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わたしの心の風景メモ。 


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カテゴリ:読◇Fiktion( 8 )

ブランコのむこうで

面白かったー

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by sachiolin | 2013-09-15 02:22 | 読◇Fiktion

読◇「ぶらんこ乗り」

いしいしんじさんは、初めて読んだ作家だった。
その世界観がいきなり好きすぎて参った。
ひさしぶりに、大好きな物語に出会った。


天才の弟くん。
ごく普通のお姉ちゃん。
静かな額縁職人お父さん。
かわいらしい画家のお母さん。
ドスの利いている大物おばあちゃん。


物語は、いわばお姉ちゃんの回想録。

物語の間中ずっと、そこはかとない
静かなかなしみが底で流れている。
読み始めてすぐにそのかなしみが
通奏低音のように私の耳に聞こえてきた。

それで、私はすぐに引き付けられた。
この切なさは、なんだろうと。



弟くんが書いた、ひらがなばかりの物語は、
ものごとの本質や真実をおどろくほど、
透明に映し出し、どの話も、心がしーんとする。



ぶらんこ乗りの話。
川のお化けの話。
ハト玉の話。
コアラの話。
ナマケモノの話。


光と影。氷の刺。声を失うこと。
心が変わっていくこと。
ぶらんこの揺れ。ゆらぎ。
動物の世界。人間の世界。
善と悪。ほんとうとうそ。
家族。おとなとこども。愛。孤独。
死。生きていくこと。。。


実はいろんなテーマが、深く深く書かれている
ように思う。この「実は」というのが私のツボ。

シンプルで、やわらかくて、わかりやすく、
書かれているけれど、「実は」ものすごいこと
書いてる。むずかしく書くよりやさしく書く方が
ずっとずっと難しいのは、分かっているからこそ
尚更、この透明感と深さに唸ってしまう。


私はなぜだか、村上春樹さんと、よしもとばななさんの
作品を読んだあとの感覚のことを思い出した。

いしいしんじさんは、このふたりの中間くらいに
位置している気がした。村上作品より女性的で、
よしもとばなな作品より男性的。

全く違う3人は、全く違う坑道を掘っているけれど、
掘って掘って、掘り進んだ先の沼のほとりで、
違う3人が、同じ景色を見ているように思えた。



いしいしんじさんの作品は、
その深さを、怖さや冷たさとして
感じさせず、静けさとやさしさとして
昇華させているところに、すごさが
あるように思う。大人も子供も楽しめる
というのは、ものすごいことだ。


おとなからこどもへ
こどもからおとなへ


包まれることと包むこと。
磨かれないことと磨かれることと。
変わらないことと変わること。

ぶらんこみたいに、揺れること。



好きな作家がまたひとり増えた。
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by sachiolin | 2010-10-05 22:10 | 読◇Fiktion
「ちいちゃんのかげおくり」
というお話を初めて読んだ。

読み終わった瞬間、
鳥肌がぞわぞわっと立った。

もうすぐであふれそうだった涙が、
すーっと体内に流れ落ちていき、
おなかの中にたまった。 

流れ切らない涙たちの、そういう水たまりを、
おなかに抱えているのは、不思議だけど、
なんとなく、それは大切なんだろうと感じる。


涙がどこから出てくるのか。

目は行き止まりなのだろうが、
体の底とつながっていると思う。


あふれてくる涙がある。
水たまりで地震が起きて、噴出する涙。
自分ではとめようのない涙。

流れ切らなかった涙がある。
ぐっと我慢して、しっかりおなかで支える涙。



戦争というものを、私たちは体験していない。

戦争のことを考えるとき、聞くとき、
私のなかの、水たまりが、震える。
ここで踏ん張らないといけない、と感じる。
おなかでぐっと支えないといけない、と感じる。


そのときに、
どれだけのものが、
どれだけの人の中を駆け巡り、
どれだけの人生がかき乱され、
どれだけの人生が消えていったのだろうと、
その、巨大な悲しみや喪失感を、
戦争を知らない私たちは、
ぐっと、聞くことしかできない。


