sachiolin.exblog.jp

わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー

<   2009年 12月 ( 9 )   > この月の画像一覧

海の底。

彫刻家が、一つの大きな石から
美しい裸体を掘りだしていくように、
演奏家は、命を削って魂を削って、
美しい音楽を浮かび上がらせなくてはならない。

石が叫んでくるのを、紙に書かれた音符が叫んでくるのを、
じっと読みとらねばならない。じっと感じとらねばならない。

孤独でなくてはならない。

ずっと孤独であることが、耐えられなかった。
自分という暗闇に、ぽっかりと空いた穴が、突如迫ってくることがあった。
それは津波のようなもので、そういう時は静かに海に沈んで、
その場を凌いだ。そのうちに波は去り、明るい砂浜に戻っていれば、
また友達と笑っていれば、そのことは忘れられた。

けれど、人は誰といようと、誰と笑っていようと、
一生孤独なのだ。生れてから死ぬまでひとりなのだ。
一時忘れられても、結局そこに戻ってきてしまう。
その事実は、圧倒的に自分に迫ってくる。戻ってくる。
森の中で、随分歩いたと思ったのに、また
同じところに、同じ場所に戻ってきてしまうような感覚だ。

そのいつもの場所からは、ちらちらと海の底が見える。
ぐるぐる回ったり、ちらちらと見たり、ぐいぐいと引っ張られたり。
多分、私は迷いながらも、孤独というものの
空恐ろしさから、逃げてきたのだ。
いや、そんなへっぴり腰では、
きっと海の底には潜れはしないのだ。


孤独というのはいいものだ。

最近ふとそう感じることが多くなった。
海の底に潜ったことはないけれど、そこはきっと静かで穏やかで
ゆっくりと時間が流れているのだろうと想像する。

静かに自分という生きものが沈殿していく。
闇が深ければ深いほど光を輝かしく感じ、
光の粒が細かく切実に訴えてくる。

安らかで穏やかで静かで波立たない、海の底。
静かに揺れ動く生きもの。静かに揺れる砂の粒。
自分ひとりでしかたどり着けない場所。
自分ひとりでしか味わえない感覚。
「さびしさ」と呼ばれるものを感じるのは、光と闇の間。
どうしてもそこを行ったり来たりする。
光が見えると、そっちに流される。そっちに引っ張られる。
でもそこからさらに下降すると穏やかな世界がある。

上から下へ。落下。沈殿。

落ちていく、落ちていく。海は深い。 
上がることだけを考えているうちは、深まらない。
上に積み上げることには限界がある。
深さは、知らずと高さになる。ゆだねることは強さになる。


孤独とは、もっと恐しいものだと思っていた。
孤独とは、穏やかな静かな海の底だった。

海の底には、潜ろうとして潜るものではないのだと最近分かった。
重い石を腰に巻きつけて、早く落ちようとしても落ちられない。
全てを受け入れて、ゆだねて、自分を砕いて、細かい砂になって、
静かに静かに水の中を落ちていくと、いつの間にか海の底にたどりつく。


私が、本を読むのが好きなのは、その自分が沈殿していく感覚を
リアルに味わえるからかもしれない。音楽や映画と違って、
本を読むのは誰かと味わうものではない。
ただひたすらひとりの世界に静かに沈んでいく。
沈んだ先で、作者の、その海底と横で繋がっている。
どろどろサラサラふわふわ。色んな砂がある。 色んな音がある。

暗闇で耳を澄ます。

光の粒が訴えてくる。
音の粒が訴えてくる。


海は深い。
どこまでも深い。


世界のどこにいても、
どこの誰といても、
目を閉じれば、海の底は、
わたしのすぐとなりで待っている。

じっと、耳を澄ます。



今日の言葉*

「窓を開けることは、聴くことである。
街を歩くことは、聴くことである。
考えることは、聴くことである。
聴くことは、愛することである。
夜、古い物語の本を読む。
ーーーー私の考えでは、神さまと
自然とは一つのものでございます。
読むことは、本にのこされた
沈黙を聴くことである。
無闇なことばは、人を幸福にしない。」

(長田弘 詩集「世界はうつくしいと」より)


今日の音楽**

Baden Powel   
魂を削る音がする。海の底の水の揺れる音がする。

[PR]
by sachiolin | 2009-12-31 09:48 | 考〇 | Trackback | Comments(0)

