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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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<   2007年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

間違い電話と名前の話

またしても、風邪を引き(?)
今日は一日ダウン

とにかく体がだるい、重い。
喉が痛い。お腹が痛い。


はぁ。。。

この分だと、明日の本番はキャンセルだ~
弾きたかったのに。
悲。


体が資本でありますね。
考えてみてれば、オーディションの後も
オーケストラの本番だったし、
疲れがきちんととれていなかったのかも。
オーディションというのは、
やっぱりエネルギーを浪費するのだろうな。


などと思いながら、
安らかな眠りに入りかけたら電話が鳴った


「もしもし?Frau Spenglerさんにつなげていただけますか?」
「あ~~間違いです、間違い!番号が違います。
 もうねぇ何十人も家にかかってきてるのですけどね…」

と寝ぼけた頭で説明をする。
もうこれで20回以上になるだろうか。
どうやら、電話帳に、Spenglerさんという人の番号が、
私の番号と間違って載っているらしい。

しかも、この人、納めるべきお金を納めていないまま
どこかに失踪したのかしれないが、どうも
かけてくる人、かけてくる人、少々怒りモード。
「早くそちらのSpenglerさんをお出しなさいよ!」
口調なのです。おまけに、その人が私が匿っているのかと、
思われたこともあったりして。。


はっきり言って、大変な迷惑デス


どうしたもんだろう。
電話帳屋さん(?)に言うべきでしょうか。
といっても、その電話帳はもう各家庭、各会社に
ばら撒かれてしまっているのだから、時すでに遅し?
とはいえ、これからの間違い電話は防げるか。


ところで、Spenglerって「ブリキ職人」
という意味だったのか。知らなんだ。

Schuhmacherさんは、靴職人さん。
Bachさんは、小川さん。
Faustさんは、げんこつさん。
Fischerさんは、漁師さん。


たとえば、あの有名なヨハン・セバスチャン・バッハも
ドイツ人にとっては「小川さん」なのだと思うと、
腰が抜ける感じがするのは私だけだろうか。
それに、何というか、ずっと親近感がもてる。

「隣りのあの小川さんが新しい曲作ったらしいよ。」
「小川さん、オルガン上手いですよね~」
などと話していたのだろうか。


そういえば、以前、市役所で、普通に
働いている今風のお兄さんの名札を見て一瞬目を疑った。
その名も、Herr Geigenbauer(ヴァイオリン職人)さん。
「ちょいと、お兄さんお兄さん、道を間違えたのでは?
 そんな、普通に書類とか仕分けしている場合じゃないョ
 ほら、木とか削らないと。やすりかけないと!!」
などと言いたくなりましたが、別に彼のせいではないか。

Violaという名前の子が、
ヴァイオリンを弾いていたりするし。



○○職人という名前が多いのは、ちょっと
ドイツらしいなぁなどと思ってしまう。




今日の言葉*
「人から頼まれた事で私に必要なものなんて、
この人生で一つもなかった。
私にとって必要なものは、全部、
私が選び取ったものだけだったじゃないかって思う。

そうだそうだ、もし何かをやるときは
『頼まれたからやる』のではなくて、
『どうか私にやらせてください』ともう一度自分から頼み直そう。
そうすればどんな仕事も自分で選んだ仕事になる。
あ-こんな大切な事を忘れてしまっているほど、
私はボケてるんだな。

いつだってそうやって生きてきたじゃん。
あたしは絶対、頼まれる人にはならない。
永遠に、死ぬまで、頼み続ける人になろう。
みなさん、どうか私にやらせてください。
うん。これだよな。」
(田口ランディ)
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by sachiolin | 2007-11-28 12:03 | Trackback | Comments(0)

かけら◆6

日々思いついては消えていったり
日々他からもらってはためていったかけらを、
たまに書いていこうかなと。

本日6回目の試み。

基本的にごちゃごちゃのメモなので、
あしからず…。
ごちゃごちゃが、いつかどこかで
繋がったりしたら面白いなぁ~



◆弓バナナ持ち練習(腕から弾く感覚)
◆壁を縦になぞる練習
◆ボールペンを指の下におく練習

◆「自分という存在は、この全世界、全宇宙の
  一部でしかない。」

◆音の質へのこだわり

◆世界初演のように?

◆コーナーを作る。
 (車がU字カーブを大きく曲がる時の感覚。)
 弓の返し、コーナー返りのとき、音抜けない。

◆苦味は隠されているからうまくなる

◆壁をどうやって越えるか

◆「どんな状況でも自分を輝かせているように」

◆速いパッセージーーー
  どこの弦で、どのポジションか?
  体と頭がきちんと把握していること

◆「正反合 byヘーゲル」

  ①判断       (定立) These
②それに矛盾する判断(反定立)Antithese

  ↓正反二つの判断総合
  ↓
③より高次の判断  (総合) Synthese


◆「対社会的な自己ーーー自分の考える自己
  =他人の中に存在している自己

  他人が見る自己→墓」



◆天と自分が音楽でつながっている…

◆「not nice....but nife !」
◆「どの歌もmolto cantabile!!」
◆「Auftaktーーーードアを開く」
◆「sound must go up」
◆「don't sit on the note」
◆「always the line!!」

◆めいいっぱい歌う、どの音も歌う

◆体の中にリズムが生きていること、
 メロディーが流れていること

◆指先に神経がいっていること

◆頭の中がクリアなこと

◆背中がリラックスしていること

◆何がsupriseなのか??

