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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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空 ( ) 老子

「遊園地の
大きな観覧車を想像してくれたまえ。
沢山のスポークが
輪の中心の甑(こしき)から出ているが
この中心の甑は空っぽだ。だからそれは
数々のスポークを受けとめ、
大きな観覧車を動かす軸になっている。

粘土をこねくって
ひとつの器をつくるんだが

器は、かならず
中がくりぬかれて空(うつろ)になっている。
この空の部分があってはじめて
器は役に立つ。
中がつまっていたら
何の役にも立ちゃしない。

同じように、
どの家にも部屋があって
その部屋は、うつろな空間だ。
もし部屋が空ではなくて
ぎっしりつまっていたら
まるっきり使いものにならん。
うつろで空いていること、
それが家の有用性なのだ。

これで分かるように
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、
何もない虚のスペースこそ、
本当に役に立っているのだ。」

(加島祥造「タオ 老子」より)
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by sachiolin | 2010-11-28 00:36 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)
聴●A.de Larrocha - Mozart Concerto No.27 in B flat

最近仕事でピアノ協奏曲の伴奏が重なった。
モーツァルトのピアノ協奏曲は、人類の宝だわ。

なんていう美しい演奏なんでしょうか。
なんていうやさしい曲なんでしょうか。
ピアノもさることながら、オーケストラの音も素晴らしい。
Larrochaさんの紡ぎ出す音は、朝露のようだ。
音の粒がキラキラと光り輝いている。心に沁み渡る。
モーツァルトは、明るい曲でも、どこかかなしい。儚い。




●1楽章





●2楽章



●3楽章

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by sachiolin | 2010-11-27 13:58 | 聴● | Trackback | Comments(0)

空 ( )吉本ばなな

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ハチはうしろに星空とか、海とか山とか、大きいものを背負っている。よれよれのおばあさんが歩く真夏の路地も、死の寸前の人の最後のまなざしも、生まれてきた赤ん坊がお母さんの体をはじめて離れるときのことも。私は負けた。自閉症児の箱庭みたいな私の言葉は私自身の見開いた瞳にすらかなわない。
 自由になりたい。
今までTVや映画で観てきたなによりも、チベットのお坊さんより、イスタンブールの子供たちより、カトマンズで道に寝そべる牛よりも遠くへ行きたい。自分の奥底までもぐって、もぐって閉じて閉じて、解放されたい。どろどろに汚れた湖底のトンネルがやがて美しい入り江につながっているように。
 そのときから私は言葉で説明をしないことにした。どこまでも、どこまでも説明をしたら私の血管を流れる血のことさえわかってもらえるかもしれないという甘えは、歳よりも老けた私が淋しい私の肉体から全宇宙に発信していた唯一の子供の心だった。
 そのとき私ははじめて大人として立ち、私の魂と恋に落ちたのだ。
 一瞬でも自分と濃密な恋の時間を持てば、生きることへの嫌悪は消えてゆく。ありがとうハチ、大切なことを教えてもらったことを一生忘れない。たとえ仲たがいして口をきかなくなっても、憎しみ合うようになっても、このことへの感謝は消さないようにする。
 十五の私は固い決心をした。


(吉本ばなな「ハチ公の最後の恋人」)
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by sachiolin | 2010-11-27 02:40 | Trackback | Comments(0)
 もっともありふれたものともっとも通俗的なものでできている森があって、その豊かな土の中のほんの少し奥に、なにかみんなが知っているがうまく取り出せないものが、小骨のようにひっかかっているのだ。
 それを考古学者みたいにていねいに取り出すのが、絵を描くことだ。にせものがたくさん埋っている。気分のいいやつ、早くいい気持ちにさせてくれるやつ。でもそれは他の誰かにまかせて、私は私の見つけた原石を、自分でみがく。私だけの組み合わせたメロディーが流れ出すまで。 
 そのことにとにかく夢中だった。
 その作業はまるで「箱庭療法」というものみたいに、私の傷を何度もむきだしにした。
 愛するハチと上手に距離をとるために、私は自分の内面だけでのたうちまわった。息苦しい色彩とたわむれ、どこまでも深くに落ちた。そうして自在になると共に、なにかが癒されて、自意識のない状態の私が絵の中に顔を出しはじめた。あれこれ考えないでただ息をするような、のびのびしたものだ。
 それは障害のある子の絵に似ていた。
 でもこれが私の好きな、絶妙の色だという色合わせがいくつも生まれた。不思議なことになにも考えずに、この形にはこの色、あ、今、夕日がきれいだからオレンジ色をここに、アイスが食べたいからここに白を、と置いてみるといつの間にか私の頭の中の色たちが上手に勝手に共鳴するのだった。
 身をまかせるには、まず思いきり緊張して、息をつめて、それからゆるめるということだったんだろう。
 意識しなければしないほどうまくいった。
 そうして私は絵を描くことと、自分と、友達になることができた。これが基本だった。