かけら◆12

日々思いついては消えていったり
日々他からもらってはためていったかけらを、
たまに書いていこうかなと。

本日12回目の試み。

基本的にごちゃごちゃのメモなので、
あしからず…。
ごちゃごちゃが、いつかどこかで
繋がったりしたら面白いなぁ~

手帳のメモ+twitterより。整理。
こんなことしてる暇があったら
何とやらですが・・・。たまに仕事が
お休みだと嬉しくて色々してしまう。

100%自分のためのメモなので、うんざりするので
忙しいかたは、読まない方がいいです。笑。


◆「2」
表・裏
ある・ない(あるようでなく、ないようである)
陽・陰
光・影
点・線
善・悪
わたし・あなた
2人称
内・外
生・死
男・女
夫・妻
親・子
心・体
二次元
平面
マンガ、アニメ、浮世絵
障子
着物(布)
薄さ・軽さ
マーチ
ことば・もの
天・地
天国・地獄
天使・悪魔
あの世・この世
夏・冬
精神・感情
考える・感じる
頭・心
理性・感性
インプット・アウトプット
閉じる・開く
行き来
往復
作曲家・演奏家
楽譜・音
楽器・弾き手
意識・認識
天才・バカ
紙一重、紙(表・裏)
・・・


「3」
3和音
三位一体
ワルツ
縦・横・高さ
3次元
空間(高さ)
フィギュア
知・情・意
立法・行政・司法
わたし・あなた・だれか
ウワサ
3人称
父・母・子
家族
厚さ・重さ
三角(形)
心技体
循環
作曲家・演奏家・聴衆
楽譜・音・?
楽器・弾き手・聴き手

More
[PR]
by sachiolin | 2009-12-24 08:53 | かけら◆ | Trackback(2) | Comments(2)
田口ランディさんの日記より。

いつもながら、スゴイ…。

ランディさんの本はずっと読みたいと思いつつ、
それこそ自分の心の深淵をのぞくようで、
どこか空恐ろしくて、読めなかった。

でも、最近突然一冊読んだ。
「キュア」。スゴイ本だった。
スゴイ勢いで読んだ。日本からドイツへ
向かう飛行機の中で、食べる時とトイレに行く時
以外は、ずっと読み続けた。空の上で、雲の上で、
あの本を読んだあの感覚はなんとも不思議だった。

いつか、感じた事を掘りおこして
書きとめたいものだ。


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

「畑で果物を育てるとするじゃないですか。突然一つのリンゴが悪くなることはない。悪くなるときは環境全体が変わっている。その中で生息する人はすべて一緒に変化している。でも気がつかない。カエルを熱湯に入れると驚いて飛び出すのに、水に入れて温度を上げていくとゆだってしまうのと同じです。一つの問題を取り上げて考えても、問題の本質に近づけない」

「犯罪者はこの世としっくりいかない人なんです。物の見方、感じ方が違う。体質のなかに異文化を持っている。コンピューターでいえばOS(基本ソフト)が違う。マックとウィンドウズのようなもの。OSは変えられない。そのOSでうまく生きられるようにしてあげないといけないのに、教育、法律、福祉、医療も一般OS、つまり平均的な日本人の気質に合わせて作られている」

 かつての日本には町工場があり、職人がいた。人付き合いは苦手だけど、完ぺきな物を作る人たちには最高の職業だった。その多くが中国に移ってしまい、コミュニケーション能力が評価される時代になった。「だから、自律神経を患ったり、うつ病になる人も多いのだと思う」


「映画を見てドキドキしませんか。小説を読んで泣きませんか。バーチャルっていえばすべてがそう。人間は脳から入ったバーチャルな情報で身体反応が出る。心臓は高鳴り、血圧は高く、瞳孔が開く。他の動物にはできない一つの能力です」


「こんなべたな展開の水戸黄門を見てなんで私は泣くの、っていうとき、ないですか? 人にはいろんなスイッチがあり、簡単に入る。昔の人は人間はそういうものと分かっていたから、社会にセーフティーガードを組み入れた。例えば、人情のネット、おせっかいです。8、9割は余計だけど、残りの1、2割がかなり効く」


(田口ランディ)
[PR]
by sachiolin | 2009-12-19 10:21 | 引用:: | Trackback | Comments(0)

手帳

この前、来年の手帳をやっと買った。

町中の本屋さんと文房具屋さんをうろつき回った。
何しろ、手帳って毎日毎日持ち歩くものだし、
思いつきや、何やらたくさんメモするし、
運命共同体、思考共同体、人生共同体のような
大切な存在なのだ。一年限定の濃厚なお付き合い。

