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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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<   2007年 10月 ( 7 )   > この月の画像一覧

やっと深く眠れるようになって体調が戻った。
やはり睡眠は大事ですね。

台湾人の友人が「のだめカンタービレ」の
ドラマ版を台湾から持ってきたというので、
夜の練習のあと、私の部屋に集まって
数人で毎日少しずつ鑑賞会をした。

漫画をちょっと読んだり、
アニメをちょっと見たりしただけだったが
自分が、これほど嵌るとは思わなかった。笑。

「いやいやそれはないでしょう…」
と、突っ込みをしたくなる部分もあったりするが
「いやいや…確かに。。」
と、実際に毎日楽器に向かっている者からしても
見ていてグサグサくるような本質をつく
言葉や場面も沢山あった。
特にのだめがコンクールを受けたりする後半は、
胸に迫るものがあって、何度か泣いてしまった。

とにかく、千秋ものだめも、配役がいいし、
登場人物の感情にぴったりとする
場面ごとのBGMのチョイスが素晴らしい。

それこそSオケのラプソディ・イン・ブルーではないが、
「みせる」という事のツボを心得ていらっしゃる。
こういう業界の技というのは、すごいなぁとつくづく。


最後の土手のシーン、最高。
音楽も最高。


「白目剥き出し」をあれだけ捨て身でできる
千秋とのだめにも拍手。
しかし、役者さんというのは、大したものだ。

本物にピアノ弾きに見えるし、
本物のオーボエ吹きに見えるし
本物の指揮者に見える。

特にラストの千秋には、ブラボー。
かなり長いショットなのに、
ベト7の渾身の指揮姿。
お世辞なしに上手い。
そこらへんの指揮者より上手いかも?
肩に力が入ってないし、躍動感があるし、
スケールも大きいし、普通に指揮が分かる。
なかなかあんなに振れません。
相当練習したのだろうな。

のだめオーケストラのなかに、
知り合いが何人もいて面白かった。

今まで、全くクラシックを聴かなかった人が
これがきっかけで、聴くようになったり
興味を持つようになったのは、
どんな形であれすごい事だし、喜ばしい事だと思う。


音楽を続けていくのは、大変なことだが、
やはり音楽は素晴らしいなぁと
改めて思わされたョ、のだめさま。



そんな事をのんきに思っている最中、
パリでは日本人がロンティボー国際コンクールで優勝!
田村響さん。弱冠20歳のピアニスト。

ファイナルの曲目はあのラフマニノフの2番。

ちょっとニュースの映像を見たが↑
何と力強い、泉のようにあふれ出る演奏でしょう。
体つきもよいし(これも大事な才能のひとつ)、
骨太でまっすぐな情の熱い演奏。

インタビューに落ち着いて答える田村さん。
「すごく嬉しいです。
自分の信じている音楽を思い切ってやる
ということだけを心がけて弾きました。」

これからがますます楽しみデスネ。
さて、私も頑張らねば。
今自分ができること。



今日の言葉*
「さぁ!楽しい音楽の時間です!」
「体全身で音楽を感じてクダサ~イ」
「そんな泣いている暇があったら練習したら?」
「シューベルトは本当に気難しい人なのか?
 自分の話ばかりしていないで、人の話もよく聞け。 
 楽譜に正面から向き合え。」
「大事なのはどれだけ自分がその曲と
 真剣に向き合ったかという事です」
「今日は、すべてを忘れて自由に弾いていいから。」
「どんなときもどこにいても、私たちは、音楽で繋がっているから。」
(のだめカンタービレより)
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by sachiolin | 2007-10-30 21:45 | 観■Film | Trackback | Comments(6)
風邪は一日で治った!と思いきや
その次の日から予想外にずるずると
引きずっている。
頭とお腹がきりきり痛む。

と、話したら、周りの友人何人かも
僕も、私も…と言っていたので
これは、はて、流行りの風邪だろうか。


それに加えて、よろしくないのは、
ここ数日、眠りになかなかつけないということだ。
あの、「いくらでも眠れる生き物」のわたくしが
こんなことになるとは。
一生の不覚である。(言い過ぎ)


ともあれ、よき睡眠は、健康の基本デスネ。


こうなったら、これを口実に
ずっと欲しかったお高い枕を
インターネットで買ってしまおうかしら。

我が家にある枕の数は、ざっと3,4個。
これぞthe「 安物買いの銭失い。」



最近読んだ、養老先生の本「無思想の発見」で、
なぜ人間は眠らなければならないのか?
という一節がある。
「眠ることは休むことだ」と思いがちだが
寝ていても起きていても、脳の消費エネルギーは
実は、さして違わないのだという。

