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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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<   2008年 02月 ( 7 )   > この月の画像一覧

右手首の調子は徐々に回復中。
もう料理もできるし(包丁が持てる)、
顔も洗えるし、ドアも開けられる。
つまり普通に生活ができるようになった。

痛みもだいぶ減り、楽器も毎日少しずつ
だましだまし弾き始めている。

あまり悩まず、放っておけば、
自然に治ってくれるさくらいに
気軽に考えられるようになってきたのが
よかったのかもしれない。

自分の体をケアするのも勿論だが、
「信用する」のも大事なことデスネ。


一日のうちで僅かになった
ヴァイオリンに触れるひととき。

すごく楽しい。


原始的に音を聴いている。笑
弾くこと自体に、随分囚われていたのだなと
思った。自分の声域を飛び越えた音を
出しているということの喜びと面白さ。
その音を自分の声と本当に感じられた
瞬間は、楽器と一体になれる。

殆ど弾いていないからこそなのだろうが、
例えばちょっと弾けないところがあると、
こうすれば弾けるようになるだろうという
アイディアが次々と頭に浮かんでくるのが面白い。

弾かないことも、勉強になるもんだ。
ふむ。


ゼロに戻ることの大切さ。
一枚の画用紙でちょっとずつ書き足すのではなく
何枚もの画用紙でどんどん試すこと。
白い画用紙をいつも用意しておけること。



今日はマイピアニストと、
4月から始めるピアノトリオの選曲のため
図書館で楽譜を見ながらCDを聴き漁った。

ベートーヴェンというのは決めていた。

大量のCDを山積みにして
Op1-1からスタート。


驚きの録音に出会ってしまった。

コルトー+ティボー+カザルスの
大公トリオとシューベルトB-Dur。

この録音は歴史的名演として
超有名らしいが、初めて聴いた。

コルトーのピアノは、何かのDVDで
一瞬観たきりだったが、これほどまでに
素晴らしかったとは!
何ていう美しい音なのでしょう。
美しすぎてため息が思わず漏れてしまう。
キラキラしていて瑞々しくて光に満ちている。
小川のせせらぎのような、
森に湧き出る清冽な泉のような、
木々の間から洩れる朝の光のような。
ピアノという楽器がこれほどまでに
多彩な音が出せるなんて。

この人の頭の中でどれほどの
ファンタジーが自由に羽ばたいていたことか。

シューベルトの録音では、また超有名な
所謂百万ドルトリオ(ハイフェッツ、ルービンシュタイン、
フォイアマン)の録音とも聴き比べてみた。
生き生きとしていてこれまた文句なく素晴らしい。
その生命の鼓動がぞくぞくと伝わってくる。

ただ、コルトーたちの演奏は何かが違う。
もっと何か別世界の異次元の音楽なのだ。

この三人の奏でる音楽は、
この世のものとは思えない、
まさに天上の音楽。
まさに神々の饗宴。

目に浮かぶのはギリシャ神話の世界。


何て素晴らしいアンサンブルなのだ。
決して縦の線が合っているわけではない。
場所によっては、寧ろずれにずれている。
ところが不思議なことに、それが全く
気にならず、それどころか、それが魅力と
なって浮き立ってくる。
絶妙のずれ。
ずれの美学。

一つの生体としての人間のもつ、
生きている上での、バイオリズム
とでも言うべき一種の「波」があるとする。
この神々の饗宴を聴いていると、
その波が心の奥深いところで、
ふるふると静かに共鳴するのだ。

音楽というのは不思議なものだ。
人間というのは不思議なものだ。

普通に合ってる合ってないという次元で
考えると、合っていないのだが、
音楽的には究極に三人の波が合っている。
合っているというより、お互いの波が
影響しあって呼吸しあって増幅している。
海で小さな波が集まって大きな波を作るように、
その大波は海岸の砂を、聴いているものの心を奪っていく。


アンサンブルというのは、
合わせよう合わせようとして
合わせるものではないのだなぁ。


その場で出ている音をひたすら
「聴く」という行為は実は難しい。

この巨匠たちは、究極に聴き合っている。

不思議な空間が無限に広がる。
ああ、何てすごい人たちがいたものだ!

