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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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<   2009年 10月 ( 15 )   > この月の画像一覧

道∺西田幾太郎

「人は人、我は我なり、とにかくに、我が行く道を我は行くなり。」

( 西田幾太郎)
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by sachiolin | 2009-10-29 10:29 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道∺松下幸之助

「長所も短所も天与の個性、持ち味の一面。
うぬぼれず嘆かず大らかにそれらを活かす道を考えたい。」

(松下幸之助)
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by sachiolin | 2009-10-29 10:28 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道∺岡潔

「『峠の頂上に立って見る』
峠の頂上では今まで来た道も
これからいく道もよく見通せる。
一つの理論には必ずそういう所がある。
そこ以外ではそのようには見通せない。」

「大きな荷物を背負ったままでは、
未知の世界へなど入って行けるものではない。
手段はその場でそれに合わせて作るのであり、
一度使った道具は二度と使うと思うな。
前進するほど荷物がふえるのではなく、
逆に身軽になっていくものだ」

岡潔
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by sachiolin | 2009-10-18 07:25 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

今、ココ。

結果をまず書こう。
今日は、すごくいい日だった。
ここ最近で稀にみる、花丸な日だった。


友人が、日本からの新婚旅行の途中で
私の住む町の近くの空港で、4時間くらい
待ち時間がある、というので会ってきた。
レアな状況。特別な状況。

ちゃんと会えるのかな?
ほんとに来るのかな?
ココに?ドイツなのに?

出口付近で、彼女たちを待つ私は、
異様にドキドキしていた。心臓が高鳴った。

目の前を通り過ぎていくたくさんの人たち。
しばらくして、知ってる顔が登場。

「わぁ~~~さっちゃ~~~ん!!!」

旦那さまとは初対面なのに、そっちのけで(←失礼)、
我ら、しばし、ハグ。ハグハグハグ、ぐるぐるぐる。
ほんとに、あなたがここに!感動。

やっと、普通に旦那さまとはじめましてのご挨拶をし(←失礼)、
どうしようか?と話す。私は、町までちょっと連れ出そうかしらと
考えていたけど、やっぱりのんびり空港内でお茶をすることになった。


会う前の心臓バクバク感はどこへやら、
会ったその瞬間から、いきなり「普通」に戻った。

「普通に」お茶して、笑って、食べて、話して。

ココ、ほんとにドイツかな?と錯覚した。
黒ビールとかソーセージとか出てきてるけど、
周りの人、ドイツ人だけど、東京なんじゃないの?ココ。
「普通」すぎるよ、わたしたち。
「普通」すぎるよ、この感じ。



でも私は。
それが何よりもとても嬉しかった。
本当に嬉しかった。



ああ、そうか、「今、ココ」ってこういうことかと。
「今、ココ」そして、「あなたとわたし」があれば、
世界中どこにいたって、そこから
世界が始まるんだ、宇宙が広がるんだという喜び。


今は、世界中どこにいたって、パソコンというものを通して
ただで気軽に電話もできて、顔を見て、言葉もいくらでも交わせて、
ホントに、それは、すごいことだし、有難いことだと思う。
「今」を共有し、世界がつながっている。空がつながっているように。
でもやっぱり、「今、ココ」には絶対に敵わない。
遠く離れてばらばらだった、ふたつの「今、ココ、わたし」がくっついて、
そうして、「今、ココ、あなたとわたし」が生まれたとき、これは最強なのだ。
あったかくて、嬉しくて。共鳴して、広がる。世界が。これは最強なのだ。


「普通」に、お茶して、笑って、話して、2時間。
別れのときが、あっという間にきた。

「元気でね」「旅行楽しんでね。」

またしても、旦那さまをよそに、ハグ。
いや、普通に、私は旦那さまにもハグしかけたけどね、実は。笑。
ドイツだと、ハグは、結構普通だから、余計に。


手が離れて、体が離れて、また遠くへいった。
二つの「今、ココ、わたし」がまた離れいていく。

さようなら。
さようであるならば。

別れは、やっぱりかなしい。
でも、今は、そんなにかなしくない。
「今、ココ」が、分かったから。
その意味が、やっと実感できたから。


空港に向かう電車のなかで、竹内整一著の
日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」を
ちょうど読んでいた。その日本人の死生観に、
特に、吉田兼好の引用部分に感銘を受けた。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

「死は、前よりしも来たらず。かねてうしろに迫りけり。」

死というのは前にあって、いつか死ぬというのではなくて、
すでに背後に迫っているのだ、と。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