◆どんな小さいことも喜びに変えられる力

◆決して神様を恨まない力
 自分を卑下しない力

◆ありがとうという言葉
 感謝する心

◆その場でできていくものにどんどん反応していく
 ---何が起きるか分からない展開

◆音楽と遊んでいる感じ

◆命を削るということ

◆直向きに、無心に

◆誰が聞いていようが関係なし!
 心から音楽を楽しんでいる。音楽と一体になっている。
 ----意識が音楽にひたすら向いている

◆「読書メモ 茶の本より
  
  煎茶→抹茶(ひきちゃ)→淹茶(だしちゃ)
  
  煮る団茶(唐)   古典的
  かき回す粉茶(宋) ロマン的
  淹す葉茶(明)   自然主義的」

◆雑音のない澄んだ音

◆右手の内に美しい空間
 右腕の下に美しい空間

◆よい耳を育てること

◆首を左にねじ込む(蛇口を閉める感じ)

◆親指と人差し指の丸い感覚、空間

◆指の角度

◆「今が一番若い」

◆「美しいものには棘がある」

◆とにかく、全身を使って弾く

のだめ
◆自分の心に素直に行動する
◆感性が命、ハートが命
◆周りを巻きこむ力(渦巻き)
◆キラキラした目、キラキラしたハート
◆一途な思い、ひと筋、ひたすら
◆「与える人」であること←泉が深い人
◆大切にしているものがある
◆あるがままの美しさ、形
◆自分の本当に欲しいものを知っている

◆物を大切にする、時間を大切にする、心を大切にする

◆自分の心の法律みたいなもの

◆人の悪口を言わない
 不平を言わない
 
◆弓が楽器によりかからない
 (楽器をどけたら弓がそのまますーっと動いていく感じ)

◆弓の初速が遅い

◆音のイメージ+実際の音

◆1寸×10=1尺≒30.30㎝
 1尺×10=1丈

 一間=6尺≒1.818m

 6尺四方=1坪≒3.306㎡

 1貫=1000匁≒3.75㎏

◆fantasy 幻想的、現実にない事をあるように感ずる想念
 image 心象、象。心の中に思い浮かべる像

 ファンタジーとイメージを結婚させる?

◆ドラマティック?---想像(イメージ)を覆すから

◆音程もファンタジー
  一音でどの/どれだけの和声(響き)を
  響かせるか/イメージするか/させるか?

◆淀みない動き、一連の動き+軽さ

◆早めに構えて、
 ゆっくりボールをとらえて、
 上に大きく振る
 (×あまり後ろに持っていかない
  ×ラケットは下向き)

◆楽器をのどに差し込んで、頭の重みで支える感じ

◆指はなるべく「ぺったりふわふわ」

◆駒の角度常に確認

◆ふわっと楽器をつつみこむ感じ

◆弓の上5センチ、空弓練習

◆ソリスティック?
 -----
  一本筋が通っていること、
  スケールの大きさ、
  はでやかさ

◆じーんとくる音、音楽


◆「上り坂、下り坂、まさか!!!」

◆ファンを作ること、輪を広げること
  -----輪が重なりあって生まれること

◆生産性をあげること
  →→すぐ実になること
  →→→応用のきくこと
  →→→→基本的なこと
 
 土台を上げること

◆音が楽器を垂直に突き抜ける感じ

◆mehr Vertikal(垂直)

◆瞬間で弦を掴む感じ
  ----掴む瞬間を分かっているか?

◆ポジション移動ーーセット練習(行きと帰り)

◆弦を無駄に振動させすぎない?
 ーーー音を縦に入れていく感じ
 ーーーー裏板に伝える感じ

◆下からの支え(地面ー足裏ー左ひざー左ひじーー)
  
◆自然に落ちてくるまで上でkeep練習

◆次の音への意識 次の音を拾うタイミング
  
◆何気なさ? 音はもう空気中に漂っている

◆内に内に向かわない(小さくならない) 
   ーー外へ向かうエネルギー


◆ゆっくりスローモーション練習
   ---腕で音をとる、指でとらない
    -----肩甲骨で音をとる

◆体の気持ちよさだけを追求しない
  ----音を聴く

◆どういう練習をするか??
   究極を言うと
  「たとえ、家で千回うまくいっても
   舞台で一回うまくいかなければ、意味がない」
 「練習の練習」をしない
 
◆大体どういう感じか?どういうストーリーか?
 大きくまず捉えてみる

◆音楽をきちんと理解しているか?

◆音を大きくしようとすると、単に潰れてしまう×××

◆ちょっと練習すればできそう←どういうことか?

◆両手で一緒に音を掴む感じ

◆ピアノで弾いてみる、歌ってみる、指揮してみる

◆球体/楕円形が転がる感じ
  ----重量感、床(弦)との摩擦、接地時間

◆軸以外は自由にぶらぶら
 体幹の動きに手足はついていく

◆左がスイッチで、右が動く(sf)

◆「大きい音」ではなく、
  重み、大きさのある物体を思い浮かべる

◆和声を常に浮かべる
 響きのなかで一音ずつとっていく
 つながりの中で音を続けていく

◆楽器を力で挟まない。
 バランスで間に挟まっている感じ。
 (例;自転車に乗っている時の感覚
   ---肩あては補助輪になってしまう)

◆上腕ー下腕ーネックを結ぶ三角形

◆頭が冷静かどうか?
 心が温かいかどうか?

◆よい睡眠をとること
 よい食事をとること

◆音が自分より先をいかない、飛び出さない
 よく噛む、よく吸収する
 (×音の垂れ流し)

◆間違った音を出さないということ

◆泉のようにあふれ出るイメージ
 下から上へ

◆どの音からどの音までをセットで考えるか?
 スラーに誤魔化されない。
 Auftakt+Ziel


◆気づき、発見の数

◆とらわれないのではなく、
 「とらわれて→離れる」
  の変化が早いかどうか/数が多いかどうか?
     