いつかこの大公トリオを弾いてみたい。
でもまずはやっぱりop1-1かな。
フリッシュでスタートにはもってこい。


今日の言葉*
「どんな低俗(シンプル)なイメージでもいいから、
とにかくイメージを持って弾くことが大切。
そうすると、にわかに曲が生き返る」
(Alfred Denis Cortot 1877-1962)

「音楽は精神の炎を噴出させねばならぬ」
(コルトーの愛したベートーヴェンの言葉)




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by sachiolin | 2008-02-22 09:38 | 聴● | Trackback | Comments(0)

immer kochen

数日前のこと。
台所で料理をしていたら、
「たまーーに」見かけるドイツ人が
入ってきてハローと言う。
こちらもハローと返したら
私達が料理をしているのを見て

「ふっ(←鼻で笑った!)
 immer kochen...(いっつも料理してるね)」

といって去っていった。


私たち、しばし呆然。


普通に昼と夜作っているだけであるよ。
普通に野菜とか炒めたりしているだけであるよ。

そのドイツ人君は、台所へは、
冷蔵庫を開けたり閉めたりするだけで
(つまりチーズやハムを取りに来る)
「料理をしているところ」は終ぞ見たことがない。
夜はkaltes Essen(直訳;冷たい食事=
(黒)パン+バター+きゅうり+ハムなど)
で済ます、典型的ドイツ人。
いったい昼はどうしているのだろう。
まぁ、きっと夜を軽く済ますのは
胃にはいいのだろうし、
この食事というのも、
ここの風土にあっているのでしょうが。


ただ、本当にね、この国にいると
日本というのは美食の国だと思います。
普通にそこらへんで食べられるものの
レヴェルが高い!
種類が豊富!
泣。

日本食万歳。


家の近くに大戸屋できないかな~~
夢のまた夢。





今日の言葉
「『負けました』といって頭を下げるのが正しい
投了の仕方。つらい瞬間です。でも『負けました』と
はっきり言える人はプロでも強くなる。
これをいいかげんにしている人は上にいけません」
(谷川浩司)
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by sachiolin | 2008-02-22 09:30 | 笑▽ | Trackback | Comments(2)

朗報

来週イタリアで会う友人に予定を
確認しようと電話した。
懐かしい明るい声。

「あのさぁ・・・
 実は、さっきコンクールで優勝しましたぁ!」

「は??え?お??
 おおおおおおおおおおお
 おめでとぉおおおおおおおお!」

「携帯にメッセージもらった時
 ちょうど結果待ちだったんだよねー。」


いやーーすごい。
感動の嵐。

友人の頑張りは、一番の心のガソリン。
本当に本当に嬉しい。
おめでとう!

http://www.premiogui.it/


写真;旅で出会った美しい人。



今日の言葉*
「端麗な美はとかく自己満足に陥るもので、
われわれを惹きつけるのは動きのある優美なのだ。」
(ゲーテ・「ファウスト」より) 




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by sachiolin | 2008-02-16 08:05 | Trackback | Comments(0)

midfielder

手の痛みが出てきてから、ここ何週間
地に足が着いていないような
寝てるような起きてるような
フワフワとした時間が過ぎていった。


焦りなのか
疲れなのか
戸惑いなのか

自分に対してなのか
人に対してなのか
楽器に対してなのか



自分と、自分の回りのものごとが、
ちょうど風船の糸と風船のような関係で、
風船が勝手に風に吹かれて飛んでいって
糸の私は、それにアレヨアレヨと
くっ付いていってる感じだった。


ドアが回せなくなったり、
フォークが使えなくなったり、
顔が洗えなくなったり、
弾けなくなったり。


手を痛めたそのこと自体は
実はきっとそれほどドラマティックでは
ないのだろうが、普通に無意識に
していたことができなくなったことにも
全てが先延ばしになってしまったことに
ただ呆然としてしまった。