(よしもとばなな「ハチ公の最後の恋人」より)
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by sachiolin | 2010-11-23 00:51 | 夢 /// | Trackback | Comments(0)

空 ( ) 村上春樹

 ときどきは立ちどまってカンフー映画の看板を眺めたり、楽器店のショウ・ウィンドウをのぞきこんだりしたが、それ以外の大方の時間を僕はすれちがう人々の顔を眺めて歩いた。何千という数の人々が僕の目の前に現れては消えていった。彼らは一方の意識の辺境から他方の意識の辺境へと移動しているように僕には感じられた。
 街は変ることのないいつもの街であった。混じりあってそのひとつひとつの本来の意味を喪失してしまった人々のざわめきや、どこからともなく次々にあらわれて耳をとおり抜けていくこまぎりの音楽や、ひっきりなし点滅をくりかえす信号とそれをあおりたてる自動車の排気音、その何もかもが空からこぼれ落ちてくる無尽蔵のインクのように夜の街に降りかかっていた。夜の街を歩いていると、そのようなざわめきや光や匂いや興奮の何分の一かは本当は現実に存在しないいものであるように僕には思えた。それらは昨日や一昨日や、先週や先月からの遠いこだまなのだと。


(村上春樹「双子と沈んだ大陸」)
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by sachiolin | 2010-11-23 00:08 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)

~~ とってつけた月

今日はぽやーんとした月が重い深い藍色の空の上に浮かんでいた。それはとってつけたみたいな月で、思わずにやりとした。まるで小学校の学芸会の小さな舞台の上にとりつけられた月のようだった。これから始まる舞台に向けて、その月はじっと静かに揺れていた。風がひやりと頬をなめた。
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by sachiolin | 2010-11-17 03:03 | 綴 ~~ | Trackback | Comments(0)

思○シンプルな連鎖

今日は、私が楽しそうにしていたので、家族も嬉しそうだった。そのことでまた私もほんわか嬉しかった。このシンプルな連鎖は実は大切だと感じた。 大切な人を大切にすることは、難しい。近いから大切だからこそ難しい。言いたくないことも言ってしまうこともある。傷つけてしまうこともある。だからこそ、時々このシンプルな連鎖をきちんと思い出したい。
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by sachiolin | 2010-11-17 02:56 | 思〇 | Trackback | Comments(0)

考○読むことと聞くこと

バッハのヴァイオリン無伴奏ソナタとパルティータ全6曲。
思い立って、毎日ひとつずつ、弾いた。6日間かかった。

何かのためでも誰のためでもなく、自分のために弾くこと。
純粋に、自分のために。自分の人生のために。
これは、結構大切なことだと、改めて気づかされる。


一日に、組曲一つと決めて弾いていくのは、
思いのほか楽しかった。それはまるで、好きな作家の
短編小説集を、一日ひとつずつ読んでいくようだった。

実際、本を読むことと、楽譜を読むことは、よく似ている。

そのことは、昔から考えていたが、
今回は、その読んでいるときの感覚が
より新鮮になって、新しい身体スイッチが押された。


本を読んでいると、自分の心のなかの水たまりが
だんだんとしーんと静まっていき、物語にしたがって、
その水面に、さざ波がたったり、波紋が広がったり、
大波が襲ってきたりする。そしてまた、頭のなかの
壁が、だんだんとぐいーと押し広げられていく。