◆自分自身にしばられない

◆熱い心のガソリン、炎

◆全身を使っている
 よどみない動き
 あふれいている事(泉)
 愛に充ちている事
 みていてワクワクする
 聞いていてじーんとする
 毎回違う
 音楽が手から離れて自由に動いている

◆成長できる人であること
 人から何か言ってもらえる人であること
 人が何か言いたくなる人であること

◆心のガソリンをいつも満タンにしておくこと

◆自分がよいと思わないものからさえも
 学ぶ力、学ぼうとする力

◆長いスパンで見守ってくれる人
 成長を見守ってくれる人

◆肯定する力(よきもわるきも)
 →→→生きる力

◆言い訳をしない、口答えをしない

◆どれだけ本気であるか?

◆贅沢な音、伸びのある音

◆おりついた音が高く
 のぼりつめた音が低い×

 きちんとおりつき、きちんとのぼる
 ---奥行きが出る、立体的になる

◆音楽が
 人の心を震わせ
 体を動かし
 楽器を鳴らして
 音を出す
 
 「音楽の力に引っ張られて楽器を弾いているようだった」


◆「宇宙の力を感じる。
  この世は神秘に満ちている。
  五感を最大に開く。
  強い広大なイメージ。
  圧倒的な集中力」

◆つむじ風を心に吹かせる

◆肩甲骨の動かし方
  
◆低弦の鳴らし方
 音への欲求
 深く、甘い音

◆どれだけ積み上げてきたか?
 
◆デリカシーがない?←想像力

◆自分の時間を大切にする
 人の時間はもっと大切にする

◆許せることと許せないこと
 許せる人と許せない人
 許される人と許されない人

◆楽譜を読む
 行間を読む
 見えないものを読む
 心を読む

◆意識の問題、感覚の問題
 感覚の蕾を全開にして練習する

◆「では、どうしたらよいのか??」

◆同じpでもmpに近いのかppに近いのか?
 同じfでもmfに近いのかffに近いのか?

◆密度の濃い人である事
 密度の濃い音である事

◆休む時は思いきり休む
 働く時は思いきり働く


◆その人が生み出すもの
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by sachiolin | 2007-11-28 11:04 | かけら◆ | Trackback | Comments(0)

夢メモとレッスンの話

昨日はすごく怖い夢を見た。

包丁を持って見知らぬ女の人と闘っていて、
お腹を横に縦に切られて、痛いのなんの。
私も相手を必死で刺したり、切ったり。
体が固まって、はっと目が覚めた時、
まだ痛みが残っていたが、夢だとわかったら
徐々に消えていった。

そのあとまた眠りに落ちた。

私が本当は死ぬはずだったのに、
友達のAちゃんが、私の運命を身代わりに
引き受けてくれた。映画の「リング」のように、
ある時間になると、突然呼吸が苦しくなるのだが、
何とか一命をとりとめたAちゃん。
でも、それも束の間、また苦しみだして
「大丈夫????」と涙を流して体をゆすると
「ん・・・。たぶんもうすぐ死ぬと思う」
と、苦しみながらも、あっさり語るAちゃん。
(Aちゃんを知っている人なら分かると
思うけれど、その言いっぷりがものすごく
彼女らしかった。。。)

泣いていると、場面が変わり、
何故か回転寿司屋さん(!!)で、
KさんとRちゃんと三人でお寿司を食べている。
「Aちゃんがもういないと思うと悲しくてさぁ!!」
と涙を流して熱く話すRちゃん。
それをうんうんと聞いているKさん。





ここまで話しを聞いていた私の友人。

「何か、全然怖くないじゃん。
なんで、回転寿司?!」


確かに。。。



それにしても、お腹が切られたときのあの痛み。
食べ物の味とか匂いを感じたことはあったけど
夢でも本当に痛みを感じるのだなぁ。
私、疲れてるのかしら。
今日は平和な夢が見られますように




今日は、チェロのS先生のレッスン。
ベートーヴェンのソナタ8番。

毎回の事ながら、先生の底知れぬエネルギーと
音楽の渦にぐるぐると飲み込まれて、
レッスンが終わる頃には、へとへとのぼろぼろ。
途中からは、いつものように、先生の情熱的な指揮が
入って、信じられないようなそのエネルギーに
思わず「弾かされてしまう」私たち。

それでも、
「足りな=====い!!!
 聞こえな=======い!!!」
と何度も言われた。
なかなか実際に音にできない自分が
もどかしくてならなかった。


「音楽を本当に、本気でしたら、
それくらい疲れるものなんだよ。
まぁ疲れるっていう言い方も変だけど。
でも特にベートーヴェンの音楽は、
それくらいのすごいエネルギーを
注がないと全然生きてこないよ。
カルテットで、何百回も弾いてきたけど、
毎回新しい発見があって、一度も飽きたことがない。
それだけよく書かれているし、すごいものなんだ。」


モーツァルトとは別世界の
ベートーヴェンの情熱的な魂の叫び。



やっとその本質が少し見えたような気がした。
それと同時に、まだまだそれとはかけ離れている
自分自身にしばし呆然としてしまった。



一音一音に込めるエネルギー。
あふれ出てくるイマジネーション。
方向をつけて、音楽を形作っていくということ。
テンポ感、緊張感の持続。
腕で弾くということ。
・・・・・・・



夏休みの宿題をどどどどどんと
山盛りにされた小学生の気分。


茫然自失。




やっぱり、意識の、感覚の問題なのだなと。
そこが繋がってないと、本質からずれていく。
練習の仕方をきっぱり変えないと。



それにしても、先生の一言一言に
目から鱗の連続だった。
楽器とか、そういうものの垣根を越えて
音楽のそのものの勉強。
どうしたらよいのか?そのhow to を
細かく実質的に教えてくださる。
ピアノだろうが、ヴァイオリンだろうが
管楽器だろうが、先生のレッスンを受けた人
皆が、驚き、感動して、目がキラキラする。
何てすごい先生がいたものだ、しかし!!