もーーいーくつ寝るとーー
お正月ーーーーと歌いながら
毎日カレンダーにバッテンを
つけていったのに、寸でのところで
「お正月はなくなりました」と
突然テレビで発表されたような気分だ。


呆然。




毎日のように友人の試験があって、
毎日のように彼らの勇姿を目にして、
ひたすら眩しかった。

自分と対峙して、
真黒な孤独な舞台で
冒頓と音楽に向かう姿は、
やはり感動的であった。

それぞれがそれぞれの思いで
コツコツと積上げてきたものが
舞台の上できちんと花開いていて
その美しい大輪を見ることが、
心から嬉しくもあり
少し切なくもあった。


終わりであり始まりであり。




二日目の試験を弾けるかどうか、
始めから答えは目の前にあったのかもしれないが
体がNOと言っていても、心がそれに反していて、
半ば意地になって、楽器に向かった。

今日師匠の前で、久しぶりに弾いた。

心配していた師匠は、少し安堵の表情を見せた。
「よかった。普通に弾けるようになったじゃない。
 でもやっぱり、体が、defensiv(防衛的)に
 なっているのが分かるね。
 今の状態では、チャイコフスキーは弾ききれないし
 僕は弾かせたくない。4月に延ばした方がよいだろう。」

弾いてみて分かった。
私も同じ気持ちだった。
体もそう言っていた。

「defensiv」という言葉が
妙にカランと頭に入ってきた。

スポーツ選手と一緒で
試合の日に向けて、少しずつ少しずつ
「体作り」をしてきたわけだ。

あともう一歩だったが、それを
途中でやめてしまった体には、
やはり残念ながらまた一から
積み上げていくしかないのだろう。

でも、きっと前とは違う「一」からのスタートだ。
始まりであり終わりであり。
何がともあれ、
変わってゆけることは素敵だ。




真黒な舞台の上で、沢山の耳と目が
こちらに向かう空間で、演奏をすることは
孤独だな作業だと思う。
怖いと思ったら底抜けに怖い。
defensivになったらやっていけない。
かといって、offensivになればよいかというと
決してそうではない。

友人の演奏を沢山聴いて「演奏」とは
何ぞやと悶々と考えていた。

この言葉を思い出した。


「音楽の世界は一如の世界じゃ。
そこでは、いささかの対立意識も許されない。
まず一人一人の楽手の心と手と楽器が一如になり、
楽手と楽手が一如になり、さらに楽手と聴衆が一如になって、
きゅう如としてひとつの機をねらう。これが未発の音楽じゃ。
このきゅう如たる一如の世界が、機到っておのずから
振動を始めると、純如として濁りのない音波が
人々の耳朶を打つ。その音はただひとつである。
ただひとつであるが、その中には金音もあり、
石音もあり、それらは厳に独自に音色を保って、
けっしておたがいに殺しあうことがない。
きょう如として独自を守りつつ、
しかもただひとつの流れに合するのじゃ。」

「そこに時間的な一如の世界があり、
永遠と一瞬の一致が見出される。
まことに音楽とはこうしたものじゃ。
聞くとか聞かせるとかの世界ではない。
まして、自分の腕と他人の腕を比べたり、
音楽のわかる者とわからぬ者とを差別したりするような世界とは、
似ても似つかぬ世界なのじゃ」

「論語物語」(下村湖人)より



さすが孔子。
分かってらっしゃる。すごいであるよ。


defensivでもoffensivでもない状態。

結局、演奏者は、音楽という存在の
媒体なのであって、
サッカーでいうなれば、
midfielder的なものだろうか。

音符から音楽へ、パス。
シュートするのは音楽の力。
黒いオタマジャクシが、自分を通過して
生き生きと踊る時、midfelderは歓喜する。

ゴールは人の心なのか?
聴衆はスタジアムに一杯の観客なのか
それとも、ゴール自体なのか?