「意識とは『秩序活動』」であり
(=まったく無秩序に意識活動をすることはできない。
例;意識的にデタラメなウソはつけるが、
話自体はデタラメではない←日本語にはなっている)

そして「意識と無意識は相互に補完する」らしい。
どこかに秩序が生じたら、
どこかに無秩序が生じたということになる。

図書館の話に例えて分かり易い説明が続く。
開館した図書館にはたくさんの人がきて
たくさんの本を読んでちらかしていく。
その状態で閉館する(=眠りに入る)。
それから司書さんたちが、
前の日の朝と同じ秩序に戻るまで片付けを続ける
(=意識はないが、脳内エネルギーは消費する)。
秩序が戻ったところで、再び開館(=意識が再開)する。

つまり、眠っている間に、「勝手に」
脳内のお掃除をしてくれていたというわけだ。
何と素晴らしい。感動。
私の部屋も誰か勝手に掃除してくれないかしら。。



「だからこそ、意識の世界に生きる
現代人は『意識こそすべて』と思っていても
幸い問題が生じなかったのである」と
養老さんはおっしゃる。

そして、「だから如何に覚せい剤のどこが
問題か分かるでしょう」と。

確かに。


眠りはこんなにも大事で
眠りにこんなにも助けられていたとは。


それにしても、この本、面白いなぁ。
「バカの壁」を読んでも見える世界が変わったが
今回もまた、すとんと、世界が広がった。
外国に住んでいると、よく聞かれる
「日本の宗教」について。
私は聞かれるたびに、「無宗教だ」と言ってきた。
そう言いつつも、じゃあ一体無宗教って何なのさと
困った時の神頼みとは調子がいいお話だよなと
内心思っていたが、「無宗教」だと言ってきた。
養老先生のおっしゃる通り便利だからだったのだろう。
それが一体どういうことなのか、
少し、理解が進んだような気がする。
でもまだそれを人にうまく説明できないような気がする。
人に説明するというのは、ただでさえ難しいことだが、
これを、外国人に外国語で説明してみようとすると
これはますます難儀なことである。
日本人以外にもこの本を読んで欲しいなぁ。
英語版が出ないかしら。

如何せん、ますます養老先生の独特の語りが
濃くなってきていて、それが故に批判されたりも
するのだろうが、私はこういうおじさまは
好きである。あとがきがまたよい。


「いつもヘソの曲がったことを考えるから、
どうも世間に受け入れられない。
そう思っていたら、本が売れてしまった。
しかしこの本は売れない。売れないと思う。
ますますヘソが曲がってきたからである。
でも素直に考えているんだから、
これはこれで仕方がないのである」



今日の言葉*
「身体を使え。」
「努力・辛抱・根性 」
「自分の世界観が『変わる』ことに勇気を持ち、それを楽しめ。」
「100年たってもなくならないような、
 人間の生活に密着した普遍的な職業を選べ。」
「教養とは他人の心が解ることだ」
(養老 孟司)
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by sachiolin | 2007-10-26 10:28 | 読◇non-Fiktion | Trackback | Comments(1)

風邪早くも回復

風邪ウィルスを周りに移さぬよう
(特にオーディション前の友人には)、
部屋にこもって、
一日中何もせず寝ていたおかげ+
友人の作ってくれた美味しいご飯のおかげで、
あれだけだるくて重かった体が、
今日は羽根がついたように軽くなった。
上向きのエネルギー。

健康で、楽しくご飯が食べられて
楽器を弾けるってこんなに幸せだったとは。
Aちゃんありがとう。神様ありがとう。


今日は大好きなチェロの先生のレッスンを聞いて
(ちょっと伴奏して^^;)とても勉強になった。

メモ

●速いとか遅いとかそういうことではなく、
 兎に角「たっぷり」歌うこと。
 (特に細かい音こそたっぷり)
●音楽の自然な「伸び縮み」。
 歌うところはたっぷり歌って、
 後はすっと行く。
 (←フレーズがどこで終わるか)
 (→音楽が自然に呼吸してくる)
 (→聴き手も引き込まれる)
●軸がぶれないこと、縮こまらないこと
 (→音を前に飛ばす気持ち)
 (←前に飛ばすには、自分は前に行かない)
●弓を増やしていくこと



