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わたしの心の風景メモ。 


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カテゴリ:道∺( 78 )

道≡ バシャール

あなたは「自分の進むべき道」の上に乗って歩くのではありません。あなた自身が、その道なのです。あながそこからはずれる、ということはできないのです。なぜなら、あなた自身が「道」だからです。


バシャール
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by sachiolin | 2014-10-07 16:14 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道 ≡ 野口晴哉

真直ぐ進めば良い
ふり返ることは要らない
ただ全力をもって動けば
後に悔いが残ることは無い
いつも 先は 坦々たる道が拓かれている
それが人生だ

野口晴哉
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by sachiolin | 2013-06-02 02:43 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道≡ 西郷隆盛 遺訓

西郷どん…

天を敬い、人を愛す
年頭に出会ったことば

≡≡≡≡≡

二四 道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。

二五 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを盡て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。


http://www.aozora.gr.jp/cards/001320/files/47885_31033.html

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by sachiolin | 2013-04-21 23:20 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道≡ 3月のライオン

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無理だよ
他人が説得しなけりゃ続かないようならダメなんだ
自分で自分を説得しながら進んで行ける人間でなければダメなんだ
プロになるのがゴールなんじゃない
なってからの方が気が遠くなる程長いんだ
進めば進む程道はけわしく
まわりに人はいなくなる
自分で自分を〈調整・修理(メンテナンス)〉できる人間しか
どのみち先へは進めなくなるんだよ


(3月のライオン)
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by sachiolin | 2012-02-20 15:44 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道≒原研哉さん

やりたいことがたくさんある時は、全てうまくいくとは限らない。
しかし、何かをやろうとすればその痕跡は残る。だから、
巧くやろうとするよりも、筋道をきちんとおさえておくことが大事。
ついにはやるのだとすれば。

(原研哉さん)
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by sachiolin | 2012-01-24 01:37 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道≡ 六道

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今日は法事だった。
落ち葉に囲まれたお墓をきれいに掃除した。
黄色い小さなテントウ虫がいた。
落ち葉の一部は、時を経て
本当に土に変わっていて妙に感動した。

きれいにお掃除をして、お花を活けて、お線香を焚いて、
南無阿弥陀仏と拝んだ。天国はどんな所かしら。お元気かしら。
どうか楽しく幸せで暮らしていますように。静かにお祈りした。


凜とした冷たい空気と、
太陽に照らされてキラキラしているお花と、
ユラユラ揺れるお線香の煙のなかで、
不思議な気持ちになった。
自分自身も浄化されていくような気がした。


お坊さんが、六道の話をされていた。
昔仏教について少し勉強していたのに
忘れかけていたから、wikipediaからメモしておく。

やはりぐっとくるのは、輪廻を単に空間的なことや死後の世界のことではなく、
今の心の有り様で地獄にもいくし、天界にも通じていると解釈していることだ。


心の有り様。心の持ち様。
日々の自分の心の浮き沈みも、迷いも喜びも、
確かに輪廻なのかもしれないな。

ぐるぐる巡っている、この毎日が、ある意味修行なのだろうな。


花を照らして下さったオテントウサマ、
黄色いかわいいテントウ虫も、
きっと天道からのご縁だわ。(些か強引)


ただ、演奏したり、芸術の世界に手を触れようとするときは、
この六道をあるがままにぐるぐると、共存させ、そして
なおかつきちんと操る必要があるのだろうなと感じる。

だから、タフでないといけないし、自分とじっと向き合う鍛錬が必要だ。

そう考えていくと、日々の生活や心がけが大切だし、何より、自分にとっては、
楽器を弾くことや、音楽に触れることが、修行なのだなと改めて感じる。

だってモーツァルトは、明らかに天国とつながっているし、
地獄への深い崖っぷちもありありと見えている。
シューベルトもそう。

天国と地獄を見つめながら
天使と悪魔を遊ばせながら、色んな世界を旅した彼らの音に直に触れられるのは
どんなに幸せで、ゾクゾクすることか。


引き続き、毎日を味わっていかないと。


お坊さんのお経と、お説教を聞きながら、
色んなことを思った1日だった。


≡≡≡≡≡


六道(りくどう、ろくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のこと。
天道(てんどう、天上道、天界道とも)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)
仏教では、輪廻を空間的事象、あるいは死後に趣(おもむ)く世界ではなく、心の状態として捉える。たとえば、天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態である、と解釈される。

