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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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<   2007年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

栄養補給

昨日初めて自分の先生の演奏を聴いた。
ベートーヴェンのソナタ10番。

はぁ~~~~~~
すごかった。


なんていっていいのやら
やらやら。




素晴らしいバレエダンサーを
見ているようだった。
動きがとまらない。
音楽がとまらない。

川が流れるように
泉が湧き起こるように



ヴァイオリンを弾いていることが
呼吸するように自然で、
まるで弾いていないよう。
なんなんでしょうあれは。


そして何よりホール中を包み込むあの音…!
まるで香水のよう。
なんなんでしょうあれは。


ブラボーの嵐。


いい音楽を聴いて栄養補給。


今日の言葉*
「無論、成功するための定石などないが、
敢えて一つ挙げるとすれば、人生と人生が
もたらすものを、無条件に受容することかもしれぬ。
(アルトゥール・ルービンシュタイン1887-1982)
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by sachiolin | 2007-05-24 07:28

Sascha Waltz

今日はマーラーの交響曲二番の本番。
疲れて帰ってきて、テレビをつけたら
生き生きとしたダンサーたちが
目に飛び込んできた。
ベルリンを拠点に世界で活躍中の
Sascha Waltz。

何だか上手く言葉にできないけれど、
これは是非一度ナマで観なくては!
と思った。

スケールの大きさ
斬新な構図
ファンタジーの無限の広がり

建築物、巨大な布、水槽…
彼女の眼差しと試みは、全て
見事な対話となって、大きな力を生み出す。
目の前に「形」として実現する能力が
ものすごい。これからの活躍が楽しみ。

arte

saschawaltz hompage



今日の諺*
「Wer die Wahl hat,hat die Qual.」
(選択には苦労がつきもの)


c0110074_8173695.jpg
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by sachiolin | 2007-05-20 08:17

「出たーーー!それそれーー!!」
お化けでも出たように、目を丸くして
私を指差した、今日の我が教授。

何を隠そう、いい音が出たのだ。
まだそれをずっと持続できないが、
その感覚が分かったのがちょいと嬉しい。


裏板を鳴らせたというか
芯があって自由に飛んでいくというか

野球でいうと、ボールの真っ芯を
捉えたホームランという感じ。

カキーーーーーーーン


野球でも
テニスでも
ビリヤードでも
ボクシングでも
ピアノでも
ヴァイオリンでも

芯を捉えられた時の、その瞬間のエネルギー
というのは、どれも似ている気がする。
そして、それが上手くいった時というのは、
「まるで何もしていないかのような」感覚がある。
修練を積んだその先のことであって、
実際にはきっと色々しているのだろうが、
「色々していること」というのが、無意識になって
全てが一瞬一つの固体として、
ぎゅっと纏まる感覚とでもいおうか。

ま、一瞬いい音が出ただけなのだが、
あの感覚が常日頃持てたら
さぞや楽器を弾くことが自然で楽だろう。

偶然を必然にしたいものだ。



それにしても、我が教授の音に
またまた驚かされた。昔の巨匠のような音が。
楽器も弓も楽しそうに躍動している。
無論、音は自由に響き遊び続ける。
身体の使い方も、何だか知らんが凄い…。
上半身の開き方、重心の素早い横移動、
上下と左右の拮抗、両腕の動き。

音楽の伸び縮みも勉強になった。
意外なところで、伸ばす分、
その続きは、さっと動く。
それがメリハリにもなり、見ていた
フレーズが、一回りも二回りも長くなる。

今日はいつもに増して随分一緒に弾いて下さった。
弾いてもらって分かる事というのはやはり大きい。
生きている者同士が、その場で捥ぎ取って
掴んでいく場というか。「感覚」というのは
今現在に生きて捉えていくものなのだろう。
何年か前、慕っていた先生を不慮の事故で亡くした。
もっともっと学びたいことが沢山あった。
深い悲しみに沈むと共に、無念でしかたなかった。
そういう昔があったからこそ、
今の先生に出会えたこと
こうして教えを受けられる日々が嬉しいし、
心から感謝している。


今日の言葉*
「名人は危うきに学ぶ」
(松尾芭蕉)
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by sachiolin | 2007-05-18 08:18

「思」と「考」

漢和辞典って面白い。
漢字って面白い。


思考力とは一体どういうことか。
思うと考えるって根本的にどう違うのか。

そんな問いに漢和辞典君はするすると
答えてくれる。そこには驚きのアンサーが。


「思」 上部の田は、幼児の頭に泉門のある姿。
    俗にいうおどりのこと。あたまを表す。
    思はそれと心(心臓)を合わせた字で
    おもうという働きが頭脳と心臓を中心として
    行われることを示す。小さいすきまを通して
    ひくひくとこまかく動く意を含む。

「考」 下部は、Ⅰ線が上につかえて曲がりくねった
    形。考はそれを音符とし、老(長髪の老人)
    の略体を加えた字で、腰の曲がった老人。
    曲がりくねりつつ、奥まで思い進むこと。

泉門;=ひよめき。(ひよひよと動く意)
   幼児の頭蓋骨がまだ完全に縫合し終わらない
   時、脈拍につれて動いて見える前頭および
   後頭の一部。

「思」の田には、そんな意味があったとは。
「考」は、もともと「老」だったとは。
「思」は生まれたときからその活動が始まって
「考」は死ぬまで続く動きなのかしら。


思うことは、ひくひく、ひよひよ。
考えることは、くねくね。

ひくひくくねくね。
そうしてどこに辿りつくのでしょう。



思うにも色々ある。

「念」 今は「蓋で囲んで押さえる+一印
    (取り押さえたもの)」からなり、
    中に入れて含むことを表す。
    心中深く含んでおもうこと。
    
「想」 相は「向こうにある木を対象として
    見る事」を示し、ある対象に向かって
    心でおもうこと。

「憶」 意は「音(口をふさぐ)+心」の会意文字で、
    口には出さずに心で思うこと。
    憶は、「心+意」で口に出さずに
    胸が詰まるほど、さまざまに思いをはせること。


ふむ。奥が深い。
つくづく日本語とは美しい言語だと思う。
言ってみればabcの文字の並び替えで、
一つの言葉が完成していく英語やドイツ語と
違って、中国語もそうだが、日本語は
漢字を見ているだけで、書いているだけで
知らず知らずに養っている感覚が違うと思う。
日本語は、見る(読む)が中心で
英語やドイツ語は、聞くが中心なのかしらん。

そういえば、ドイツ人の書く文字で
やったら汚い。書くことは大事じゃないのかも。


小学校のときの習字の時間が懐かしい。
今でも日本ではきちんとああいう時間が
存在しているのかな。できれば、墨も
きちんと磨って。


いやーわけわからん日記になった。笑
明日は久しぶりに一日フリー♪



今日の言葉*
「cogito,ergo sum 我思う、故に我あり。」
(Rene Descartes 1596-1650)
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by sachiolin | 2007-05-05 07:42