幸せものですね、わたしたちは。



今日の言葉*
「われわれはひたすら悩み、
そして歓喜するために生まれてきたのです。
ほとんどこう言ってもいいでしょう。
人は苦悩を突き抜けて歓喜をかち得るのだと」
(ベートーヴェン)
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by sachiolin | 2007-11-27 09:10 | Trackback | Comments(0)

モーツァルトの難しさ

オーケストラの本番だった。

納得できないと、どうしても、
人につっかかってしまう。
なんでそうしたのか、理由を
聞きたくなってしまう。

言わなきゃいいのに。
変に子供っぽいなぁ、私。


でも、大好きなモーツァルトは、
納得して弾きたかったし、
少なくともあんな渇いた音楽を
したくなかったな~~~
とても残念。

もっともっと温かくて満ちていて
丸くて優しくて悲しくて美しい音楽。

もっともっと悲痛な叫びや
天から聞こえるような美しさが
あったはずなのに。


モーツァルトを弾くのが難しいのと同じく、
指揮するのも難しいのだろうなぁ。
後半のバルトークはよかったものね。


天才のつくった音楽。
彼の音楽を弾いていると、本当に
神様がモーツァルトという天才を
私たちのために、この世に齎して
くれたのかもしれないとさえ思ってしまう。

天が与えし、至上の音楽。
だからこそ、決してこねくり回してはならぬ。
あるがままの美しさをそのままに。


今日の言葉は、モーツァルトさん。
まさに天才デスネ。。。
凡人の私は、言葉を失いました。




今日の言葉*
「ーーー構想はあたかも本流のように、実に鮮やかに
心の中に姿を現します。しかし、それがどこから来るのか、
どうして現れるのか私にはわからないし、
私とてもこれに一指も触れることはできません。
ーーー後から後からいろいろな構想は、
対位法やさまざまな楽器の音色にしたがって私に迫ってくる。
ちょうどパイを作るのに、必要なだけのかけらが
いるようなものです。こうしてできあがったものは、
邪魔のはいらぬ限り私の魂を昂奮させる。すると、
それはますます大きなものになり、私は、それをいよいよ
広くはっきりと展開させる。そして、それは、
たとえどんなに長いものであろうとも、私の頭の中で実際に
ほとんど完成される。私は、ちょうど美しい一幅の絵あるいは
麗しい人でも見るように、心のうちで、一目でそれを見渡します。
後になれば、むろん次々に順を追うて現れるものですが、
想像の中では、そういう具合に現れず、まるで全てのものが、
皆いっしょになって聞こえるのです。たいしたご馳走ですよ。
ーーーいったん、こうしてできあがってしまうと、もう私は
容易には忘れませんぬ、ということこそが神様が私に賜った
最上の才能でしょう。だから後で書く段になれば、脳髄という
袋の中から、今申し上げたようにして蒐集したものを
取り出してくるだけです。---周囲で何が起ころうとも、
私はかまわず書けますし、また書きこみながら、鶏の話
家鴨の話、あるいはかれこれ人の噂などして興ずることもできます。」
(モーツァルト)
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by sachiolin | 2007-11-26 09:00 | Trackback | Comments(0)

霜焼けとストライキの話

本格的な冬の寒さの到来。
ほんの5分くらいだったか、外で
歩きながら携帯で話していたとき、
うまく操作できなかったら、手袋を
外していた。それだけで、右手のひらが
見事に霜焼けになってしまった。

ひりひり。
ひりひりひり。


日中、少し晴れて、雪が融けた部分が
ものの見事に凍った歩道。

ぴっかぴかのつるんつるん。

夜、街灯に照らされたその道は
「歩けるもんなら歩いてみなさい」と
不敵な笑みを私に投げかける。

その怪しく光る道に挑みながら
以前いたオーケストラのヴァイオリン奏者が
こういう日に、思いっきり転倒した話を思い出して
ぞぞぞと背筋が凍った。
その人は、運が悪い事に、背中に背負っていた
ヴァイオリンケースを下敷きに、
その上に全体重が圧し掛かってしまった。
結果、駒が表板を突き抜け、大手術…。
いつも優しい笑顔のそのおじさまが、
しゅん…とかなり落ち込んでいて
何と言葉をかけてよいのか分からなかった。
そりゃ、落ち込むよなぁ。。。。。
その後、手術は成功して、「ヴァイオリン治ったよ!」
と笑顔で話してくれて安心したが。

本当に、楽器というのは、
私たちにとって、特別の存在。
なるべくなら、こういう日は
楽器を持って歩きたくないものである。



長く続くドイツ鉄道のストライキ。
確か9月くらいから始まったのではなかろうか。
今週も水曜の夜あたりから土曜日まで
一斉に始まった。おかげで、弓の毛替えに
行けなかったではないか。がーん。
実は来週オーディションがあるのだが、
このままつるっつるの弓で弾くことになりそうだ。

それにしても、この大迷惑のストライキだが、
お客様側は、驚くほど、沈着冷静な気がする。
インターネットなどで、いつどの電車が
走らないのか、どういう状況なのかというのを
きちんと調べて知っているからなのか、
それほどの混乱もなさそうだ。
いや、勿論、混乱はしてるのかもしれないが
何というのか、変な苛立ちを露わにして
いざこざや乱闘が起きるなどという話は全く聞かない。
テレビで、このストライキに賛成か反対か
という電話調査をやっていたが、驚くべき事に
ほぼ半分分かれた。街頭インタビューなどでも、
「勿論、移動できないのは本当に困った事ですが、
そういう権利を行使することには、了解があるし、
そうあってほしいと思います。自分が彼らの立場で
あったら、同じように行動をすると思いますし。」
などという答えも、少なくない。