すごいサッカー選手がボールを操ると
まるでボールが生命と意思を持って
自分で動いているように見えるように、
すごい演奏家がオタマジャクシを操ると
音楽が生き生きと動き出す。


ボールは見えるが
音は見えない。

ゴールは見えるが
心は見えない。

見えないものを見えるようにすること。
心で感じること。
心の扉を全開にすること。
体も心もdefensivにはならないで。
体作りと心作り。


ひとつ、うれしいことがある。
自分の出す音が前より好きになった。

音を出すのは、この上なく楽しい。

そのことに今更気づいただけでも、
そのことを味わえるだけでも、
幸せもんだ。
生きてることは面白い。

さんまさん曰く、生きてるだけで丸儲け。
本当にそうだと思う。


さんまシステム
http://www.1101.com/suimin/samma/
この人のトークは、テレビで見るより
活字で読んだ方が面白いかもしれない?


写真;スペインでぱちり。
   夕方の光と影。


今日の言葉*
「生きてるだけで丸儲け」
(さんま)

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by sachiolin | 2008-02-15 14:33 | 考〇 | Trackback | Comments(0)

スキー選手に思うこと

「ゆるやかに」ではあるが、
手の調子、回復している気がする。
フォークも普通に持てるようになってきたし、
皿洗いもできるようになってきた。


日に二度の15分程度のアイシング。
薬を塗る(+飲む)こと。
整体の先生直伝のエクササイズ。
marikikiちゃん直伝の横隔膜の意識。
楽器を弾かないこと。
とにかく心身ともに休むこと。


アイシングは、洗面台に水を張って
氷をどぼどぼ入れて、腕をつっこむ。
始めこそ慣れずに痛くて、
入れたり出したりを繰り返していたが
(←意味がない。)、今は、本を片手に
癒しの時間になっていたりして。


「治るのだ」という気持ちが、
何よりも大切な気がする。
人間の本来持っている治癒力というのは
きっと本当にすごいのだと思う。



手の調子もだいぶよくなってきたので、
昨日久しぶりに楽器を弾いてみた。

何日も弾いていないのだから、
弾けないのは当たり前なのだが、
やはり自分にいらいらしてしまった。
どうしようもないのに、
いらいらしている自分にまた腹が立つ。



昨日テレビをつけたら
スキーのジャンプ(競技名忘れた。。)を
やっていた。超特大の滑り台の上から
一気に滑り落ち、空中に舞い上がり、
着地する。滑り降りて自分の映像と
記録を見ながら、皆それぞれの表情を見せる。
満足そうに笑顔をモニターに覗かせる選手もいれば
冷静に、にこりともせずに次に向かう選手もいる。

以前に一度、ジャンプ台の上まで上ったことがある。
そこからの景色はものすごい迫力だった。
足が竦むとはああいう時の感覚を言うのだろう。
いくらなんでも、もうちょっと斜面が
見えるのかと思っていた。
選手がスタートする位置から下を見ると
それは、殆ど絶壁に近い。

あの絶壁を、たったスキー板2枚で
滑り落ちる感覚は、一体いかほどのものなのだろうか。

並々ならぬトレーニングの積み重ねと
正に命をかけるだけの覚悟。
想像するだけで眩暈がする。





同じ階の韓国人が、
左腕をギプスで固めていた。
久しぶりに見たと思ったら、
スキーに行っていたようで、
その時に骨折してしまったらしい。
「2か月はピアノが弾けないわ。
もう今後二度とスキーなんてしない。」
可哀想に。。。



昨日テレビで見たスキー選手が頭に浮かぶ。
もし骨を折ったとしても、彼らは
「もう二度とスキーなんてしない」とは、
きっと言わないのだろう。
私たちが、もう二度と楽器を弾かない
とは言わないと同じで。


そう言わせない自分の中にある「何か」が
一番大切なのかなとも思う。



大事なのは怪我をしてしまった時に
そこからどうやって、自分で
自分の道を探していくか。


もちろん休むことは必須だが
結局弾きながら、自分に合った
弾き方をまた再発見していくしか
ないのだろうなと思う。

それは前とは違ったやり方かもしれないし、
正しいのかもしれないし
正しくないのかもしれない。


それでも、ちょっとずつ
軌道修正しながら歩んでいれば
道はひたすら続いていくかのかなと思う。

とことことことこ。
どこまで続くよ、この道は。
一歩一歩踏みしめて歩いていこう!