テレビで、おじいさんが、
戦友の写真を手に、
「あの時に私は共に死ねなかった」と、
空気中の穴を見つめて、つぶやいていた。

「死に切れない」という言葉に、
これほど深いかなしみを感じたのは、
初めてのことだった。

おじいさんの中では、今も生き続けている
影があり、友があり、自分があるのかもしれない。


私には、今は、ただ、聞くことしかできない。
そのことは、非常に自分をかなしませるが、
「聞くこと」の持つ力を、信じるしかない。


流れ切らなかった水滴が、水たまりに
ぽたんとぽたんと、落ちていく。

ぐっと我慢して、ぐっとおなかを支えて。




きっと、あのときの、あの日のように、
蝉が、ミンミンと、鳴いている。

夏はめぐる。
8月15日は、めぐっていく。






今日の言葉*

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」

(井上ひさし)
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by sachiolin | 2010-08-17 15:58 | 読◇Fiktion

読◇ 古本買い物memo

先日、古本屋さんでお買いものをした。
この期に及んで荷物を増やす気かっと
自分につっこみつつも、ドイツ語の本は
日本で手に入りにくいが故に。ええ。。

Hesse: Narziss und Goldmund(知と愛)
    Das Glasperlenspiel(ガラス玉演戯)
Kafka:das Schloss(城)
Ende: Die unendliche Geschichte(はてしない物語)

H.Murakami: Gefaehrliche Geliebte(国境の南、太陽の西)
Y. Mishima:Nach dem Bankett(宴のあと)
Y.Kawabata:傑作集(伊豆の踊子、千羽鶴、雪国など)


しめて30ユーロに値切った!ホクホク。


日本で、じっくり読むのが楽しみである。
ただでさえ、日本に帰って、ドイツ語を
忘れていってしまうのは残念だなぁと
思っているので、続けるためにも、よい。

古本屋さんのご主人と、三島文学ってすごいよねーと盛り上がった。
ドイツ人と日本文学について話すなんて何だか嬉しかった。
ご主人は、三島の「金閣寺」にえらく感動して、ドイツの別荘を
金閣寺をモデルにして建てたとか。「勿論金箔ではないけどね。
素敵なんだよ。ふっふっふ」と、満足気だった。


カフカの「城」も、ヘッセもエンデも読みたかったものばかりなり。
日本文学のドイツ語版も、こんなに手に入って運がよかった。
古本屋さんってタイミングがあって、行っても何も見つからないときもある。
そういうのも含めて、古本屋さんがすき。あの、店内の独特の時間の
とまっている感じが好き。本気で神保町でバイトしたいわー。

そんなことしたら家が埋まるか…
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by sachiolin | 2010-07-14 09:01 | 読◇Fiktion
ちと旅に出てきた。北の方。
海の香りがふわっとするくらい北の方。
空の色も違うし、人の雰囲気も違った。
自転車に乗る人たちが、やたらと颯爽としていて、
その街の風景に見事にマッチしていた。

はたと目が覚めてしまった。
時計をみたら早朝の4時半だった。
のどが痛い。少し寒気がする。
これは危険だと思い、うがいを入念にして
タオルを首に巻いて、水を飲んで、ベットに戻った。

More
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by sachiolin | 2009-06-25 07:16 | 読◇Fiktion
昨日は凄まじい嵐だった。
強い風がこれでもかこれでもかと
吹き荒び、窓をかたかたと揺らし続けた。
上の階の住人がバルコニーに何か
引っかけたままなのか、強い風に合わせて
カターンとバルコニーの鉄製のパイプに当たり
その音が妙に響いて、うまく眠りにつけなかった。

眠れないので、読み途中の「海辺のカフカ」の
ページをめくる。読書をするときの音楽というのは
結構難しくて、真剣に聴き入ってしまうものでもだめだし、
かといって、あまりにBGMになり過ぎてしまうような
音楽だったら、寧ろ無音の方が私は読書に集中できる。
変に邪魔はせず、一種の「波」みたいなものが
音楽と文を縦になぞっていく自分の視線の流れの間で
心地よく同時進行していくと気持ちが良い。
そんな音楽はなかなかお目にかからないと
思っていたが、この前、出会った
コルトーとティボーとカザルスの録音は
不思議とそういう波を出しているのだ。
もう多分10回以上は聴いているが、全然飽きない。
毎回楽しいし、毎回新しく感じる。
ホンモノというのは、絵でも音楽でも彫刻でも
「スキマ」というものがあるのだよなぁと思う。
こちらがいつでも自由に入り込めるスキマ。
ある意味、それは完成していないのだと思う。
だからこそ時も空間も越えて
たくさんの人の心の中に入ったり出たりする。
扉はいつも開かれているのだ。


