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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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道∺よしもとばなな

「愛情はいくらだって注げる、まるで日本国の水道のように、
 いくら出しっ放ししてもきっとつきない、そんな気がするものね。
 と何でだかふと思ってしまったのだ。」

(よしもとばなな「TSUGUMI」より)
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by sachiolin | 2009-03-27 01:09 | 道∺

内田樹さんのブログには、はっと考えさせられることが多い。
いつも、盲点を突かれる感じなのだ。今回も色々と考えさせられる文章
卒業式にこんな事をライブで人に言われたら、一生心にずしんと
残るだろうなぁ。幸せだなぁ、卒業生は。


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「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」という聖句をふつう私たちは「自分を愛することは容易であるが、隣人を愛することは困難である」と解する。
私たちは「自分を愛する仕方」は熟知しているが、「隣人を愛する仕方」はよく知らないと考えている。
だが、それはほんとうだろうか。
私たちは自分を愛する仕方を熟知していると言えるであろうか。
例えば、私たちの国では年間3万人を越える人々が自殺をしている。
彼らは「自分を愛している」と言えるだろうか。
家族の愛や友人から信頼を失って、「こんな私に生きている価値はない」と判断して自殺する人がいたとする。
その人の場合、「こんな私に生きる価値はない」と判断した「私」とその「私」によって死刑を宣告された「私」の二つの「私」のどちらが「ほんとうの私」なのであろう。
それほど極端な例をとらなくても、「自己卑下」や「自己嫌悪」は私たちにとって日常茶飯事である。
そもそも向上心というもの自体が「今の私では満足できない」、「私自身をうまく愛せない」という事実から推力を得ているとは言えまいか。
だから、もし「社会的上昇」や「他者からの敬意」を努力目標にすることが万人にとって「よいこと」であるというのがほんとうなら、私たちは隣人に対しても「もっと自分を嫌いになれ」と勧奨すべきだということになる。
論理的にはそうなる。
そして、隣人が自分自身を嫌いになるためにいちばん効果的な方法は「現に私はお前が嫌いだ」と言ってあげることである。
そうですよね。
人から「愛している」と言われて、「このままではいけない」と生き方を改める人間はあまりいない。
でも、人から「嫌い」と言われたら、よほど愚鈍な人間以外は、すこしは反省して、生き方を変える機会を求める。
だから、隣人たちの向上心を沸き立たせ、彼らが自己超克の努力に励み、ついには「自分探しの旅」に旅立るように仕向けるためには、隣人に向かって、「お前なんか嫌いだ」と言ってあげることはきわめて有効なのである。
現実に私たちは日々そうしている。
気がついていないだけで。
だから、まわりを見まわしても、「自分を愛する」仕方を自然に身につけている人は少ない。
それよりは権力や威信や財貨や知識や技芸によって、「他人から承認され、尊敬され、畏怖される」という迂回的なしかたでしか自分を愛することのできない人間の方がずっと多い。
だが、「他人から承認され、尊敬され、畏怖される」ほどのリソースを所有している人間はごく少数にすぎない。
だから、結局、この社会のほとんどの人間はうまく自分を愛することができないでいるのである。
資本主義市場経済というのは「私はビンボーだ」という自己評価の上に成立している。
「私が所有すべきであるにもかかわらず所有していないもの」への欲望に灼かれることでしか消費行動はドライブされないからである。
同じように、高度情報社会も格差社会も知識基盤社会も、どれも「私は今のままの私を愛せない」という自己評価の上に成立している。
「私は私によって愛されるに足るほどの人間ではない」という自己評価の低さによって私たちは競争に勝ち、階層をはいのぼり、リソースを貯め込むようになる。
私たちが私たちを愛せないのは、私たちのせいではなくて、社会的なしくみがそうなっているから当然なのである。
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by sachiolin | 2009-03-23 10:55 | 引用::

マザーテレサ再び

マザーテレサに関しては、
死後色々な報道があるが、
2年ほど前に出会ったこの言葉は、
やはりぐっと心にくるものがある。

ここに今一度。





「構わず、あなたでありなさい」

人は不条理で自己中心的なものです。
構わず、彼らを許しなさい。

あなたが人に親切にすると、
人はあなたの偽善を責めるでしょう。
構わず、親切でありなさい。 

あなたが正直であれば、
人はあなたを騙すでしょう。
構わず、正直でありなさい。

あなたが幸せだと、
人はあなたを妬むでしょう。
構わず、幸せになりなさい。
     
今日あなたのしたよい行いは、
明日には忘れ去られるでしょう。
構わず、よい行いをしなさい。

               
親切で慎み深くありなさい。
あなたに出会った人がだれでも
前よりももっと気持ちよく
明るくなって帰れるようになさい。
親切があなたの表情に、まなざしに、
ほほえみに、温かく声をかけることばに
あらわれるように
子どもにも貧しい人にも
苦しんでいる孤独な人すべてに 
いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい
世話するだけでなく
あなたの心を与えなさい

