冗談みたいな

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早朝、雨戸のバンタバタンという激しい音で目が覚めた。
何だかしらん、外はものすごい嵐のようだ。

ごうごうと吹き荒れる風、
ざあざあと降り続ける雨、
バタンバタンと泣き叫ぶ雨戸。

ごうごう
ざあざあ
バタンバタン

ごうごう
ざあざあ
バタンバタン


まったくもって冗談みたいな嵐だ。


寝ぼけ眼の私は
それが夢なのか現実なのか、
本気なのか冗談なのかしばらく分からなかった。


次第にやけに恐ろしくなってきた。
この嵐はずっと続くんじゃないか。
これからは地球のお天気はこれでいきましょうと、
たった今、神様たちは、取り決めてしまったのではないか。
どうもそんな気がする。それほど独特の強い意志と決断を感じる嵐だった。

地震体験マシーンのように、
嵐体験マシーンに今私は乗っているんだ、
きっとそうなんだと思い込ませ(実際にそんな感じだった)、
ゴクリと唾をのみこんで、じっと布団に
くるまった。

あぁ、なんて人間はちっぽけなんだろうと、小さく丸まりながら、
しばらくして、私はまた眠りについた。

そして、とてもかなしい夢を見た。
とてもとてもかなしい夢。冗談みたいにかなしい夢。

途中までそのかなしみに耐えていたのだが、
ピリピリと体が裂けそうになって、
私は夢の中でトイレに行き、しばらく静かに痛々しく泣いた。


起きても、そのかなしみがざらりと、
食道あたりにくっついていた。

あんなに嵐だったのに、
今度はまた冗談みたいに晴れ上がっていた。


洗濯機でモード「強・パワフル」で、この世の全てを
ざくざくと丸洗いしたかのような澄み渡る青空が広がった。
少し生暖かい風は春のようだった。
土がぷーんと原始的な薫りを立てていた。
緑の葉は、ピンと艶と張りが出て、
お風呂上がりのお姉さんみたいに
ルンルンしていた。

生命力がここかしこに沸き立っていた。

神様がニヤリとしているのが分かった。
ちょっと時間がある晴れの日に、
シーツを洗って、真っ白のそれをベランダで干しながら、
風と太陽と洗剤のよい薫りを感じて、
私たちがニンマリするときの気分に似ているに違いなかった。


不思議な日だった。
冗談みたいな日だった。
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by sachiolin | 2010-12-04 01:42 | 夢 /// | Trackback | Comments(0)

ずっと準備。

どんなことでも、それが「全て」になって、そこで閉じてしまうのは、勿体ない。 恋愛でも、仕事でも、勉強でも、人生でも。 どんなことも、部分であり、全体。表裏一体。 いしいしんじさんの言う通り、世界というのは、本当に、予想もしなかった風に、じゃーんと開けていることがある。のりしろを残しておくこと。残っていること。

毎日が、終わりなき準備。ずっと準備期間。
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by sachiolin | 2010-12-03 02:04 | Trackback | Comments(0)

ひとフレーズを分解してみる。どこで区切るのか?どこが終わりで、始まりか。変な所で切らない。小節線をまたぐこと。 どうつながるのか?どこが接続詞?Auftakt。 本文? プロローグ、エピローグ。   徹底的に、音楽的に、分解してみて、それからつなげてみる。

 

楽譜が、絵巻みたいに、段が切れずに、ずーっと横につながっていたら、どんな感じかしらん。おのずと音もずーっとつながりそう。問題は、演奏しながら移動せねばならぬことと、譜面台である。笑。 いろんなイメージをするのが、楽しい。



楽器が底鳴りする音を体感すること。木目をじんわりと開いていくイメージ。裏板にスコンと音が貫通するイメージ。 楽器を開く。音を開く。心を開く。空間を開く。 /  弓と弦の角度・指と弦の角度 方向性 / 密度の濃い点をつくり、それを薄くのばして線・面・高さにする。パン生地。



指先の感覚。手の内の感覚。体全体が連動している感覚。 / 音に聴き入っていく感覚。耳から逆円錐型で、奥に広がっているイメージ。 /  違いがより分かるようになること ← どこまで分けるか・分けられるか →→→どこまでつなげるか、統合するか 部分と全体 
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by sachiolin | 2010-12-03 01:59 | 練習・レッスンメモ∞ | Trackback | Comments(0)