こちらが、ここ何年かの私の分身たち。


c0110074_9542178.jpg






















こうやって積んでみたり、さわってみたり、
ひさしぶりに中身を読んでみたりすると、
昔の自分のかけらたちが、そこでまだ
どくどくと生きていて、しみじみとする。

字の感じで、その時の心の状態が伝わってくる。

ものすごく頑張っていたとき。
ものすごく悲しかったとき。
ものすごく嬉しかったとき。
ものすごく興奮していたとき。

あまりに悔しかったのか、ぐちゃぐちゃぐちゃと、
黒々と書きつぶしているところもあった。

考えてみると、自分がこんなにメモ魔になったのは、
何年か前に、松村さんのページを読んでからだった。
それまでは、もやもやと考えることがあっても、
別にそれを気にとめることもなく、書きとめることもなかった
私だったが、松村さんのあの独特のメモ、言葉と思考のつながりは、
当時の私に、センセーショナルな風を巻き起こした。
あれを真似して、日々の思いつきを書きとめるようになり、
そのうち、日記も書くようになり、ブログも持つようになり、
そのようにして、自分が考えることと、文章を書くことが
この上もなく好きらしいということが、分かってきた。
自分の好きなことを発見するのは、面白い。

あの時、ああやって刺激を受けていなければ、
こうして書きとめることもなく、自分を発見することもなかった
かもしれない。松村さん、ありがとうございます^^。



さて、来年の運命共同体は、こちらに決まった。
なかなかかわいいでしょう??
黒い帯は、ゴムの質感で中に磁石が入っていて
ぱちんといい感じで閉まるのです。
c0110074_9554659.jpg












Paperblanksという会社のもの。
ドイツの大きい本屋さんなら大抵置いてある。
にも関わらず、なんで今まで手を出さなかったのかなぁ。
なかなか、素敵なデザインが目白押しでかなり迷ったが、
自分のラッキーカラーはブルーだし、手にした時に、
ふっと落ち着いて、自分の体と馴染んだので決めた。

私のオーラや私の音は深いブルー色だと
言われることが、最近何度かあり、
何だか嬉しく感じている。好きな色だから。


今日はこの手帳君についに初書き込みをした。
ちょっとドキドキしてしまった。
新しい手帳に書き込み始めるときは、
これからどうぞ1年よろしくと思う。

この手帳の半分は、きっと日本で書いてるんだと
思うと、わくわく半分、不安半分。拠点が変わると
いうのは、いやはやなかなか人生の節目ではないか。

日本で、うまくやっていけるのだろうか。
ドイツを、離れていいのだろうか。
この、今の安定した生活を手放していいのだろうか。
今更ながら、ふとそんなことを考えたりもする。

いや、心のためにも体のためにも、来年日本に帰るべきなのは、
来年がベストタイミングだということは、自分自身が誰よりも
一番分かっている。ただ、やはりどこかでこわいのだろう。

場所が変わることが。
周りの人が変わることが。
自分が変わることが。


でも、きっと、この地で感じてきたこと、思ってきたこと、
考えてきたこと、たくさんの人から与えてもらったこと、
教えてもらったこと、授かったもの。それらは、自分の体のなかに、
自分の心のなかに、記憶されていて、蓄積されていて、生かされて、
生きているから、きっと大丈夫だと、そう思う。そう願う。

人は、忘れる生き物だから、
ときどき、こわくもなるけど。
ときどき、とてつもなく切なくなるけど。
ときどき、ぽつんと立ち尽くすけど。

忘れられるから生きてもいられるんだろう。


大人になっていくと、大切なものを失っていくけれど、
それはそれだけ大切なものに出会ったという証拠であって。

誰かから与えられた宝物は、いつの間にか、何かに変換されて、
私から次の誰かに、手渡されていく。失っているようで、
失っていないのかもしれない。回っているだけなのかもしれない。
バトンリレー。あなたからわたしへ。わたしからあなたへ。


こわくなったら、手帳をみなおそう。
こわくなったら、手帳をなでよう。


よしよしよし。




今日も毎日、書きこもう。
今日も毎日、忘れよう。
今日も毎日、感じよう。





今日の言葉*

「認識とは人間の海でもあり、人間の野原でもあり、
人間一般の存在の様態なのだ…美的なもの、君の好きな美的なもの、
それは人間精神の中で認識に委託された残りの部分、剰余の部分の
幻影なんだ。君の言う『生に耐えるための別の方法』の幻影なんだ。」
(三島由紀夫「金閣寺」より)