その感覚が、とても好きだ。

考えてみると、読書というのは、
基本的にひとりでしかできない。
読むときのテンポやリズムは、人それぞれ違う。

練習というのも、ひとりでしかできない。もちろん、
みんなで、練習することもある。でもそれはひとりで
楽譜がきちんと読めてきてからのことだ。
その人の身体感覚はその人にしか分からない、
というその当たり前ことが、非常に興味深い。


音楽を「聞く」のと同じように、
本を「読む」ときも、そのことばのリズムや
その物語の「音」そして「音楽」を、「聞いている」
のだと思う。それも、その人なりの波長のなかで。

読むことは、聞くことなのだ、多分。

読み手のなかに、リズムやテンポや波長があるように、
書き手にも、それぞれのリズムやテンポや波長がある。
「読む」ということは、その2つの波が合わさること、
もしくはぶつかることなのだろうと思う。


物語のなかに、静かに入っていく。
物語のなかに、静かにとけていく。

音楽もまさに物語。


はじまりがあり、つながりがあり、おわりがある。
おわりから読むことはできない。必ずはじめから
読まないと、つながらないし、終わらない。


読むことにも、いろんな段階がある。

ひとりで静かに読む
声に出して読む
人のために読む(朗読)


演奏することは、役者さんが
台本を読むことに似ている。

役者さんと同じように、
演奏家は、物語の媒体。

自分を削ぎ落して、透明になって
少しずつ少しずつその役作りをしていく。
物語がつながって、立ちあがっていく。

物語が、「動」の力を持っている場合、
自分は、「静」の力でそれを引っ張るような
感じになるときもある。空洞になるというか、
対極を見つめるというか。演奏も同じで、
曲のエネルギーが大きければ大きいほど、
しっかりと踏ん張る力が要る。台風の目を
そこにとどめておくだけの力。


自分のためだけに読むのなら、
その嵐に一緒に持っていかれてもよい。
けれど、人に読み聞かせるためには、
この「静」の力を強くする必要がある。

そして、そのためには、
原点にある「読む」ということ、
その静けさに常に立ち返ることが
大切なんだろう、ということを感じた。


本を読むように、楽譜を読む。
その物語にとって、よい読者であること。
その音にとって、一番近い聞き手であること。



バッハ、これからも続けようっと。




今日の言葉*

「音楽は徳の法である。それは宇宙に魂を与え、心に翼わ与え、
想像を飛翔させる。また悲しみに魔法をかけ、万物に快活さや
生命を吹き込む。音楽は秩序のエッセンスである。音楽は
真善美であるところのすべてのものへと導く。それは不可視的だが、
眩惑的で、熱情的で、永遠の形態である」

(プラトン)
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by sachiolin | 2010-11-12 02:33 | 考〇 | Trackback | Comments(0)
わたしは、ある天使たちがニュートンと「空虚(から) vacuum」について話しているのを耳にしましたが、天使たちは「空虚」の概念は「無 nihilum」の概念と同じく賛成できないということです。その理由は次のとおりです。霊界は自然界にある空間や時間の、内にか上にか infra seu supra あるわけですが、その霊界でも、かれらは同じように感じ、考え、感動し、愛し、意図し、呼吸し、また話をし、行動しています。それは無としての空(から)の中での出来事ではあり得ません。無は、あくまで無であって、無については、何も述べることはないのです。

それにたいして、ニュートンは次のように言いました。

「神は存在し、万物を満たしているのを知っていますが、空虚(から)については、無の概念をあてはめるなど、とんでもないことです。無の概念は、あらゆる意味を破壊してしまう destructiva omnium ものです」と。

またニュートンは、空虚について自分と話している人たちに向かい、
「無の概念に触れないよう注意してください。その概念は、白昼夢のようなものです。無の概念には、精神の現実的な行動 mentis actualitas は何もありません」と言って、注意を促していました。


(スウェーデンボルク)
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by sachiolin | 2010-11-07 02:08 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)

空 ( ) 武満徹

「翼」

風よ 雲よ 光よ
夢を運ぶ 翼
遙かなる空に描く 希望という字を

人は夢み旅して いつか空を飛ぶ

風よ 雲よ 光よ
夢を運ぶ 翼
遙かなる空に描く 自由という字を
自由という字を


(武満徹)







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by sachiolin | 2010-11-07 01:46 | 空 ( ) | Trackback | Comments(0)