今日の言葉*
「Es irrt der Mensch,solang(e) er strebt
(人間は努力をするかぎり、迷うものだ)」
(ゲーテ/「ファウスト」より)
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by sachiolin | 2007-10-23 08:32 | Trackback | Comments(0)
中学校時代にHさんという仲良しがいた。
私にとって、ちびまるこちゃんでいう、
たまちゃん的な存在だった。
たまちゃんと同じように
髪をいつも三つ編みにして、
丸い眼鏡をかけていて、
いつもにこにこしていて、
落ち着きのあるその雰囲気が好きだった。
落ち着きのない私は、彼女といるとバランスが
よくなっているような気がしていた。
よく一緒にピアノを弾いたりした。

そのHさんが、突然夢に登場した。
懐かしくて、手を伸ばして握手をしたい。
どうやら、先生になったらしい。
あの風貌そのままで、スーツ姿が
よく似合う素敵な先生だ。
話しかけようとするけれど、
授業に熱心で振り向いてくれない。

ちょっと寂しい気持ちで家路についた。
家は、ちょっとした宇宙船のような格好をしていた。
玄関や階段はいたって日本家屋風なのに、
家の中に入ってみると、どうやって一体
この家が建っているのか、わからないような
不思議な構造だった。私は、どうやらもらわれた
子のようで、実際のこの家のお姉さまたちが、
3人位、その家のてっぺんの応接間で
お茶を飲んでいた。それなりに仲良しの
ようだが、どうも馴染めない自分がいるようだった。
お姉さまの一人が、ある人の電話番号を
教えてくれた。その人とお姉さまは知り合いで、
「この人に電話してみるとよいわよ」と
言われて、実は私はその人のことを知っていた
のだが、知っていたと分かると悪い気もして
黙って番号をメモ用紙にさらさらと書いた。

家は、刻々と形を変えているようで、
どうやら今は、ねじを巻いているようなタワーに
なったようだった。そのタワーの窓から外を眺めた。
玄関の前は、ちょうど町のみんなが集えるような
公共の緑の丸い広場になっていて、
何人かのカップルや若者が、芝生に座って、
夕暮れ時のその時間を味わっているようだった。
ふとその丸い広場を囲む道路に目をやると、
オープンカーがゆっくりと動いているのに気づいた。
遠いはずなのに、私の目は望遠鏡のような機能が
ついていて、そのオープンカーに、倍率を上げて
近づいてピントを合わせた。男女二人の若い
カップルで、男は、派手なブラウスに、黒のズボン。
女は、肩にかかるかかからないかのゆるいパーマを
かけた髪で、花柄のワンピースを着ていた。
何気なく、私たちの家の構造を盗み見して
舐めるように家の周りを低速度で、移動していた。
気味が悪かった。
そう感じたのは私だけではなかった。
「ねえ、あの車が変じゃない?」と一人の
お姉さまが呟いた。
「どれどれ?」とお姉さまがたが、
 紅茶のカップを持ったまま窓辺に近づく。
「あれよあれ。」
「本当だ、おかしいわね。うちに泥棒に
 入るつもりかしら。」
「お母様もまだ帰ってこないし、困ったわねぇ…」
私は一人、じっとその車を見つめ続けていた。
すたすたすたという、靴下と木製の階段が擦れる
音が聞こえたかと思うと、まわりには誰もいなく
なっていた。みんな下に降りていってしまったようだ。
黒と茶色のその建物は、微妙に変化し続けて、
そこに私は一人で立ちすくんだ。


時計を見たら朝の7時だ。
喉が痛い、体がだるい、悪寒がする。
これはまずい。本格的に風邪を引いた。
嗽をして、紅茶を入れた。
ふとさっき書いた電話番号を思い出した。
お姉さまのいうとおり、
「電話をしてみるとよい」気がした。
マフラーをぐるぐる巻きにして、
毛布にくるまって、番号を押した。

トゥルルル
トゥルルル
トゥルルル

繋がった。
向こうの声は聞こえるのに、
向こうには、こちらの声は聞こえないようだ。
「もしもーし」としばらく言い合ったが、
何だかその状況が半分おかしく半分切なく、
仕方なく電話を切った。

もう一度試してみたが、同じだった。

何だかよくわからないが心がさわさわした。
何だかよくわからないが涙が流れた。

しばらく布団に突っ伏した。
廊下に出てみる。
こんな朝はきっと雪が降っているに違いない。
予想に反して、外はまだ曇りだった。

こういう気分の時は、吉本ばななだと
思い出し、「サンクチュアリ」を読んだ。
彼女の作品を読むのは3作目だが、
初めて、主人公が男の人だった。
黒い海に向かって、形振り構わず泣く女、馨と
長い間涙が溜まってしまって出なくなった男、智明の
話だった。吉本ばななの本を読んでいるときは、
文字を読んでいるという感覚ではなく、
隣りでその主人公が、私に話しかけているような錯覚を覚える。
始めから終りまで私はそれを黙って聞き続ける。
なんの衒いもない鮮やかなまっすぐな言葉や表現は、
まるで、ゴーギャンの絵を観ているようだ。
それは南国の鮮やかさ。
登場人物を鮮やかな赤や緑で描いていく。
水彩ではなく、油絵。