***写真のつづき


最近クリスマス市で出会った、超お気に入りのお二人。
ツリーになってしまったサンタは、初めて見ました。かわいすぎデス。
この二人が視界の隅に入るとどうしても見つめてしまいます。かわいすぎデス。
c0110074_10314651.jpg














コチラも、今年の新入りのサンタさん。担いでます。
今日もがむばって担いでます。
c0110074_10334682.jpg





















横から見ると、昔見た、行商のおばあさんのようです。
c0110074_10365948.jpg





























こちらは、私がドイツに来て初めての冬に買ったサンタさん。
帽子は何年も忘れたままであります。寒そうだなぁ。
>MYさん、花瓶このように↓大切に使わせていただいております^^。
そっちにピントが合っているのも、私の念力です。笑。
c0110074_1038882.jpg
[PR]
by sachiolin | 2009-12-12 10:41 | 思〇 | Trackback | Comments(0)

最近の空模様

毎週欠かさず読んでいる、占いサイト、筋トレ
なんか、モノゴトの本質をぐいっと掴むような
ことが書いてあることがあってたまにドキッとする。
単なる星占いというよりは、哲学のような。
年報も、味わい深くて、ついついじっくり読んでしまう。
当たってるとか当たってないとか、そういう次元じゃなくて
なにかを考えさせられるような文章。たとえ当たってなくても
文句を言いたくなるような占いではないのだ。


空模様ということばは、なんだかいい響きだなと思う。

空を見るのが、わたしは好き。
時間を忘れて、ぼうっと見入ってしまう。

私の住んでいる家は、高台にあって、
キッチンの窓からの眺めは最高だ。
ゆるゆると下り坂なって、町の端っこの大きな通りがあり、
その道の向こう側には、またゆるゆるとのぼり坂になって、
緑に囲まれた高級住宅地があり、その向こうには山が見える。

仕事から帰ってきて、パジャマに着替えてから、
夜ひとりで、キッチンから、その家々の明かりを眺めていると
ひとつひとつに、きちんと生活のドラマがあるように感じられて、
心がほっとなったり、じーんとしたりする。
家っていいもんだ。人がいる家っていいもんだ。



今日の空は灰色だった。
これといって、変化のない、灰色だった。

昨日の空は水色だった。
雲の流れがとても速かった。
といっても、嵐の前のような恐ろしさのある速さではなく、
雲たちが浮足立って楽しそうに移動しているような速さだった。
本当は、すべての雲が、他の雲よりも速く行きたいけど、
礼儀正しく、足並みをそろえているようだった。
雲たちが皆そろっていそいそとお出かけしているに違いなかった。
雲たちのパーティー。とびきりのごちそうと、とびきりの音楽が待っている。
さぁ暗くなるまでに移動しないと。さぁさぁさぁ。しゅるしゅるしゅる。

風よ、私たちを連れて行っておくれ。
雲たちにとって、風はタクシーに違いなかった。
メーターが、ぱちんと音を立てて、上がった。
雲たちは、「飛ばしておくれ、高速空路を使ってもいいから」と
運転手をあおりたてた。「そうは言われてもねぇ、御覧の通り、
渋滞していまっさ、お客さん。ここを抜けない事にはどうにも。
空はひろいけど、これじゃぁねぇ。今日は何かあるんですかい?」 

今夜は雲たちのパーティー。
とびきりのごちそうと、とびきりの音楽が待っている。
さぁ暗くなるまでに移動しないと。さぁさぁさぁ。しゅるしゅるしゅる。



筋トレより、さそり座の空模様。

★★★
がつんと進めていくときです。
心配事や不安なことなど、あって当然です。
ない方がむしろ、オカシイのです。
心配や不安も今は、
ドライブフォースになると思います。
それらを人と共有することが、
前進するための一つの力になるのです。

今週、勢いの良さや建設的な姿勢と同時に
懸念材料や恐さなどをも
見せていくことになると思います。
どちらか「だけ」ではなくて
両方を見せたときに初めて、
大きな説得力が生まれるような気がします。
両方をテーブルの上にのせてみたとき、
自分の本当の強みや課題がくっきり見えてきますし
そのことがさらに
周囲の信頼感を強くしてくれるのだろうと思います。


★★★
試作品を見せたら
「おお!」
と歓声が沸き、
そこで今までなかなか出なかったゴーサインが
満場一致で出る!