構え方がセセコマシクないなぁと、ちと感心してしまう。
これが、日本だったら一体どうなっているのだろう。
そもそも東京でこんな大規模なストライキなぞは
不可能だろうが、そうでなくとも、これに近い状況に
なったら、あちこちで、問題が起こるに違いない。
この前も日本で夏に、駅員さんの対応がちょっと悪かった
だけで、どなり散らして、今にも殴りかかりそうな
サラリーマンを見た。真っ赤にした怒り狂うサラリーマンと
ただただ、ぺこぺこと平謝りの若い駅員さん。
何だか心が寒々として、そそくさとその場を立ち去った。
日本だとやはり「お客様は神様」という基本が
どこかにあるのだろうな。

欧社会は、売る側も買う側も、同じ人間であって、
ましてや「神様」だなんて、有り得ない。
勿論、お客さまはお客さまで、上と下というのは
あるが、大きい括りでいって、同等の目線で
ものごとを見ていると思うし、それはいいことだと思う。
同じ人間としてのごく当たり前の基本的なコミュニケートがある。
日本の場合は、まああまりに巨大化してしまった都市に生じた
弊害でもあるのだろうが。日本だって田舎にいけば
お店に入っても、挨拶をするし、世間話もする。
コンビニの、超マニュアルの「ありがとうございました」
ではない、心のこもった「ありがとう」「こちらこそ」
というのが、残っているはずだ。

とはいえ、ドイツにいると、日本のあの丁重さというのも
たまに懐かしくなる。明らかに、相手側のミスなのに、
それを認めなかったり、逆にこちらを責めてきたり、
融通が全然きかなかったり。
(特にドイチュテレコムはひどい…!)
しかし逆にいって、Schuld(責任)ということに関しての
重さが、日本よりも大きいのだろう。
ドイツ人は、一度責任を認めたら、きちんと仕事をする。
何か頼みたいとき、「あなたの責任ではないのは
分かっているのですが…」と始めに一言いうと、
思いのほか解決策が早く出ることも多い。
それだけ、Ich(私)やSie(あなた)という個人が
はっきりしているともいえると思う。
契約を結ぶことも、日本よりきっと大変なことだ。
一度結婚したら最後、離婚となったら、裁判沙汰で
賠償金も大変であるから、ドイツ人は特に、
なかなか結婚をしない。40過ぎにのカップルで
一緒にずっと暮らしていて、絶対に夫婦だろうと
思っていたら、「いいえ私たちは結婚していないのよ」
などと涼しい顔で答えられて、こちらが驚くなどという
ことは、よくある。

日本というのは、責任がぐるぐると回っている社会だ。
政治家を見ても然り。もしかして、責任というものそのものも
日本には存在しないのかもしれない。
第一、日本語では、私とかあなたとか、言わないではないか。
それで、責任だけが、所在を失って浮くはずだ。

その辺の話になってくると、養老先生の「無思想の発見」
のお話を読み返したくなる。思想がないということの面白さ。



はて、話が随分と無駄に広がってしまった。


最近寝る前にちょっとずつ読んでいた、ドストエフスキーの
「カラマーゾフの兄弟」が、いよいよ佳境に入ってきた。
始めこそ、どうも取っ付き難かったが、人物描写が実に巧妙で、
読み進んでいくうちに、その世界に引き込まれた。
どんな結末になるのだろう~
ユルブリンナー主演の映画もあるらしい。
どなたか映画版観ましたか??



今日の言葉*
「美は人を沈黙させるとはよく言われることだが、
このことを徹底して考えている人は、意外に少ない
ものである。優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬ
あるものを表現していて、これに対しては、学問上の
言語も、実生活上の言葉もなすところを知らず、
僕らはやむなく口を噤むのであるが、一方、
この沈黙は空虚ではなく感動に充ちているから、
何かを語ろうとする衝動を抑え難く、しかも、
口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。
そういう沈黙を創り出すには大手腕を要し、
そういう沈黙に堪えるには作品に対する痛切な愛情を
必要とする。美というものは、現実にある一つの
抗し難い力であって、妙な言い方をするようだが、
普通一般に考えられているよりもはるかに美しくもなく
愉快でもないものである。」
(小林秀雄「モオツァルト」より)
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by sachiolin | 2007-11-18 00:29 | Trackback | Comments(0)

あるがまま

大雪。よく降るコト。
まだ11月なのに。
もう「痛い」寒さの到来。
歩いていると、隠れていない鼻のあたりが、
ピキーンと痛くなってくる。
こうなると、確実にマイナスの世界。
噂では週末にはマイナス12度くらいなるとか?
どれだけ着込めるか大会のはじまりはじまり。

18時頃には、もうすっかり真っ暗になって
街灯に、キラキラと光る道を、
「ゆ~きやこんこん♪」と歌いながら帰ってきた。
途中犬が登場しないまま、猫が炬燵で丸くなった。
おかしいな。私はどうも歌を途中で変えてしまう癖がある。

雪ってきれい。
いつもより、しーんとする空気も好き。
いつもは見えない、動物の足あとも好き。



昨日は、小ホールを借りて友人と弾き合い会をした。
7,8人なのに、緊張した。大変勉強になった。
やはりアウトプットは大事だ。
自分というのは、一番わからない存在で、
それは他を通してはじめて見えてくるのだなと
改めて思った。意識できていなかったことを
的確に指摘してアドバイスされて、
なるほどと目から鱗が落ちた。