サンクチュアリを読み終わって、
また廊下に出てみたら、予感は的中して
やはり雪がこんこんと降り始めていた。


そんな不思議な一日。
夢をよく見るが、これほどクリアに
覚えていて、それを文章にしてみると
面白いな。…って自己満足の世界。

錆がつかないうちに、風邪なおさにゃ。



今日の言葉*
「Wer rastet,der rostet」
(休む身には錆がつく)
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by sachiolin | 2007-10-22 08:28 | 読◇Fiktion | Trackback | Comments(0)

より現実的なこと

急に冷え込んだ。雪も降りかねないお天気。
冬コートに手袋にマフラーが大活躍。

突然のこの寒さのせいか、低気圧のせいか
体調が崩れ気味。そういえば、最近、
視力も悪くなったなぁ。夜は星を見よう。


その日一番に出す音。
調弦の音。

それで、その日の調子が分かる。
楽器の調子、心の調子、体の調子。
自分の出す音が、他の何よりも、
自分自身のバロメーター。
音は、嘘つかない。
それが怖いことであり、面白いことであり。


「音」が、戻ってきた。
よかった。


こういうことの、繰り返し。


何にせよ、
昨日まで出来ていなかったことが、
今日は出来るということそのものは、
とても楽しいことだ。
何かを学んでいくということは、楽しいことだ。
先日の日記を自分で読み返して気づいた。
「せにゃならん」と思ってしていることは
決して身につかない。誰に何を言われようと
自分自身が本当に欲しなければ身にならない。
逆にいえば、自分自身が欲してこそ身につく。



出来なかったことが、出来るようになると、
もっと上のことを求めるようになる。

そうすると、また出来ないことがでてくる。


こういうことの、繰り返し。


大事なのは、手段より目的が一歩前を行っている事。
1歩前というのが大事な気がする。
目的が10歩前を、一人歩きしては、
単なる「夢見る人」になってしまう。
もっと現実的なこと。
より現実的なこと。
ドイツ語でいうところの、sachlichカナ。


今日の言葉*

ベルリンフィルのホルン奏者の
ラデク・バボラークさんのインタビュー。
(取材・文/ 青澤隆明)


「作曲家の時代背景というものもあまり考えないですね。
演奏中は今のことだけを考える。歴史的解釈も
ある程度は大事ですが、そういったことを考えるのは
ツアー中の時間があるときだけです。
バッハを例にとるなら、彼はテンポや強弱に
ついてはほとんど書いていない。ということは、
良い音楽家というものは、最初の小節を弾き始めれば
これがなにを意味するかがわかる。
速くとかゆっくりだとか、テンポや表情といったことは、
音楽家の感性で自然にわかるものだということでしょう。
そこを理解したうえで、規則に反して何かをしてもらいたい
ときだけ、バッハは敢えて注釈をつけているわけです。」

「重要なのは音楽を理解するということです。
やはり音楽を理解するのにもっとも簡単な方法は
自分のもっている能力を楽器を通して開発する
ということではないでしょうか」

音楽を続けていくのは何故ですか?
「~略~
職業だから。仕事だから、ですよ。
それ以外に理由はなくて、芸術というのは
誰かに強制してできるものではないのですよ。
やるかやらないかは本人次第で、
私はこれが仕事だから続けているわけですけれど。」
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by sachiolin | 2007-10-21 03:10 | Trackback | Comments(0)

体温の話など。

基礎体温を毎日つけているという友人を見習って、
自分も体温を測ってみることにした。



朝、寝起き状態。


35.5℃。
低…!!



外出から帰り。

36.2℃。
並。



友人との会話で盛り上がったところで測定。

36.0℃。
意外に上がらず。
(何故か、がんばれ体温!と心の中で応援してしまう。)


ヴァイオリンの練習で燃え上がったところで測定。

36.9℃
高…!!!