というような
そんなイメージの週です。
百聞は一見にしかず、
なんでも目で見て、手で触って、匂いを嗅いで初めて
頭じゃなくて体が納得する
ということがあるのです。

・・・・

今週の蠍座にもそんな、
「形」と「成果」の結びつきがありそうな気がします。
そして、その結びつきが
何らかのとてもあたたかくてうれしい「ゴーサイン」を
生み出してくれるのだろうと思います。



今日の言葉*
「トルストイは自分が天才であると云ふ事を自分で承知してゐるが、
ドストイエフスキーはそんな考は少しもなく、ただ自分の生活の為に
あれだけの仕事をした。ゲーテは自分の名が後世に伝はる事を
生きてゐる内からしってゐたに違ひないが、シェクスピヤは
今日まで自分の作品が読まれようとなどとは夢にも思はなかった
であらうと云ふ様な事を漱石先生が話されるのを聞いたことがある… 
何事によらず自分と云ふものにこだはる事をきらはれた様で、
晩年の先生の則天去私もさう云ふ気持に通じてゐると思はれる」

(内田百閒・私の「漱石」と「龍之介」より)
[PR]
by sachiolin | 2009-12-12 01:36 | 占∴ | Trackback | Comments(0)
私は子どもが大好きで、今日はパパの弾くオペラを
ママと観に来ていた、デイヴィット君と公演後少し遊んだ。

ドイツ人と韓国人のハーフの彼は、
始めこそ恥ずかしがって、パパの足に絡まっていたが、
そのうち目をくりくりと輝かせながら、私とも元気に話して走り回った。


「僕走るの速いんだ、きっと君より速いんだから。」と
デイヴィット君は鼻の穴を膨らませ、頬がぽーっと赤くなった。

「そうかー。そうだろうねぇ。むふふ」と
私は、さらさらでふわふわした栗色のきれいな
その髪の毛を、くしゃくしゃと撫でまわした。

「よーし。じゃここがスタートラインだよ。
いい?かけっこ、よーいどん!」


いきなり、彼は駆けだした。

「こら待て、こら待て。」

私も、付き合うように追いかける。
たまに彼は振り返ってにかっと笑う。

「こら待て、こら待て。」

人とぶつかりそうになりながらも、
うまくすり抜けて小さな生き物は
確実に前へと勢いよく進んだ。

「よぉし、ほら、掴まえた!
ここ沢山ひとがいるから危ないよ。
もうやめようね。いい?」

と私が言い終わらないうちに、
私の腕を強引に、けれど、うまく振り払って
いきなり、彼は駆けだした。


今度は後ろを振り返りもしない。
今度はにかっと笑いもしない。
一目散に駆けていく。

ぐんぐんぐんぐん駆けていく。

なにかから突然力を得たように、
小さな生き物はずんどこずんどこ突き進む。

彼の前には、車がびゅんびゅん走ってる。
彼は気にせず、ぐんぐんぐんぐん駆けていく。


パパが叫ぶ。
パパが走る。


私も必死に追いかける。


断崖絶壁の海に向かって
小さな生きものが駆けていく。
どんどん私たちを離れていく。

だめ。いっちゃだめ。

その先は、海だよ。暗黒の海だよ。
立ち止まって、振りかえって、笑って。




地面が落ちる直前で、海が始まる直前で、
小さな生きものは、大きな大きな
パパの腕の中に抱きとめられた。

パパは爛々と輝く二つの瞳をじっと見ながら
静かにしっかり叱った。パパの本気がつたわって
小さな生きものは、しんとして、こくりこくりと頷いた。


私は、何だか一瞬泣きそうになってしまった。



子どもは、危うい。
子どもは、儚い。

おとなが、じりじりとこわがって歩く崖っぷちに向かって
子どもは、迷いもなく力強く朗々と駆けてゆく。

暗黒の海の音は、暗黒の荒波の音は、
彼らには聞こえているのだろうか、
聞こえていないのだろうか。

彼らには何が見えているのだろうか。
彼らには何が聞こえているのだろうか。


私には、わからない。
私は、ただ、忘れてしまったのだ。
忘れてしまっているのだ。

子どもからいつの間にか
おとなになってしまった私の目に、
暗黒の海に向かって突き進む、
そのいのちの塊は、あまりにも眩しかった。
あまりにも美しく燃えていた。あまりにも強く。