私の今までの思い描いていた「生きる道」のイメージが覆された。
それは、この世界と同じように、大地があり、自分という人間の
立っている場所からは、360度地平線が広がっていて、
振り返ると、自分の歩んできた道が一本つながっていて、
目を前に向けると、これから歩むべき土地が広がっている。
いつか来るべき「死」は、今までの道とこれからの道の
その一本のつながりの最終地点、つまり、あくまで、それは私の前にある。
1か月くらい前に日記に書いたとおり、馬車馬のごとく必死でとにかく
目の前にある目標を、道を走ってきた今までという時間、過去があって、
そして、今は、目隠しを外されて、目の前に広がる草原に、
少し呆然と、立ち尽くしているところだった。今までは歩むべき道が
目の前にあったから、走ってきたのに、草原だよ、見渡す限り。
困ったなぁ、道を作っていかねばきゃならん、草を抜かねばならん。
いくらでも、自分の好きなように、道が作れてしまうではないか。
面白いけど、大変じゃないか。悩むじゃないか。こわいじゃないか。
自由ってこういうことか。そう思っていた。そう感じていた。

でも、目の前には、草原なんてないんだと分かった。

自分という人間が、地面に立っていて、そこは、
まぎれもなく「今、現在、ココ」で、その自分の後ろには
死んだ過去があり、自分の前には未来がある。
それは変わりない。でも、目の前は、崖なのだ。
崖っぷち。断崖絶壁。ちょっと身を乗り出して、下を
のぞいてみたら、鳥肌が立つくらい、暗闇が広がっている。

自分が「生きている」と、心の底から、体の芯から、
深く強く感じるとき、死の淵を歩いているような感覚を
同時に持つ。生きるというのは、同時に死ぬということなんだと
実感する。そんなことは、めったにないけれど、たまにそれが
訪れたとき、身震いのする、感動を覚える。そして、こわさも覚える。

吉田兼好という人は、それを普通の人より
よりたくさん、より深く、より激しく、けれど静かに感じていたのだろう。
「つれづれなるままに」は、その断崖絶壁を
味わいながら、しゃなりしゃなりと、歩いている姿のように
思えてならない。高い高い崖から、目の前の深い暗闇、空(くう)に、
一歩、足を踏み出すこと。それは本当におそろしい。
けれども、それを一歩踏み出せば、それが大地になるのだ。

一休さんが、言ってたっけ。

「この道をいけばどうなるものか危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。踏み出せばそれが道となり、
一足が道となる。迷わず行けよ、行けば分かるさ。」

私はこの意味を浅くうけとっていた。
目の前には大地があり、そのとりあえずの安心感のなかで、
一歩一歩を踏んで、道を歩んでいく作っていく。
迷わず来たつもりだった。実際に後ろには道はできてきた。
でも私は、まだ分かっていなかった。目の前は断崖絶壁だった。

絶壁から一歩を踏み出すこと。
暗闇に一歩踏み出すこと。
それは、死の恐ろしさである。
そして、実際に、死んでいるのだ。
生きていると同時に、死んでいるのだ。
それが、生きるということなのだと。

「行けば分かるさ。」

天国の一休さん。私はやっと今、
それが少し、分かった気がします。


未来のことを憂いたり、悩んだり、心配したり。
立ち止まったり、後ずさりしたり、ぐるぐる回ったり。
そんなことしても、しなくても、じたばたしても、しなくても、
未来は暗闇で、目の前は絶壁なんだから、
おそれず騒がず、「つれづれに」、歩んでいけばいい。
「今、ココ」を充実させていけばいい。一歩一歩。


なんか、それは、ものすごくこわいけど、
ものすごくわくわくして、ハッピーなことだ。

今、心から、素直に、そう思える。そう感じる。


やっぱり今日は、花丸な日だ。



今日の言葉*
「心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。
心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。」
村上春樹
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by sachiolin | 2009-10-16 08:09 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

漫画家の描き込み

漫画家が描き込んでいくところを、はじめて見た。
白い石の塊から、美しい少女が彫られていくみたい。
こちら側から、創り出していくというよりは、まるで
あちら側から、こう描いてくれと切実に語ってきているようだ。
ものすごい集中力で、その世界に完全に没入していって、
自他の境界線が溶け合って、見事にひとつになっている。
見ているこちらも、その世界に思わず、しーんと吸い込まれてしまう。

ペンが、完全に自分の腕の延長になっていて、
本当に自由自在に、動いているのは流石!!!
印象的だったのは、紙をくるっくるっと
実にうまく回転させていることだった。

紙というのは、私のスタンスで言うところの、
ヴァイオリン、楽器そのものだ。
ヴァイオリンを弾く時も、低い弦のときと、高い弦のときは、
微妙に角度を変えて、ベストのポジションに自然に持ってくる。