あ。

「基礎体温をつける」というのは、
こういうことではなかった。
しかし、これほど一日で変動が
激しいとは。興味深い。


それにしても、もともと低体温だったとはいえ
35.5℃は、いくらなんでも低過ぎる。
寝起きも悪いはずである。




さて、来週は、ひとつオーディションが。
まだ受けようか受けまいか迷い中。
練習は順調だったが、いざピアノ伴奏と
合わせてみたら、あまりに下手で、撃沈。。。
凹。
体が固まる、音楽が流れない、一辺倒。


分析練習ばかりしているとこうなる。
オーディションは、一発勝負。
実際に、何十人も弾いていく状況だと
始めの3段、始めの数小節での印象が
とても大事になるものだ。

何時間かけて現地に赴いて
その何分にどれだけ集中して
のびのびと演奏できるか。

明日は一日に何度か、一回ずつだけ
伴奏合わせを頼んだ。
一回目にベストで弾く練習。
あと何日か必死にやってみて、
自分で納得がいけば、トライしてみよう。



先日、久しぶりに我が師匠のレッスン。
最高。
「こういう感じ」「こういう音」というのを
ひたすら伝えてもらってひたすら受け取る時間。
そこには言葉はもはやいらず。
感覚そのものを、音そのものを
養っていく。磨いていく。

指先の感覚。
弓のダンスする感覚。
音が裏板に貫通する感覚。
弦が最大限に震える感覚。
音を一瞬で絶妙のタイミングで掴み取る感覚。


師匠の奏でる音楽は、
大きく、広く、のびやか。


あの音を聞いてしまうと
自分なんてなんてちっぽけなんだろうと
半ば呆れて、不思議と笑いがこみ上げてくる。
あの楽器を最大限に鳴らせる術を身につけたい。
「底鳴り」とでも言うべきか。


あんな風に弾けたなら、
どんなに楽しいことだろう。


あんな風に弾けたならと
思える人に習えることは
どんなに幸せなことだろう。


さて、がんばりますか。



今日の言葉は、脳科学者の茂木健一郎さんの
クオリア日記から。(2007年10月7日分より)
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/10/index.html
そのどこか優しさが香るやわらかい言葉と、
鋭い考察からはいつも学ぶことが多い。



今日の言葉*

養老孟司さんは、
「仕事というものは、世間に空いている
穴を埋めるものだ」
という。

とりわけ、
自我が肥大しがちな青年時代において、
養老先生の言葉は大切な
メッセージを含んでいる。

一方、何でも世間に合わせて
がんばっていると消耗する。

 自分が好きなこと、惹かれること、
大切なことをできるならば、
 より良質のものを生み出し、
世間に差し出せる可能性がある。

 半ば自分のために、半ば
他者のために。
 つまりは、自分と社会が、
ラブ・アフェアーの状態に
あることが望ましい。

 別の言い方をすれば
スケールの問題なのであって、
 自分にとって本当にエッセンシャルな
ことは、世間に大手を振って
流通していることではなく、 
 心の中に、まるで胡桃の殻が
擦れ合うようにかすかな音を
響かせているものにこそ
耳を傾けるべきなのだ。

 そして、自分自身という
楽器が、世に向けての胡桃の
拡声装置となれば良い。

(茂木健一郎)
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by sachiolin | 2007-10-14 07:58 | Trackback | Comments(0)

禁煙

久しぶりの我が家。
なんだかんだとちょうど一週間の外出だった。

久しぶりの皆様と、楽しく語ったり
教会でのお仕事して、名曲ってすごいなと思ったり
大御馳走を食べて、確実に4キロは太ったり
カルテットを遊んで、音程の勉強になったり
テニスをして、楽器もテニスも要は同じだと感じたり
踊る大捜査線を観て、和久さんとすみれがいいナと思ったり
大量の銀杏を採取して、食べているのは種の部分だと知ったり
鳥が窓にぶつかって、脳震盪を起こしたり
陽だまりで紅茶を飲んで、ぷはーっと幸せになったり
した一週間。


この一週間で、ドイツで取り入れられた
規則と言えば、飲食店など公共の施設での
(具体的にどこからどこまでなのかは調べておらず。。)
全面禁煙!!!!

煙草を吸わない者にとっては
嬉しいニュースに間違いない。
美味しいご飯を目の前にしたのに、
隣りから煙がもくもく流れてくると
美味しさ半減というもの。
美味しい空気と美味しいご飯はセットで考えたい。


とはいえ

煙草を愛してやまない方々にとっては、
さぞかし辛いことでしょう。
お察しします。


それにしても

何も駅のエレベーターの扉にまで
禁煙シールをでかでかと貼らなくても。
やるとなったら徹底的にやる国、ドイツ。



今日の言葉*
「金持ちになること、有名になること 、偉くなることを
 人生の目的にしてはいけない。」
(どなたの言葉だったか…)
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by sachiolin | 2007-10-09 07:46 | Trackback | Comments(0)