何もしなくてもいい。
そこに苦しんでいる人がいることを
知るだけでいいのです。

あなたがちょっと微笑むだけでいいのです。
新聞を読んであげると、慶ぶ目の不自由な人も、
買い物をしてあげると、慶ぶ重い病気の母親も
いるでしょう。

小さいことでいいのです。
そこから、愛は始まるのです。

平和は微笑みから始まります。
1日5回あなたが本当は笑顔を見せたくない人に
微笑みかけなさい。
それを平和のためにするのです。

健康な人やお金持ちは、どんなウソでも言えます。
飢えた人、貧しい人は、
にぎりあった手、見つめあう視線に、
ほんとうに言いたいことをこめるのです。

ある人が尋ねました。
「いったいいつ、貧しい人々の貧困はやむのですか?」
私は、あなたと私が分かちはじめたそのときに、
と答えました。
より少なく持てば、
その分、より多く与えられるのです。
より多く持とうとすれば、
より少なく与えることしかできません。

私は、不親切で冷淡でありながら奇跡を行うよりは、
むしろ親切と慈しみのうちに
間違うほうを選びたいと思います。
      
(マザーテレサ)
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by sachiolin | 2009-03-20 09:13 | 引用::

道∺友

「泣いてもいちにち
 怒ってもいちにち
 悩んでもいちにち

 どうせおんなじ
 一日なら
 思いっきり
 笑っていちにち

 それがきっと
 しあわせへの
 一番の近道だからね。」

(友人のブログより)
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by sachiolin | 2009-03-13 06:31 | 道∺

道∺武満徹

「私は自然と人間を相対するものとしては考えられない。
私は生きることに自然な自然というものをとうとびたい。
それを<自然>とよびたい。これは奥の細道に遁れるような
行為とは大きく矛盾するのである。私が創るうえで、
自然な行為というのは現実との交渉ということでしかない。
芸術は現実の沸騰的な交渉ののちにうまれるのだ。」

(武満徹「音、沈黙と測りあえるほどに」より)
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by sachiolin | 2009-03-13 06:30 | 道∺

道∺宮沢賢治

「 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
 きれいにすきとおった風を食べ、桃いろの美しい朝の日光を
 のみこむことができます。
  またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろの
 きものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
 宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
  これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや
 鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
  本当に、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、
 十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
 もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
 ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようで
 しかたないとということを、わたくしはそのとおりに
 書いたまでです。
  ですから、これらのなかには、あなたのためになるところも
 あるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、
 わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、
 わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、
 わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの
 幾切れかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうの
 たべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」

(宮沢賢治「注文の多い料理店」序文より)
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by sachiolin | 2009-03-13 06:30 | 道∺

道∺宮本武蔵

「正しい道を、自分が極めようとしっかり決意し、
 朝に鍛え、夕に練り、技を磨き尽くした後に、
 人は自由自在の神秘な力を持つことができるようになる。」

(宮本武蔵)
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by sachiolin | 2009-03-09 01:36 | 道∺

道∺武満徹

「表現することは、けっして、自分と他を区別することではない。
 世界はいつでも自分の傍にありながら、気附く時には遠くにある。
 だから世界を喚ぶには、自分に呼びかける他にはない。
 感覚のあざむきがちな働きかけを避けて自分の坑道を降りることだ。 
 その道だけが世界の豊かさに通じるものなのだから。」

「私は自然と人間を相対するものとしては考えられない。
 私は生きることに自然な自然というものをとうとびたい。
 それを<自然>とよびたい。これは奥の細道に遁れるような
 行為とは大きく矛盾するのである。私が創るうえで、
 自然な行為というのは現実との交渉ということでしかない。
 芸術は現実の沸騰的な交渉ののちにうまれるのだ。」

(武満徹「音、沈黙と測りあえるほどに」より)
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by sachiolin | 2009-03-09 01:35 | 道∺

道∺小林秀雄

「努力は五里霧中のものでなければならぬ。
 努力は計算ではないのだから。
 これは、困難や障碍の発明による自己改変の長い道だ。
 いつも与えられる困難だけを、どうにか切り抜けて来た、
 所謂世の経験家や苦労人は、一見意外に思われるほど
 発育不全な自己を持っているものである。」

(小林秀雄「モオツァルト」より)
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by sachiolin | 2009-03-09 01:34 | 道∺
この絵を描いたときのことは
何故だかよーく憶えている。
とにかくすごく楽しかった。

特に、最後のあたり。
音楽でいうと、コーダのあたり。
絵が完成する直前、
曲が完成する直前。

だだだだっと、それまでのお話が
爽やかに/切なく/懐かしく/思いだされる
結びのあたり。

モーツァルトは、そこらへんの
やり方がものすごくうまいと思う。
やっぱり天才だと思う。

コーダに入った途端に
ああ、もうこの音楽はもうすぐ
終わりなんだなというのを匂わせる。
色んなことがあったけれども、
ものごとには終わりがどうしてもあるんだという
切なさを滲ませる。そこにはある種の潔さも混じってる。


この絵たちは、そんな、コーダの感覚を
今でもよく記憶している不思議な思い出。

初めて香水瓶を描いてみたけど
彼らはとても魅力的だった。

とろーんとした液体を支える入れ物たち。
香水瓶のデザインって、楽しそう。

ちなみにピンクの方はEspritで
黒い方はcommaの香水。

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by sachiolin | 2009-03-02 09:30 | 描¶ Wachsmalstift