まだまだだなという所と
思ったよりよいじゃないのという所があった。



全体的にいって、数か月前よりも、
基礎的な部分が底上げされたような気がして、
その点が一番嬉しかった。
少しずつ積み上げてきた積木は、
崩れていなかった。きちんと積み上げられていた。
それもこれも師匠の教えと我慢のおかげだ。
長いスパンで変化を見守って応援してくれる人がいる
というのは、なんと心強いことだろう。
師匠だけではない、そういう人が周りにいるという
その事実に、生かされる。感謝。



日本から送られてきた、完治したカメラで
撮影もしてみた。自分の姿を映像と音で客観的に
見るのはとても不思議な感覚だ。テレビに毎日
出ている人々は一体どんな気分なのだろう。


自分の演奏する姿を見て色々思った。
誰にもプラスとマイナスの要素があると思うが、
ヴァイオリンを弾いている私の姿は、
自分の負の部分の方が多く出てしまっているナ。


年下の子が周りに沢山いて、その子たちを
見ていると、若さって美しいと思ってしまう。
5年前は、そんな事を年上の人に言われても
分からなかったなぁ。
若さとは財産であり可能性だ。
もう少し前に気づいていればと思うが、
そのもう少し前には気づかないものなのだから難しい。

5年前の私と今の私と5年後の私。

5年後の私は、また同じことを言っているのだろう。
あの時は分からなかったと。

でも、年を重ねていくのも悪くない。
前よりもきっと
より多くのことを感じられるようになる。
より多くのことを思えるようになる。

大事なのはやはり今このとき。
今、自分ができることを精一杯。


「今が一番若い」

いいこと言う。(どの落語でしたか?)



もっと「あるがまま」でよいのだなと
漠然とだが、思った。
カメラの中でヴァイオリンを弾く私よりも、
弾き終わってエへッと舌を出している私の方が、
より「私」らしい。


あるがままの美しさというのは、
大人になるにつれて、忘れがちだ。
美を真に創造する人は、時に子供のようでもある。
いつでも、真っ白の画用紙を手にしている人でありたい。



今日の言葉*
「美ーーそれは恐ろしいものだ。
理性では汚辱としか見えないものが、
感情ではしばしば美に見えることがある。
いいかね、大多数の人間にとっては、
ソドムの中にも美があるんだ。
お前はこの秘密を知っているかね?
美は恐ろしいばかりでなく、神秘なんだ。
つまり悪魔と神が戦っている。
その戦場が人間の心なんだ。」
(ドストエフスキー/「カラマーゾフの兄弟」より)
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by sachiolin | 2007-11-15 07:34 | 思〇 | Trackback | Comments(0)
言わずと知れた、ニューヨークの
カーネギーホールを舞台にした映画。
Andrew Carnegie(1835-1919)は、
アメリカを代表する鉄鋼業で成功した実業家であり、
晩年にこのホールを建設し、公共事業にも貢献した人物。


もともとハイフェッツのチャイコフスキーの
協奏曲が観たくて、このDVDを買ったのだが、
一番感動したのは、ルービンシュタイン。
ピアノ界の大巨匠である。
映像は実は初めて観たのだが、
まぁ何と素晴らしいことか!!

ショパンのポロネーズ「英雄」と
ファリャの小品を弾く堂々たる姿。

ショパンの曲はワルツ以外は何故だか
どうも好きになれないのだが、
この巨匠が弾くとぐいぐいとその世界に
引き込まれ、何度も何度も聴きたくなってしまう。
あんな風に弾かれたら、嫌いなものも
好きになってしまう。

力強いのに、気品が漂っていて、美しい。
まさに、英雄の名に相応しい演奏。

途中の、ミレドシミレドシ…と
左手でオクターヴで弾く部分は、
信じられないほど柔らかいタッチで、
まるで蝶がひらひらと舞っているようだ。

手を大きく上にあげる仕草は、
ルービンシュタイン特有のもので有名で、
特にファリャでは、鍵盤からおでこまで
かなりの速さで両手が往復する。
笑いがこみ上げてくるほど、お見事な手捌き。
普通あんな風に弾いたら、鍵盤に手が強打するだけで
あんなにいい音はしないし、大体あの高さから
あの速さで、正確に音を掴むのは、至難の業だろう。
ちょっと真似してみるだけでも分かる。
ものすごい瞬発力と、上に向かうのと同じだけの、
地面に食い込むような下に向かうエネルギーが
あの演奏を生み出しているように思える。
一音一音確実に「掴んで」いるからこそ、
上へ音が舞い上がるのだろう。
自分も何行か前に「あの高さから」と書いてしまったが、
「上から下に」叩いているのではなく、
「下から上に」あの音は湧きあがっているのだろう。
深く沈んでいるから必然的に上に舞う。


いい演奏家というのは、
まるで「泉」のように、音楽が湧き起る。
下から上へ次から次へと音が舞い上がり
いつしかそれが舞い降りて、
舞台を、客席を、満たし、包み込む。


それにしても、あのタッチ。
すごい。

なんというのか、投じたエネルギーが
0.1パーセントも漏れずに、すべて
直に、音に還元されいてるあの感じ。

端的に言うと、「そのまま」音になっている。
スイッチを入れたらすぐに電気がつく感じ。
ピアノという大きな黒い楽器が
嬉しそうに鳴り響いている。

上からのショットを見ていて驚いた。
股関節をものすごくよく使っている。
どんなに早い動きであっても、腕から先に動かず
まず股関節が方向を与え、それに従って
見事に腕がついてきている。

要するに「全身を使っている」。
小手先の動きでは、あんな爆発的な音は
出ないわけだ。ハイフェッツにしてみてもそう。
軸がものすごくしっかりしていて、あとは、
自由に軽く動いているのがよく分かる。