今日も小春日和のいいお天気。


写真;全てが凍っていた年末。
   そりを引っ張ってご機嫌の親子。
   


今日の言葉*
「この道をいけばどうなるものか危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。踏み出せば一歩が道となり、
一足が道となる。迷わず行けよ。行けば分かるさ。」
(一休和尚)




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by sachiolin | 2008-02-11 01:28 | 思〇 | Trackback | Comments(2)

整形外科

やはり一応病院に行っておいたほうが
よいかと思い、バスで30分ほどかけて
隣り村のOrthopaedie(整形外科)を訪ねた。

私の住んでいる村の整形外科医は
超お墨付き(?)の藪医者。
ある友人はその医者に骨折だと言われ、
試験も断り、ギプス生活をしていたが、
日本で診察を受けたら、なんと、
骨折なぞしていないことが判明!
それでも痛みは残っていたが、
その後、ある整体の先生により「亜脱臼」
だったとわかり治療してもらい痛みがなくなった。

もうほとんど冗談のような話だ。
全くなんたること。

どうやらその整形外科医はイスラム教者らしく
女性の腕や手には触れられないとか…。
一体どうやって診断するのでしょう。
全くなんたること。


そんなこんなで、評判のよい隣村のお医者さんを
訪ねるべく、早起きして、勢いよく自転車で
出発した昨日の朝。それはそれはいいお天気で
空気は凛としていて、朝日が気持ちよい~~
などとべダルを踏んだら。

ええ、転びましたとも。
しかも、故障中の右手首で支えましたとも。
しかも、寒いのに手袋嵌めてなかったとも。
ちょっと出血しましたとも。



何をやってるんだ、わたくし。


とはいえ、何年か前の自転車転倒経験が活きたのか(?)
うまく転んで、大事にはいたらず。
捻挫も骨折もなし。楽器も無事。


家に帰り、消毒をして絆創膏を貼り
気を取り直し、自転車は置き、いざ出発。


バスからの眺め、美しい。
木も、草も、大地も、みんな
「おはよう」と言っているようだ。
朝の光を浴びてきらきらと輝く。



自転車転倒事件で、バスを一本乗り遅れた
こともあり、もう患者さんがいっぱいの病院。
今思えば、2時間は待たされたことになる。
ビーバーのように前歯が可愛く覗く初老の先生。
レントゲン写真を見ながら診断が始まる。

まずは、左股関節。
疲れた時に、じーんと痛むのが
ずっと気になっていたのでついでに診て頂いた。

「うーん、あなたの場合、Pfanneが小さいですね。
 だから、負荷がかかり過ぎて、痛くなるのです。」

Pfanneとは、一般にはフライパンという意味だが
「関節臼(きゅう)」とも辞書に載っていた。
そうだったのか。つまり受け皿が小さいということね。


次に右手首の写真。

「こちらは、骨は異常はなさそうですね。きれいです。」

ほっ。

手首をぎゅっと持たれ、かなり手荒に
いろんな角度に回された。

「いたたたたっ」
「ほら、やっぱりこの角度ですね。
 あとは、これ。ほらね。」

ええ。痛いです。
お願いだからもうやめて。

「そもそも何が問題で、痛いのですか?」
「あなたの手首はlocker(英;loose)過ぎるのです。」
「はぁ。(柔軟で何が悪いんだ?今まで痛くなかったのに)。
 で、どうやったら治るのでしょう?」
「治りません(きっぱり)。
 これは病気というより体質ですから。」
「え。(涙)」