私の心の古いねじり糸を、一瞬激しく燃やした。



危ういのはどっちなんだ。
危ういのはおとななんではないか。
死ぬことをおそれる私たちなんではないか。
生きることをおそれる私たちなんではないか。

私たちはいつから、かなしみを知り
私たちはいつから、おとなになってしまったのだろう。
私たちはいつから、あの駆ける力を失ってしまったのだろう。

あの眩しい、美しい、強い力を。



今日の言葉*
「小刻みにゆく塩垂れた帯の背を眺めながら、
母をことさら醜くしているものは何だと私は考えた。
母を醜くしているのは…それは希望だった。
湿った淡紅色の、たえず痒みを与える、この世の何ものにも負けない、
汚れた皮膚に巣喰っている頑固な皮癬のような希望、不治の希望であった。」
(三島由紀夫・金閣寺)
[PR]
by sachiolin | 2009-12-07 08:13 | 思〇 | Trackback | Comments(0)

ゆめメモ

私はよく夢を見る。

小学生のとき、ある1週間だけ、
連続ドラマのように夢をみたことがあった。
きちんと昨日の続きから見られるのだ。
あれは今思い返しても不思議な体験だった。


夢の世界って不思議。

どんなにへんてこりんでも、妙に納得している
自分がいる。夢を見ている時、人はあの世に
行っているらしいという話を伺った。
その先生が大好きというのもあるのだが、
またまた妙に納得してしまった。

そもそも、あの世のことは、
どんなにがんばっても、
この世では「想像」しかできない。
誰も証明もできない。みんな生きてるんだから。

こればっかりは死んでみないと分からないのだ。

実は今生きているこの世も、酸いも甘いも
思い出も悲しみも喜びも、目に見えるもの、感じるもの、
触れるもの、生きていること全ても、違う世界から見たら
すべてが「夢」という可能性もなきにしもあらずだ。

なんかでも、それは、切ないよな。

しかし、少なくとも、切ないと思う自分が
ここにいるのだから、私は確かに生きてきたのだろう。


この世は、試練の場、修業の場なのだという。
あの世は、音と色がより豊かで美しいのだという。


生まれ変わりというのも、私は信じている。

いったりきたり。
いったりきたり。

ぐるぐるぐる。
ぐるぐるぐる。





ゆめメモ /// 1

すごい嫌な感じの人に私の携帯をもぎとられそうになり、ヤダヤダーと取り合ってたら、携帯の折りたたみ部分が壊れ、それ以来、日本語表示ができなくなってドイツ語のみになってしまった。



ゆめメモ /// 2

プールで泳ぐ夢を見た。たくさんの泳ぐ人たち。外に出た。どうもそこは東ドイツで、木々がロマンティックに紅葉していた。スーパーに入った。ここのカートは使う時に一度後ろ歩きで店内に設置された坂を上って下らないといけないらしい。変なの。。お土産を探してる。見つからない。店内一番奥の窓際はゲームセンターになっていて横にずらりと少年たちが並んでとりつかれたように遊んでいた。買うものが見つからずパン屋さんでパウンドケーキみたいなものに目をつけたら、隣りのお客さんもそれをくださいと私と同時に言った。あなたいいわよと言われて甘えて買わせてもらった。が、よく見たら、深青緑色のカビが生えていた。でもそれはあまりに美しくてお店の人と、そのキラキラ妖しく光る物体に、しばし見惚れた。あの時時間が止まってるようだった。お店の人が、しばらくして、丁寧にカビを削って、ハイと渡された。さっきのお客さんは隣りで新しいパンを焼いてもらっていた。