この二大巨匠の
ルービンシュタインとハイフェッツと
一時期ピアノトリオを組んでいた
チェリストの、ピアティゴルスキーの
サンサースの「白鳥」も素晴らしい。

後ろで6人くらいの天女のような格好を
したハーピストが伴奏する中(ちょっと滑稽)、
気品高くこの有名な曲を紡いでいく。

なんて、楽そうに弾くのでしょう。
なんともはや、気持ちよさそう。


他にも沢山の歌手も登場する。
Ezio Pinzaという歌手が好きだった。
声がのびやかで自由。
あまりに楽そうに歌っているから
もしかすると、映像ように口パクなのかもしれない。
それにしても、いい声。

音が、奏者から抜け出て、
自由に踊っている感じ。



ちょっとこのところ、あまり練習が捗っていなく
よろしくない。練習してもどうも空回り。
もっと基本的な体力をつけたいところだ。
三日坊主の私に、はて、何ができるだろう。





今日の言葉*
「無論、成功するための定石などないが、
敢えて一つ挙げるとすれば、
人生と人生がもたらすものを、
無条件に受容することかもしれぬ。」
(アルトゥール・ルービンシュタイン 1887-1982)

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by sachiolin | 2007-11-14 09:25 | 観■Musik | Trackback | Comments(0)

楽器は回復

突然またパソコンのご機嫌が悪くなってから
もう一週間。パソコンのない生活もそれは
それでよいかなぁと諦めの境地に入ってきた
最近だったが、突然繋がった。。。
そういえば、ずっと雪など降って、
ぐずついたお天気だったたが
今日は晴れている!
やっぱりお天気にも関係するのかしら。

…しないか。


そういえば、自動改札で、何も悪いことを
していないのに、よく自動扉が勢いよく
閉まるのだが、あれは、何故。
よく電気を帯びている、電気女なのだろうか。
だから、パソコンの相性も悪いとか…!!

…違うか。。




まぁとにかく繋がったのだからよいとしよう。
問題だった楽器の方は、ヒビでも割れでもなく、
なんと駒の位置(足)がずれていた!
弦を替える時にずれてしまったのだろうか。
鼻声にもなるはずである。
音に芯が出て、丸い響きが戻った。
よかった~


「ものはついで」と申しますから…と
ずっと気になっていた傷や汚れも
きれいにしてもらうよう頼んだ。
翌日るんるんで受け取りに行った私。
一晩で見違えるほど美しくなった楽器に
感動しながらも、ひとつのことに気づいてしまった。


そういえば、弓の毛替え…。


あまりに楽器のことに全意識を集中していた
私は、弓のことをすっかり忘れていた。
時既に遅し。その日のうちにどうしても
帰らなくてはならなかった。
ものはついでとか何とか言っておきながら
肝心なところをまた忘れてしまった。

がーん。

私みたいな人が、いつかママになって
二人子供を持ったら、どちらかを
どこかに置き忘れたりするのだろうなぁ。。。
南無阿弥陀仏。


ここの楽器屋さんに来たのは、夏前くらいかな
と思っていたが、何と、去年の10月だった。
つまり、1年以上も弓の毛を替えていない!!
おそるべし、わたくし。


おかげで、弓がツルッツル。
弦にひっかからないのなんの。
松脂をいくらつけてももうお手上げ。
非常手段の歯ブラシ作戦も、
効果抜群であるが、一時凌ぎ。

またとんぼ返りしようかな。


どこでもドアァーーーーbitte!
ドラえもーーーーーん





今日の言葉*
「まちがいの数だけで判断することは
無知な馬鹿者どもにまかせておきなさい。
私はそれがすばらしければ、
たった一つの音や一つのフレーズにも
ありがたいと感謝することができる。
あなたもそうでなければならない。」
(パブロ・カザルス)
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by sachiolin | 2007-11-12 21:46 | Trackback | Comments(0)

楽器がおかしい

自分の風邪が治ったと思ったら
今度は楽器が風邪っ引き。

ずっとここのところ、変な音がするなぁと
思っていたし、先生にもレッスンの度に
「いい楽器をせめて試験まで借りるとか
何とかしないと…」と言われ続けてきて、
やっと重い腰を上げて、楽器の貸与している
スイスの財団などを調べていたところ。
楽器を借りに行くのも一苦労。
長旅をして、試し弾きして、また帰ってきて…。
ある友人も、オーディションのためだけに
楽器屋さんやコレクターのところに奔走して
月々相当の額のお金を払って、借りていたり。
それでも、それで仕事が実際に
ゲットできたのだから大したものだ。
そういう姿を見て、大変だなぁと
ヒトゴトながら思っていたが、自分にも
そういうことがついに回ってくるとは。

今の楽器はドイツで出会ったイタリアの新作。
前の楽器はぶ厚くて大きくて、体の小さい私には、
結局あまり合っていなかったのだと思う。
今の楽器になってもう3年くらいだろうか?
小振りですっと素直に発音してくれる楽器で、
弾きやすく、それまであった右手の変な癖も
この楽器に出会って、大分改善した。
最近は本当によい新作というのが
世の中に出ていて、有名な演奏家も、
折角借りていたストラディバリウスも返して
新作の方を弾いているなんていう話も聞く。
古い楽器は、もちろん素晴らしいけれど
本当に健康かどうかというのは、
いつも問題になる。表板を開けての大手術と
なれば修理費も、目が飛び出る程の金額になる。
それに比べて、新作は、何せまだベイビーだから、
健康、というか生まれたて?
その分、音が出来上がってないけれど
逆に言って、音がどんどん変わっていくし、
それが楽しみでもあり。