そんなことを漠然と感じていたら、
海辺のカフカに出てくる「大島さん」は、
私のいいたいことをきちんと言葉に
かえてくれていた。

「ある種の不完全性を持った作品は、
不完全であるが故に人間の心を強く
引きつけるーー少なくとも『ある種の』
人間の心を強く引きつける、ということだ。」
質の良い稠密な不完全さは人の意識を刺激し、
注意力を喚起してくれる。これしかないというような
完璧な音楽と完璧な演奏を聴きながら運転をしたら、
目を閉じてそのまま死んでしまいたくなるかもしれない。
でも僕はニ長調のソナタに耳を傾け、そこに人の営みの
限界を聞きとることになる。ある種の不完全さの限りない
集積によってしか具現できないのだと知ることになる。
それは僕を励ましてくれる。」


今朝テレビで、昨夜の嵐によってドイツで
死者が少なくとも2名出たとのだと知った。
立派な木が薙ぎ倒され、道路を塞いでいる映像が
流れる。今回の台風の名前は、「Emma」だったようだ。
いつも思うのだが、このネーミングは一体
どこの誰さんが執り行っているのだろう。
台風がくるとわかったら、イソイソと
気象庁のお偉いさん方が会議室に集まって
今回の渦の巻き方からして、この子は
Stefanではないか、いや寧ろFriedrichが
相応しいのではないかなどと真剣に会議しているのだろうか。


今日は台風一過で、青空が広がった。
とはいえ、風は相変わらず強く、いろんな形の
雲が急ぎ足で空をかけてゆく。
珍しく外に出て走りたい気分になり、
テニス部時代のジャージに着替えて、
使われていなかった青いジョギングシューズを
履いて外に出る。柔軟運動を軽くして走り出す。

強い風が全身に遠慮なく当たる。
見たこともないような形の雲がある。
ちょうど日本茶畑のような段々が5、6段くらい
続いている。よく見る鱗雲みたいなものとも違う。
その丸みや段の感覚からいっても「茶畑雲」と
命名させていただいた。
しばらく走っていて、ふと真上を見てみたら
そこにはまた、見たこともないような虹が出ていた。
普通の虹は、地面に対して太陽のたどる道と
同じように弧を描いて姿を出す。
でも今回のは違う。
空の真上に、ドーナツの半欠片みたいにぽんっと置かれている。
まるで神様が食べかけて忘れたみたいだ。
こんなのは見たことがなかった。
しばし見とれてからまた走り出す。
ちょっと先で、2,3人が井戸端会議をしていた。
犬連れのそのひとたちのところまで着いたとき
「あそこに不思議な虹がありますよ」と
言おうと思って振り返ったら、もうその虹は姿を
消していた。向こうの方に目をやると、
雲の隙間から太陽の光が啓示のように
何本も地上に降り注いでいる。

風に吹かれながら、
今見た不思議な世界を心にとめる。


さて、昨日、今日、明日と
三夜連続でマタイ受難曲の演奏会。

昨日は19時半に開始して、休憩をはさんで
終わったのは22時45分だった。

久しぶりに、どよーんとした疲れを味わう。
そう、これはオペラを弾いた後のような疲れ。
マタイを弾くのは初めての経験。
やはりラストは感動に震える。



今日の言葉*
「つまり相手がどんなものであれ、人がこうして生きている限り、
まわりにあるすべてのものとのあいだに自然に意味が 生まれるということだ。
いちばん大事なのはそれが自然かどうかっていうことなんだ。
頭がいいとか悪いとかそういうことじゃないんだ。
それを自分の目を使って見るか見ないか、それだけのことだよ。」
(村上春樹/「海辺のカフカ」より ハギタさん)
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by sachiolin | 2008-03-02 02:04 | 読◇Fiktion
色々な大事な試験が迫っている今日この頃。
ものすごい勢いで練習したと思ったら
次の日は、本当にスイッチがオフになったように
丸一日ばたんきゅうとなったり。

基礎練習だけは欠かさずやっているが
最近毎日きちんとバランスよく練習していないな。
かなり、「思いつき、ひらめき練習」ばかりしておる。
しかし、これが、よかったりもするのである。
人前で弾く機会があり、それを通して
自分に足りないことを、補給、補修。