ゆめメモ /// 3

ドイツの教会の中に入ると奥の方で電子ピアノで猛烈に練習している人がいた。よく見るとブレンデルだった。NHKの取材陣がどやどやと入ってくる。あぁ彼が講師で何か番組があるんだなと思ったら、彼は聴講生で、先生はモーツァルトのお父さん、レオポルト・モーツァルトだった。私はなぜか隣りの席に座らせてもらい、すごく優しく接してもらった。厳しいが愛情深く、息子ヴォルフガングを深く愛しているのが隣りに座ってじんじんと伝わってきた。天才を育てる親とはこうあるものかとやけに感動する私。息子の死をひどく悲しんでいた(実際は違う)。息子の作曲したヴァイオリン協奏曲5番のカデンツァがこの教会のどこかに隠れているのですと、静かに語った。みんなでそのカデンツァの譜面を探した。探しても探しても見つからなかった。ここで突然自分の意識が体から離れて教会を上から見た。なんと教会の屋根に楽譜が刻まれている。体に戻る。それはでも秘密にしておかなければいけないことのようで黙っていた。それからレオポルトさんが車を運転してくれた。のどかな田園風景。いつの間にか日本の田舎のようだ。小汚い食堂に入った。日本の食堂の中のレオボルトさんは、舞台に出るのを待つ役者さんのようだった。そこだけ浮いてる。らーめんを注文した。美味しい。ふとお店の柱に目をやると古ぼけた黄ばんだ張り紙があった 「おすすめ。鉄つくれます」 つとれの文字に丸がしてあった。そうかここでは鉄を作れるのか鉄を食べるのかおすすめなのかと妙に納得した。お店には必要以上にたくさんの人が働いていた。狭い台所にぎっちりと人が立って働いている。ネギを切る人、それを横に渡す人、麺を入れる人…。横一列にぎっちりと並んで機械のように仕事をしていた。
[PR]
by sachiolin | 2009-12-04 08:05 | 夢 /// | Trackback(2) | Comments(2)

階段ではなくて坂道。

音と音は、階段ではなくて
坂道でつながっている。

ドからレに行くまでに、
限りなくドに近いレと、
限りなくレに近いドがある。

点と点の間に無数の点が存在する。

人と機械が決定的に違うのは
その「間」を感じられるかということ。
その「間」を歌えるかということ。

点と点が坂道でつながって線になる。


ある音が始まると、その点がどこに
向かう点なのか、聴いてる人は
無意識に想像する。というよりは、
想像させるような音を出すのが大切だ。

たくさんの音をふくんでいる一音。一点。

実際に、ある一音を出した時には、
倍音が鳴っているのだから、
同時にたくさんの音が鳴っている。

倍音がより響くような一音一音を
つなげていくと、彩りが豊かになる。
俄然、立体的になる。奥行きがでる。

その一音一音が、どの和音の
どの部分を担当しているのか、
根っこなのか、中間なのか、一番上なのか
たとえば同じドだとしても、違う和音のなかだったら
担当が違うから、微妙に高くしたり、低くしたりする。
微妙にというのは、指をほんの0.数ミリ動かすか
動かさないかという、そういう感じである。

そういうのは、最終的には、
知識だけではおいつかない。
経験と感覚の世界だ。

端的にいうと、気持ちよいか気持ち悪いか
そういうことである。理屈をこえないといけない。
教えられることでもないかもしれない。
最終的には自分で学び、感じることだろう。


オーケストラというひとつの団体のなかで、
たくさんの人間がかかわって、ひとつの大きな
音楽を作っていくとき、特にその感覚がとても大切になる。
つまり、その感覚を養う一番のよき場である。
たったの一人でも、飛び出た音程を出すと、
それで、全てが崩れる。全てが歪む。
共鳴する、響き合うというのは、おそろしいけど
そういう世界なのだ。音の世界はだから美しいし面白いし豊かだ。


よい音程には、「すべりこむ」という感覚がある。
するするするっと、そこに入り込むのだ。
だから、階段ではだめで、どうしたって坂道なのだ。

坂道にするためには、指の先がやわらかく
なくてはどうにもならない。指の先というよりは、
全身がやわらかく、弾力があることが大切だ。

音程は、すっごく大切。

本当にいい音程をとってつなげていけば、
自然と音楽が美しくできあがっていく。


一音がはじまれば、次の音がつづく。つながっていく。

はじまりはおわりで、おわりははじまり。



音の世界は、奥が深いよのぉ。
音程が悪い悪いといわれて、何が悪いのか
分からなかった昔の自分を思い出す。
頭で分かるのではなく、心と体で感じるものだった。

音の世界は、奥が深いよのぉ。面白いよのぉ。
ああ、修業はつづくなり。



今日の言葉*
「空想と妄想は違う。空想は創造的だが、妄想は病的だ。
人間が元気になるためには空想が必要なのだ。
そして空想は孤独によって助けられる。
繋がりっ放しの状態は人を妄想的にする。
孤立は人を苛むけれど、孤独は豊饒で美しい。
いま、孤独になるのがとても難しい時代になった。」
(田口ランディ)
[PR]
by sachiolin | 2009-12-02 06:48 | 練習・レッスンメモ∞ | Trackback | Comments(2)