疑問が残るまま、診察台へ。
仰向けに寝て、両股関節の可動角度を調べていく。
横で助手がメモを取る。

「いいですか、ちょっと音が鳴るけど心配しないで。」
「(大丈夫かな)……。」

上半身と下半身を捩じるようにしながら

ばきっ。
ぼきっ。
べきっ。

ふぅぅぅぅぅ。


「はい。立って動かしてみてください。」

確かに今までの痛みも関節の音も減った。
こういう日本の整体師のような事を
できるお医者さんがドイツにもいたのか。


右手首は、包帯をぐるぐる巻きにした後、
固定カバーをかぶせられた。
なるほど、こうやって親指の周りも巻くのか。


試験が火曜日に迫り、延期すること可能性も
出てきてしまったので、診断書をきちんと書いて
もらうことが必要になってきた。

ところが、なかなか事情を分かってもらえない。
もしかしたら週末で治って弾けるように
なるかもしれない、それに、たとえば月曜日に
事故でけがをするとして、そのことを
今から証明することなど出来ないでしょうと。
一時間のプログラムを弾くということが、
どういうことなのか、ただでさえここ最近
きちんと練習できていないし、ベストの状態で
弾くのには、余計時間がかかるか…
ということを説明をしても、なかなか理解して
もらえない。

結局妥協して、簡単な診断書を書いてくださったが、
病院をあとにして、バスを待ってるまでの時間、
何だか知らないが、涙があふれてきてしまった。
弾きたくても弾けない辛さや、焦りや不安、
溜まっていたいろいろな疲れが
どっと出てしまったのだろう。
信じてはいないのに、「治らない」と断言されたこと
そのものにもダメージを受けた。

病んでいるときは、ただでさえ
心がナーバスになっているから、
そういう言葉をいわれると、きつい。
もっと色々質問したかったのに、
萎えてしまったのも悔しい。


私はきっと治ると信じてるし、
大丈夫だと思ってる。


ただ、今回故障したことで、
みえてきたことも大きい。

普通に楽器を弾けることが
どれだけ幸せなことか気づいた。

そして、
ヴァイオリンを弾くことが
大好きなんだと、気づいた。


故障してよかったのかもしれない。
それくらい、今、色々なことを感じる。

長い人生でみたら、
今までのことよりも、これからどう
楽器と、そして自分の体と心と付き合っていくか
とことのほうがよっぽど大切だ。

よりよく生きるためにも。



将来的にも、奏者としてだけではなく、
色々なことをもっと掘り下げて見つめていきたいと
思ってきた。それにはドイツなのか日本なのか?



病院から戻ってきて、先生とゆっくり話した。
来週に迫った試験のこと。
「痛めてしまったのは、僕の責任でもある。
 駒寄りの練習に関してももっと注意をするべきだった。
 せっかく上昇気流に乗っていいところにいっていたのに
 本当に残念だ。」

火曜日の試験は一時間強のプログラム。

ベートーヴェン/ソナタ8番
バッハ/シャコンヌ
ヴィニアフスキー/スケルツォタランテラ
プロコフィエフ/ソナタ2番


しかしまぁ、自分で組んでおいてナンだが、
ヘビー級のプログラム。。。

今でも15分くらいなら問題なく弾けるはずだ。
しかし、1時間休みなしで、弾き続けること
しかも、本気でいい質でこのプログラムを
弾きこなすことは、例え週末に奇跡的に治ったとしても
無理だろうという事になった。
苦渋の決断ではあるが、火曜日の試験は
4月に延期することになった。


金曜日の試験は30分プログラムで、
チャイコフスキー/協奏曲(一楽章)
一柳慧/Perspektives

もしかしたら、こちらは弾けるかもしれない。
火曜日を断ったことで、そちらに体の調整も
集中できる。無理はせずに、体と相談しながら
準備をしていこうと思う。


今日は尊敬する友人の卒業試験の日。
パリからピアニストを呼び寄せての
気合いの入った演奏会。

感動して泣いてしまうかもしれない。


音楽の力は大きい。


写真;旅で出会ったきれいなお姉さん


今日の言葉*
「藝術とは眼に見えないものを、
見えるようにするものだ」
(パウル・クレー)