それでも、やっぱり、健康管理は本当に大事。
特に夏に湿気王国の日本に帰ったりした場合は、
乾燥王国のドイツから旅立った楽器は悲鳴を上げる。
ドイツに戻ってきてからも然り。
異様に乾燥しているものなぁ。
洗濯物は、一日ですぐ乾く。
肌も保湿を怠ると粉ふきイモになる。


昨日、ちょっと友人の前で弾いて聞かせて、
「明らかに楽器の調子がおかしい。
楽器が鳴り切ってない。
上の二弦はよく鳴っているけど
下の二弦に鳴ると途端に、鼻づまりの音になる。
上辺だけの音っていうか。」


やっぱりそうですョネ。


もともとの楽器の器量のせいなのか
私の腕のせいなのか
楽器の状態が悪いのか(ヒビとか割れとか)
弦が古いのか


弦は換えてみた。
若干よくなった気もするが、根本的な
問題は解決できていない気がする。


「本当はもっともっと鳴るはずだよ、その楽器。」


ひたすら自分の腕のせいにしていたが、
もしかして本当に病気なのかもしれない。
ごめんよ、楽器くん。
電車に乗って、月曜日に早速病院に行きましょう。
ちょっと遠いけどよいお医者さんのがよいし。

きちんと治るとよいなぁ。。。



今日の言葉*
「ある人の価値は、自分自身からどれくらい
解放されているかで決まる。」
(アインシュタイン)
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by sachiolin | 2007-11-04 20:07 | Trackback | Comments(0)
「それは、11月になったらさ~…」
と言い終わらないうちに、

「いや、もう11月ダヨ!!」
と友人二人のシンクロ声で突っ込まれた。

いや、もう本当に11月である。
これは困った。2008年まで残り2か月?
信じられない。ドウシタモンダロー。
光陰矢のごとし。


一日一日を
一時間を、一分を
もっともっと大切にしなくては。


神様から与えられたこの時間。



何かで読んで、手帳にメモしてあったことを
ふいに思い出した。


「仕事量=投入量×生産性」


もうまわり道をしている暇はない。
投入量(時間)を増やすより、
より生産性のあることを。

生産性を上げること。


一週間かけて練習して持っていったことを
師匠は、ものの1分で軽々とやってのけてしまう。
何回かそこを繰り返したら、すぐ自分のものになってしまう。

そりゃぁ比べても仕方がない。


だけれども
「弾けるか弾けないか」ではなく、

「すぐに弾けてしまう」
「ちょっと練習すればすぐに弾けそうだ」

ということがより大事であり注目に値する。


すぐ実になるコト。
応用の利くコト。
より基本的な、実践的なコト。



そういうコトを一つでも多く持っていたら
少ない投入量でも、きっと大きな成果が上がる。


逆にいって
そういうコトを自ら発見するために
投入するコトが必要であるのかもしれない。
そういった意味では、ある種の「無駄」も
必要なのかもしれない。


なにかが分かるというのは
楽器を弾く上では、当たり前だが
とても感覚的なコトであり、「音」である。

大抵そういうのは、
だんだんわかるのではなくて
突如として舞い降りてくる。
すとん。ことん。
それくらい、「わかるかわからないか」の
境界線は、クリアでわかりやすい。
坂道ではなく、階段。

階段をどれだけ上がれるか。
階段をどれだけ発見できるか。
それにはどれだけ我慢できるか。



「わかったこととわからないこと」ということに
関して、いつも読んでいる茂木健一郎さんの
クオリア日記
にこんな興味深い事が書いてあった。
(10月22日分)


「わかったこととわからないことの比率」

人間の脳は、長く生きるほどさまざまな
体験が蓄積していき、
 組み合わせを通しての
創造性の基礎となる
要素もふえていく。

 しかし、世の中には、何でも
わかったような気になって
ツマラナクなる人も多い。
 話していてつらいのは、
体験や知識が増えたことで、
自分はわかっていると思っている
人である。

 人間の脳の特性である
「オープン・エンド性」
を維持するにはどうすれば良いのか。

 研究の現場で感じていることが役に立つように
思われる。

 よく、「脳の神秘は何%くらいわかっている
のか」と聞かれるが、
 100あってそれを隅からつぶして
いくということではない。
 「一つわかると十わからないことが
できる」
というのが実感である。

 「わかっている率」は
研究の進行とともに逓減していくのでは
なく、つねに「わからないこと」
が切り開かれるので、
 わかったこととわからないことの
比率は、いつもかわらない。

 「わかる」という「ハンドル」
がつかなければ、そもそも
何がわからないかもわからない。
 わかることは、わからないことの
水先案内人なのである。

 人生について知れば知るほど、
わからないことも増えてくる。
 ある人について見聞きするほど、
その人のことがわからないと
わかる。

 一つ「わかる」の枝が伸びると、
そこから十の「わからない」の
枝が伸びる。
  
 そのようなイメージで生きていれば、
脳のオープンエンド性を
いきいきと保つことができる。

(茂木健一郎)



なるほど。


どんどん枝をのばしてゆこう。
どんどん大きい木になってゆこう
どんどん深く根をはってゆこう。



昨日のレッスン。
先生が踊った。
やっと分かってきた。
音楽が生きていると先生が踊ってくれるのだ。
そして、そういうレッスンのときは、
何故か踊った本人はぴんしゃんしていて
踊らせた私たちは、ぐしゃんとする。
何なの、あのエネルギーは。
レッスン室を縦横無尽に踊る先生と
汗たらたらで必死に弾く生徒の図を
思い浮かべると、笑いがこみ上げてくる。
何なの、あのエネルギーは。


写真;わが町を一望。
   よきかなよきかな。



今日の言葉*
「自然は飛躍せず
(natura non facit saltum)」




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by sachiolin | 2007-11-02 09:22 | Trackback | Comments(0)