≡天道≡
天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれていない。天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。

≡人間道≡
人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、仏になりうるという救いもある。

≡修羅道≡
修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。

≡畜生道≡
畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。

≡餓鬼道≡
餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。

≡地獄道≡
地獄道は罪を償わせるための世界である。

※地獄(じごく、Skt:नरक Naraka、音写:奈落)
仏教における世界観の1つで最下層に位置する世界。欲界・冥界・六道、また十界の最下層である。一般的に、大いなる罪悪を犯した者が死後に生まれる世界とされる。地獄は、サンスクリット語で Naraka(ナラカ)といい、奈落(ならく)と音写されるが、これが後に、演劇の舞台の下の空間である「奈落」を指して言うようになった。

日本の仏教で信じられている処に拠れば、死後、人間は三途の川を渡り、7日ごとに閻魔をはじめとする十王の7回の裁きを受け、最終的に最も罪の重いものは地獄に落とされる。地獄にはその罪の重さによって服役すべき場所が決まっており、焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあるという。そして服役期間を終えたものは輪廻転生によって、再びこの世界に生まれ変わるとされる。

こうした地獄の構造は、イタリアのダンテの『神曲』地獄篇に記された九圏からなる地獄界とも共通することがたびたび指摘される。たとえば、ダンテの地獄には、三途の川に相当するアケローン川が流れ、この川を渡ることで地獄に行き着くのである。

『古事記』には地獄に似ている黄泉国が登場する。ただし、『日本書紀』の中に反映されている日本神話の世界では、地獄は登場しない。代わりに恨みや果たせなかったのぞみなどを抱えたまま死んだ魂は、鬼となるといった物語は、菅原道真や今昔物語などのその例が見られるが、地獄に落ちてといったものはでてこない。


東アジアの仏教では、地獄の色は道教的に、あるいはその影響を受けた陰陽道的に「黒」で表す。餓鬼は赤、畜生は黄、修羅は青、この三色を混ぜると地獄の黒になると言われる。また、節分で追われる赤鬼、黄鬼、青鬼はここから来ている。



≡≡≡

このうち、地獄から畜生までを三悪趣(三悪道、あるいは三悪、三途)と呼称し、これに対し修羅から天上までを三善趣と呼称する場合がある。また地獄から修羅までを四悪趣と称することもある。
また六道から修羅を除いて五趣(五道)と称すこともある。初期仏教では、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上を五趣とし、修羅はなかった。つまり五趣の方が六道より古い概念とされる。これは当初、修羅(
阿修羅)が、天部に含まれていたもので、
大乗仏教になってから天部から修羅が派生して六道となった。したがって、これらを一括して五趣六道という。


≡歴史≡

仏教成立以前の古代インド思想を起源とし、原始仏教においてはさほど重大な意味を為さない。体系化が進行したのは後代と考えられる。
インド・中国起源ではないが、日本では11世紀ころ、六道の各々に配当された六地蔵が各所に祀られ、大いに庶民から信仰された


今日の言葉*

欲望は何を欲望しているか知らないから、欲望に「応えよう」としてはいけないのだと思う。欲望には、応えようとせずに、端的に「応える」のでなければならない。欲望を追わないこと。欲望の方に、追わせること。欲望が欲望しえなかった欲望を開示していくような、そういう生き方をしたいと思う。

(森田真生さん)
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by sachiolin | 2012-01-14 23:08 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道≒ 野口晴哉

「自分が至らないから、まだ人を救えないとか、
教えられないとかいう人があるが、至った人間など
昔から一人もない。ただ至らないままに人を導き、
教え、救っていると、だんだん至る道に近づいてゆく。 」

「異常を除いて正常であろうと考えている養生人は多いが、
問題は異常ではない。問題は異常の中に正常を保っている
体のはたらきである。それがどのように働いているのか、
それを確かめることに養生の道がある。」



野口晴哉
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by sachiolin | 2011-06-18 04:51 | 道∺ | Trackback | Comments(2)