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by sachiolin | 2008-02-09 20:43 | 思〇 | Trackback | Comments(0)

人生初、手の故障

右手の痛み、どうやら本格的になってきてしまった。
何とかなるさくらいの気持ちで軽く考えていたのだが
これはちょっと本気で治さないとどうにかならないかも。


手首を動かさず、腕を横に振る(バイバイのように。)は
全く問題がないのだが、手首を回転させる動きがまずい。
外側にも内側にも前側にも、ある角度にくると
ぴきーんと痛み、時には、ぱきっと音がする。
日常のちょっとした動きで、普段いかに
手首を絶妙に使っていたのかが分かる。
ドアを開ける、お箸で食べる、フォークで食べる、
シャンプーを手にとる、お皿を洗う、蛇口をひねる。

舌に口内炎が二つもできてしまったこともあって、
食べるのに、時間がかかることかかること。

居残り給食状態。
これが小学校だったら、とっくにみんな掃除始めて、
教室の後ろの掃除も終わって、そろそろ給食を乗せた机と
共に後ろに移動とかしているころだよ。
くぅ。

見るに見かねた友人が、フォークをもう一本持ってきて
私が巻き終えたパスタを口に入れている間に、
横でパスタを巻き巻き。やっと噛み終えたと思ったら
あら不思議。もうパスタ巻きフォークが完成の図。
椀子ソバ状態ならぬ、フォークパスタ状態ですよ。笑。
くぅ。


ここ3,4日は気分転換と休養も兼ねて
旅にも出たりしてほぼ弾いておらず。
今日は試しに音階だけ弾いてみた。
やっぱりね、弓先に来ると痛い。
特にG線の弓先。

今まで手の故障などは経験したことが
なかったから、戸惑いも不安もある。


困った時の神頼みということで、
日本にいる整体の先生に意を決してお電話。
昨年の感動的な出会い。
あの出会いから、いい勉強が今も発展し続けている
ことは明らかで、感謝の心で一杯だ。
ある意味、私の神様的存在である。


懐かしい明るい声。
年始に出した年賀手紙を喜んで下さった。

「あ~~~元気~~?!手紙、ほんと、ありがとね~!!」

神様にありがとうと言われたぞっ!
それだけで元気が湧いてくる。


症状を説明した。
手首の問題だと思っていたが、驚くなかれ、
どうやら肩の使い過ぎが原因で、
肘から先が、びんびんに張ってしまっている状態らしい。
治療のためのエクササイズを丁寧に教えて頂く。
今日は一日それを試していたが、少し改善した感じ。
氷で冷やすことも大事らしい。


如何せん、大事な試験が1週間後。



ここまで準備してきたのだから、
いいものを出したい。
弾きたい時に弾けないのはとても辛いが、
休まないと本当に弾けなくなる。
こんな事は初めての経験だ。
今無理して弾いて、この先弾けなくなったりしたら、
それこそ元も子もないし。


もうこうなったら、左手だけの練習?
そういえば、ある友人は、左手を故障したが、
これは右手のトレーニングのよい時だと
逆転発想して練習したらしく、
それがまたよかったとか。

あとは、イメージトレーニングかな。
これは、実はとっても大事。


はてはて、それにしても、
健康であることは、幸せなことである。
何でも、失ってみて大切さに気づくもの。


なんとか治っておくれ、右手君。




今日の言葉*
「わたしはミロであることをやめること、
つまり国境や社会的官僚的慣習で限定された
社会に属するスペインの画家であることを
やめなければならない。別の言い方をすれば
匿名に達しなければならないのだ。」
(ホアン・ミロ)


写真;久しぶりに絵。色鉛筆で。
    無心に描いて楽しかった。
    あぁ偉大なるJ.S.Bach。


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by sachiolin | 2008-02-05 09:49 | Trackback | Comments(0)