「音に心を吹き込む。いざ入魂!」

が、最近のマイテーマ。
これがまた難しいが、
うまくいったときは、異様に楽しい。
何がよかったのか、その感覚を忘れないように。



それにしても、もともと体力がない上に、
プレッシャーが圧し掛かり
あまりよい睡眠がとれておらず
結果、体調がなかなかよろしくない。
ちょっと頑張ると、すぐにへろへろになる。


ついでに、三日くらい前から右手が痛み出した。
ある角度に回すとぴきーんと痛む。
私ともあろうことが、人生初の「弾き過ぎ」なのかとも
思ったが、そういえば、三日くらい前、
右手が変な角度で曲がったまま、体重がかかって
寝ていたがため、びりびりとあまりに痺れていて
「これ誰の手?!」と驚いて起きたのであった。
そういえばあれは自分の手であったであるぞ。

かわいそうに、右手君。
しばらくは、節約モードでいきませう。



ところでところで、昨日読んだ
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」には、心を奪われた。

ジョバンニとカムパネルラのお話。
切ない美しいお話。

この人の文章は、
土の匂いがする。
木の香りがする。
光があふれている。
音が聞こえる。

何より深い優しさに、胸が震える。




こういう人を育てた岩手県というところは、
きっときっと美しい自然が人を見守っているのだろうなぁと
その遠い場所に思いを馳せた。
でも、案外、私の住んでいるここらへんも、
同じ空気が流れているのかもしれない。


水色、藍色、群青色、黄色、赤色、ピンク色。
変幻自在に、変わってみせる大きい広い空。
その空の下を散歩していて、大きく深呼吸をすると、
何だか知らないが、途轍もない大きな力に守られている
ような気持ちが湧いてくるものだ。

幸せってなにかしらと
歩みをとめて、ふと考える。




「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風を食べ、桃いろの美しい朝の日光を
のみこむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろの
きものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや
鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 本当に、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようで
しかたないとということを、わたくしはそのとおりに書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところも
あるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、
わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、
わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、
わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの
幾切れかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうの
たべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」

(宮沢賢治・イーハトーヴ童話 注文の多い料理店 序文より)

自分自身の作品について書いている、この序文は
妙に私の心をとらえて、何度も何度も読み返した。
読めば読むほど、好きになった。

「あなたのすきとおったほんとうのたべもの」

という言葉は、そのもの自体がすきとおって
きらきらしていて、心に余計に残った。

本当にいいものは、作った瞬間から、
作った本人からは離れて、自由に羽ばたくものだ。
音も言葉も絵も。


さて、わたしは
すきとおったほんとうのたべものを
もぐもぐきちんと食べているだろうか。
何百年前に書かれた、すきとおったほんとうの音たちを
はばたかせているだろうか。
そのすきとおったほんとうの音楽を、
人の心に届けられているだろうか。



今日の言葉*
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。
ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。」
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんな
つらいことでも、それがただしいみちを進む中での
できことなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に
近づく一あしずつですから。」
(宮沢賢治・「銀河鉄道の夜」より)
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by sachiolin | 2008-01-28 11:11 | 読◇Fiktion
中学校時代にHさんという仲良しがいた。
私にとって、ちびまるこちゃんでいう、
たまちゃん的な存在だった。
たまちゃんと同じように
髪をいつも三つ編みにして、
丸い眼鏡をかけていて、
いつもにこにこしていて、
落ち着きのあるその雰囲気が好きだった。
落ち着きのない私は、彼女といるとバランスが
よくなっているような気がしていた。
よく一緒にピアノを弾いたりした。

そのHさんが、突然夢に登場した。
懐かしくて、手を伸ばして握手をしたい。
どうやら、先生になったらしい。
あの風貌そのままで、スーツ姿が
よく似合う素敵な先生だ。
話しかけようとするけれど、
授業に熱心で振り向いてくれない。

ちょっと寂しい気持ちで家路についた。
家は、ちょっとした宇宙船のような格好をしていた。
玄関や階段はいたって日本家屋風なのに、
家の中に入ってみると、どうやって一体
この家が建っているのか、わからないような
不思議な構造だった。私は、どうやらもらわれた
子のようで、実際のこの家のお姉さまたちが、
3人位、その家のてっぺんの応接間で
お茶を飲んでいた。それなりに仲良しの
ようだが、どうも馴染めない自分がいるようだった。
お姉さまの一人が、ある人の電話番号を
教えてくれた。その人とお姉さまは知り合いで、
「この人に電話してみるとよいわよ」と
言われて、実は私はその人のことを知っていた
のだが、知っていたと分かると悪い気もして
黙って番号をメモ用紙にさらさらと書いた。