道≒ 横尾忠則

自我と自己。
愛と情と愛情。

考えさせられます。



「とにかく自己ほど神秘的で謎めいた存在はない。これこそが人間であると思うよ。説明不可能な事象に科学のメスを入れたり、分析したりしなければならん理由などどこにもない。合理的な解釈が行われなきゃ行動できないというのは自我の崩壊に恐怖を抱いているせいだ。苦悩や苦痛の原因を生む自我が何ほどの価値を持つというのや。自己を愛するということと自我を愛するということは別問題だと思うがね。

もし本当に自己を真から愛することができるのなら自我を捨てることぐらい朝めし前でなきゃおかしい。自我を後世大事に守りながら、自己を愛するということは不可能に近い。芭蕉が俗界から足を洗って旅に出たのも真に自己が可愛かったからであろう。何ものからも束縛されず本当に自然の本源と一体になって真の自由の大海の中を悠々と抜き手を切って泳ぎたいと念ずるなら、芭蕉がしたように全てを放下(ほうげ)するより道はないのと違うか。永遠の真理の探究者になることを自己に約束するなら、自我を捨てることが最も近道だろう。

自分自身を完璧に愛することを躊躇していることは自我を愛していることである。自我を愛することは芸術家にとっては完全な神の意志の伝達者としての道具としては不完全である。とにかく難しい。何も芭蕉みたいに家族も名声も捨てて旅にでる必要はないけど、人は一度手にしたものを手離すということが、如何に難しいかということだ。一度手にしたものには情が移る。愛情ではなくて、情なのである。愛はその対象を解放して自由にしてやることができるが、情はその反対に抱きかかえて相手の自由を束縛してしまう磁性力がある。

多くの場合愛と情をごっちゃにしてしまっているはずだ。執着というのは愛ではなく情を指す。この執着が曲者である。われわれは愛と情の区別さえできないでいるように思う。子どもや妻に対する愛は本物だろうかと自問することがある。愛と言う名のもとで子どもや妻の自由を縛っているとすれば、それは愛ではなく情だ。天上界には親子の情愛というものはないはずだ。天上界では全て兄弟(姉妹)としての共存で満ちている。友だちのような親子関係が望ましいのだ。


日本人の美学の中に情を認める文化があるが、この美意識は危険なものであるとワシは思う。情をかけることによって相手が生かされるというのは実は大間違いだ。「情は人のためならず」とか言うじゃない。真に相手のことを思うなら、そこには自己犠牲の精神がなければそれにタッチすることを禁じるべきだ。情は相手も自分も同時に殺してしまうことになるからだ。」


(横尾忠則)
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by sachiolin | 2011-06-05 22:31 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道≡ 吉本ばなな

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「夜道を歩き出すと、クラクションを鳴らして彼の車が私の横を通り過ぎて行った。私は笑って手を振ったが、まるでチェシャ猫のように自分の笑顔だけが闇に残ったような気がした。
かたわらに恋人がいてもいなくても、私は酔って歩く夜道が好きだった。月影が街を満たし、ビルの影がどこまでも連なる。自分の足音と遠い車の音が重なり合う。都会の真夜中は空が妙に明るくて、どこか不安になり、どこか安心する。」

(吉本ばなな「白河夜船」)
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by sachiolin | 2011-02-14 17:50 | 道∺ | Trackback | Comments(0)

道≍ 村上春樹

「理解しあうのはとても大事なことです。
理解とは誤解の総体に過ぎないと言う人もいますし、
ぼくもそれはそれで大変面白い見解だと思うのですが、
残念ながら今のところぼくらには愉快な回り道をしている
ような時間の余裕はありません。最短距離で相互理解に
達することができれば、それがいちばんです。
ですから、いくらでも質問してください。」
「あなたは本物の蛙ですよね?」
「もちろんごらんのとおり本物の蛙です。
暗喩とか引用とか脱構築とかサンプリングとか、
そういうややこしいものではありません。実物の蛙です。
ちょっと鳴いてみましょうか?」

(村上春樹「かえるくん、東京を救う」より)
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by sachiolin | 2010-09-04 21:02 | 道∺ | Trackback | Comments(0)