生活すること

ドイツに戻ってきてやっと1週間が経った。
覚悟していたけど毎日毎日仕事で目が回った。
1週間とは思えないほど毎日が盛りだくさんだった。
それもそのはず、1週間で5曲違う演目があった。

ドイツに着いてすぐに、保養モードから仕事モードに
切り替わった。最初の晩は案の定仕事で遅刻する
夢を見て、ハッと起きた。重心が上にある感じ。
飛行機で10時間に移動したら、体がきちんと戻るまで
10日間はかかると誰かが言ってたけど、そうなのかもなと思う。

家につくと、毎日ばたんきゅう。


元気は元気だし、食欲もあるのだけど、
買いものをする元気も料理をする元気も、どうしても出なかった。
何せ我が家は、坂の上の雲、いや坂の上の家で、
買い物をしたらえっちらおっちら坂道を
上がらなくてはならず、結構体力と気力が要るのだ。

ひとりの生活というのは、楽しいは楽しいけど、
楽しめるまでに、設定するのが結構時間がかかる。
自分のためにだけ料理して、自分ひとりで食べて
自分ひとりで片付けして…という一連の作業は
慣れてしまえば、なんてことないけど、
えいやっとスイッチがぱちんと入らないと
なかなか簡単には始まらない。

変にがんばって、
アトピーがひどいことになったんだから、
今回は、無理は禁物、ストレスも禁物と、
家では毎日ばたんきゅぅと寝た。


ドイツの留学仲間が、日本に完全帰国した。
皆口をそろえて言う。

「家に帰って、家族と一緒に暮らしてみて、
いかに自分がドイツで気を張っていたかが分かる。
ドイツにいたときは、そんなに気づかなかったけど。
家族がそばにいて、自分の国で生活して、
地に根を張る安心感てこういうことかと思った」

そうなんだろうね。

そんなにがんばってないつもりでも、
やっぱりがんばってるのかもしれない。
だから、別にがんばらなくてもよいのかも。

「海外で暮らしてるなんて、スゴイね、
私には想像できないよ」と言われる度に、
「そんなことないよ、やってみれば
できちゃうもんだよ。きっとみんな同じだよ」
そう言ってきた。なせばなる、そうだと思う。

でも一方でこうして外国に暮らして
違う言葉を話して生活していくことは
やっぱりスゴイことなのかとも今は思う。

誤解を招くかもしれないが、
決して自分を褒めてるわけではない。

がんばってるつもりがなくても、
いつの間にか知らない間に
がんばっている自分がいるということ。

そのことに、素直になったほうがいいし
認めたほうがいいと思ったのだ。
そうじゃないと、無駄にがんばってしまう
自分が、いつもいるから。力を抜いたほうがいい。



生活すること。

オハヨウと言い食べ物を買い料理し食べ片付け洗濯し乾かし畳み
掃除をし植物に水をやり顔を洗い体を洗い髪を洗いドライヤーをかけ
アイロンをかけイッテキマスと言いタダイマと言いオヤスミと眠る。

繰り返されることその営み。生きていくということ。淡々と。
毎日毎日死んでいくということ。 淡々と。


生活すること=生存して活動すること。
たしかに繰り返されるその営みは活動なんだろうな。
政治活動とか社会活動とか大きな他を動かそうとする力と同じように、
自分というものを動かそうとする力。気力と体力がないと生活にならない。

ひとりの人間の生活が成り立っていくことは、それだけで、
実はスゴクて、尊くて、幸せで、がんばってる営み。

だから、がんばらなくていい。

私は確かに、毎日生存して活動してる。
それだけで、いい。楽しんで、いい。

ひさしぶりに食べ物で満たされた冷蔵庫を見ながら、
生きるってこと、生活するってことを、しみじみと
考えてしまった、ひさしぶりのフリーディだった。



今日の言葉*
「人生とは自転車のようなものだ。
倒れないようにするには走らなければならない。 」
(アインシュタイン)

今日のドイツ語**
脱獄者;der Ausbrecher
・Der Verbrecher ist wieder ausgebrochen.
(あの犯人は再び脱獄した)

verbrechen-verbrach-verbrochen
(愚かなこと・悪事・不正などを)しでかす。

・Was haben wir denn verbrochen?
(我々が一体どんな悪いことをしたというのか?)
・Wer hat denn dieses Gedicht verbrochen?
(一体誰がこんなへたな詩を書いたんだ?)
包帯;die Binde,das Verband
[PR]
by sachiolin | 2009-12-02 02:56 | 考〇 | Trackback | Comments(0)