家は、刻々と形を変えているようで、
どうやら今は、ねじを巻いているようなタワーに
なったようだった。そのタワーの窓から外を眺めた。
玄関の前は、ちょうど町のみんなが集えるような
公共の緑の丸い広場になっていて、
何人かのカップルや若者が、芝生に座って、
夕暮れ時のその時間を味わっているようだった。
ふとその丸い広場を囲む道路に目をやると、
オープンカーがゆっくりと動いているのに気づいた。
遠いはずなのに、私の目は望遠鏡のような機能が
ついていて、そのオープンカーに、倍率を上げて
近づいてピントを合わせた。男女二人の若い
カップルで、男は、派手なブラウスに、黒のズボン。
女は、肩にかかるかかからないかのゆるいパーマを
かけた髪で、花柄のワンピースを着ていた。
何気なく、私たちの家の構造を盗み見して
舐めるように家の周りを低速度で、移動していた。
気味が悪かった。
そう感じたのは私だけではなかった。
「ねえ、あの車が変じゃない?」と一人の
お姉さまが呟いた。
「どれどれ?」とお姉さまがたが、
 紅茶のカップを持ったまま窓辺に近づく。
「あれよあれ。」
「本当だ、おかしいわね。うちに泥棒に
 入るつもりかしら。」
「お母様もまだ帰ってこないし、困ったわねぇ…」
私は一人、じっとその車を見つめ続けていた。
すたすたすたという、靴下と木製の階段が擦れる
音が聞こえたかと思うと、まわりには誰もいなく
なっていた。みんな下に降りていってしまったようだ。
黒と茶色のその建物は、微妙に変化し続けて、
そこに私は一人で立ちすくんだ。


時計を見たら朝の7時だ。
喉が痛い、体がだるい、悪寒がする。
これはまずい。本格的に風邪を引いた。
嗽をして、紅茶を入れた。
ふとさっき書いた電話番号を思い出した。
お姉さまのいうとおり、
「電話をしてみるとよい」気がした。
マフラーをぐるぐる巻きにして、
毛布にくるまって、番号を押した。

トゥルルル
トゥルルル
トゥルルル

繋がった。
向こうの声は聞こえるのに、
向こうには、こちらの声は聞こえないようだ。
「もしもーし」としばらく言い合ったが、
何だかその状況が半分おかしく半分切なく、
仕方なく電話を切った。

もう一度試してみたが、同じだった。

何だかよくわからないが心がさわさわした。
何だかよくわからないが涙が流れた。

しばらく布団に突っ伏した。
廊下に出てみる。
こんな朝はきっと雪が降っているに違いない。
予想に反して、外はまだ曇りだった。

こういう気分の時は、吉本ばななだと
思い出し、「サンクチュアリ」を読んだ。
彼女の作品を読むのは3作目だが、
初めて、主人公が男の人だった。
黒い海に向かって、形振り構わず泣く女、馨と
長い間涙が溜まってしまって出なくなった男、智明の
話だった。吉本ばななの本を読んでいるときは、
文字を読んでいるという感覚ではなく、
隣りでその主人公が、私に話しかけているような錯覚を覚える。
始めから終りまで私はそれを黙って聞き続ける。
なんの衒いもない鮮やかなまっすぐな言葉や表現は、
まるで、ゴーギャンの絵を観ているようだ。
それは南国の鮮やかさ。
登場人物を鮮やかな赤や緑で描いていく。
水彩ではなく、油絵。


サンクチュアリを読み終わって、
また廊下に出てみたら、予感は的中して
やはり雪がこんこんと降り始めていた。


そんな不思議な一日。
夢をよく見るが、これほどクリアに
覚えていて、それを文章にしてみると
面白いな。…って自己満足の世界。

錆がつかないうちに、風邪なおさにゃ。



今日の言葉*
「Wer rastet,der rostet」
(休む身には錆がつく)
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by sachiolin | 2007-10-22 08:28 | 読◇Fiktion