ペンというのは、弓そのものだ。
どれだけ、それが腕の延長になって、
自分の体の一部になって、表現を伝えられるか。
弓とペン。同じだなぁ。まったく。


それにしても、森さん、スゴイ・・・!!!!!
何だか私は感動してしまった。
何だか私はパワーをもらった。
ありがとう。私も黙々と弾こうっと。

エマに続き、新作も楽しみだ。


下書き



ペン入れ・1



ペン入れ・2



ペン入れ・3



ペン入れ・4



トーン




新作についての、インタビュー+動画。
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by sachiolin | 2009-10-15 03:06 | 引用:: | Trackback | Comments(2)

ダンスの世界

シュテファン・トスの創り出すダンス、世界が、
私はすごく好きで、日本の人々にもいつか
見てほしいなぁと思う。そのトスのもとで、
長いこと働いているゆうきさんは、さすが昨日の舞台でも、
トスの紡ぎ出す言葉を、深く理解しているのが、
たくさんのダンサーたちのなかでも、よく伝わってきた。
深みというか、厚みというか。ああいうのは、
一朝一夕で作り出されるものではなくて、
長い年月をかけて培われたものなのだと強く感じた。

もうドイツに来て12年だという。

ダンスの世界というのは、音楽の世界以上に、
厳しいのだろうが、若くして日本を離れ、
異国の地で、長年信念をもって、続けてきている
ということ自体でも、大いに尊敬してしまう。
続けるということは、想像以上に大変なことだ。
なにがあっても、続けること、それは、力そのもの。
そして、ただ続けるだけではなく、さらに、
どんどん進化して、新しい世界を開拓していける力。
自分にとことん厳しいゆうきさんを見ると、
いつも、自分が恥ずかしくなったり、パワーをもらったり。

ゆうきさんは、ダンサーだけでなく、振付家としても活躍している。
今シーズンは、新作も発表される。
今から、とても楽しみだ。
You tubeに一部が公開されているので、
是非ここで紹介させていただきたい。


「ひかり、肖像」 5.2008



「Les Enfants Terribles 恐るべき子供たち」2006



ワークショップ 8.2009

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by sachiolin | 2009-10-12 00:12 | 観■Tanz | Trackback | Comments(0)

das Auge der Welt

昨晩は仕事がなかったので、バレエを観に行った。
今シーズンイタリアから移籍した新メンバーのキハコちゃんとは、
blogphotogragh
彼女のヴィザの申請を手伝いに外人局に行ったり、
お茶をしたりしていたけれど、彼女が踊る姿は初めて観た。

舞台の上の彼女はひたすら眩しかった!!!

モダンバレエ(いやコンテポラリー?)だから、
意味を探るということをしたくなるけど、
頭は動かされず、ただひたすら心が揺さぶられた。

日本人女性なのに、体格にも恵まれていて、
西洋人のなかでも、ひときわ美しくそこに存在していた。
いや、寧ろ、私は、日本人のもつ感性というもの、
可能性の広がりを、あらためて、彼女を通して感じたのだった。

踊る彼女を見ていると、なぜか私は、
彫刻が動いている、生きていると感じずにはおれなかった。
石の塊から、叫びをもって彫りだされたもの。その彫刻が、
瞬間瞬間が生きていて、それがなおかつ目の前で動いている。
私は息をのんで、一瞬も逃すまいと食い入るように見つめた。

生きている「凄み」というものを強烈に感じた。
いや、今まで生き抜いてきた凄みだろうか。
彼女のダンスは、言葉だった。言葉以上の言葉だった。
大好きなシュテファン・トスの創造するダンスは、
もともと中性的なものを感じていたが、彼女は性別も国籍も越えた、
今そこに生きる生き物としての、圧倒的な存在感だった。

キハコちゃん、君はすごい!惚れたよ!!


昨日の舞台には、日本人ダンサーが3人も踊っていた。
みんなキラキラ輝いていて、踊るのが好きなんだ、
続けてきたんだ、という強い思いのようなものを感じ、
なんだか、私はすごく嬉しかった。
こんなにも素敵な人々が近くにいて、
なんて幸せなんだろうと思った。
すごくよいパワーをもらった。

ありがとう。



今日の言葉*
「この少年は私などとはちがって、生命の純潔な末端のところで
燃えているのだ。燃えるまでは、未来は隠されている。
未来の燈芯は透明な冷たい油の中に涵っている。
誰が自分の純潔と無垢を予見する必要があるだろう。
もし未来に純潔と無垢だけしか残されていないならば。」
(三島由紀夫「金閣寺」より)
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by sachiolin | 2009-10-11 23:37 | 観■Tanz | Trackback | Comments(0)

道∺野口晴哉

「人の生きるのは自然である。死ぬのも自然である。
 何のために生きるのか、それは判らない。
 自然を活かすためかもしれない。自然を活かして
 何になるか、それも判らない。
  人は目的も使命も判らないで生きている。
 ただ生きていることそのことが、自然の使命を果たして
 いるのかもしれない。自然に生きていれば快いのだから、
 生きていることそのことが自然だ。それ故、生きていること
 そのものが使命であろう。それ故、生きている目的は、
 生きていることそのものである。

  生きるも死ぬも自然だ。何れにしても順応するだけだ。
 生ききって死ぬことが、働いて眠くなるように快くあれば、
 健康な死と言えよう。生きるとは死ぬことだ。
 死ぬことによって生きているのだ。

  生も快なら、死もまた快だ。快く死ねないのは、
 快く生きていなかったからだ。

  元気に生きよう。進めば道は自ずから拓かれる。
 躊躇している間に、時は過ぎて行く。一瞬の時にも
 生命は流れて行く。死の直前の一瞬も、今も、
 また同じ一瞬である。一秒間も大切に使わねばならない。
 一分間も元気を満たして活き活き生きることが、
 自然の行き方だ。生きる事は、自然の使命だ。

  しとげたことに光があるのではない。しとげつつある 
 その行程に光はあるのだ。しとげたことにしか光を見ないのは
 人間だが、自然の光はしとげつつある行程に現れる。」

(野口晴哉)
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by sachiolin | 2009-10-08 22:06 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道∺論語物語

「万一にも、お前がその病気を恥じて、顔をかくしているとすると、
それは正しいとはいえない。お前の病気は天命じゃ。
天命は天命のままに受け取って、しずかに忍従するところに道がある。
しかも、それこそ大きな道じゃ。そして、その道を歩む者のみが、
真に知仁勇の徳を完成して、惑いも、憂いも、懼れもない心境を
開拓することができるのじゃ。」

「永遠は現在の一瞬にある。刻下に生きる心こそ、生死を乗り越えて
 永遠に生きる心なのだ」

「天命、----そうだ。いっさいは天命だ。
病める者も、健やかなる者も、おしなべて一つの大いなる天命に
抱かれて生きている。天は全一だ。天の心には自他の区別はない。
いわんや悪意をやだ。天はただその歩むべき道をひたすら歩むのだ。
そして、この天命を深くかみしめる者のみが、刻下に道に生きることが
できるのだ。」

(下村湖人「論語物語」より)
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by sachiolin | 2009-10-08 21:54 | 道∺ | Trackback | Comments(0)
友人に貸していた本が、昨日戻ってきた。
下村湖人の「論語物語」。
何となくずっと、読みなおしたいと思っていたので
ひさしぶりに手にとってみて、不思議な安心感がある。
好きなときに、読みたい時に、いつでも読める。
かたわらに置いておきたいと思う。
まさに座右の書と言うにふさわしい。


孔子と、その弟子たちが、実に見事に
生き生きと描き出されている。
それは、紙の上に書かれた言葉でしかないのに、
それは、命をもって、私の心の中で、不思議なまでに生きる。
孔子という人が、目の前で、ゆったりと静かに語る姿が目に浮かぶ。
自分もその弟子のひとりとして、そこに佇んでいるような
心持になってくる。はじめて、最初から終わりまで読んだときは、
本当に、共に修行をして、長い旅をしたようだった。
温かなものが、自分の中にほわんと育まれ、涙が出た。
さめざめと泣いたり、おいおいと泣いたり、静かにじっと泣いたり、
いろんな涙があるけれど、あれは「温かな涙」だった。

たくさんの章があるが、なかでも好きなのは、

「伯牛疾あり」
「自らを限る者」
「楽長と孔子の目」
「匡の変」
「渡し場」
「陳祭の野」
「泰山に立ちて」



特に、「伯牛疾あり」は、今自分も肌のことで苦しんでいるから
余計に心にしみた。「楽長と孔子の目」は、音楽家を目指すなら、
だれしもが読むべき文章だと感じる。読むたびに、ああ、まだまだ
至らないなぁと、自分の未熟さと目指すべきものの大きさをありありと感じる。


よい本というのは、読むたびに味わいを増す。
よい映画もよい絵もよい演奏も、受け取り手の中で
自由に成長し飛躍する。ホンモノはスゴイ。
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by sachiolin | 2009-10-08 21:47 | 読◇non-Fiktion | Trackback | Comments(0)