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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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2009年 09月 09日 ( 1 )

最近は朝晩は随分と冷え込むようになった。
コートを着ないと、寒いほどの日もあるくらいだ。
日中は夏のように暑くて半袖で過ごせても、
オペラの仕事をして帰ってくると、23時を回ることも
多いので、最近は、服装に気をつけている。

ドイツに来てから、お肌の調子が悪い。
このひどい乾燥だもの、仕方もあるまいとも
思うのだが、ピンポイントに、目の上のところが、
かさかさしていて、困っている。最近なんか顔が
変わったなぁ、目が小さくなったなぁと思うのに
それに加えてこの乾燥で、かさかさ感、プラス
目が腫れぼったくてブルーになる。
もともとアトピー体質なのだが、その記憶が蘇るようだ。
先日、手の痛みが再発し、嫌な記憶を、
体が思い起こして、そちらに、ずりずりとひきずられた。
それに伴い、心までずりずりとひきずられた。
あれは、実に不思議な感覚だった。
形状記憶シャツみたいに、体というのも、
そういう記憶をどこかで持っているのだと確信した。

嫌な記憶を、ぬぐい去ることは、きっとできないからこそ、
こういうときは、新しい感覚、新しい記憶で、
新しい体を整え、作り治し、新しい風を自分の中に起こすのが、
大切なのだと思う。演奏家というのは、つくづくスポーツ選手と
同じだと感じる。体を整える事、体と会話する事、それが常である。

食べることも、もう少し気をつけねばと思う。
よい材料を使って、自分で作る料理が、やはり一番体にいい。
料理は、得意ではないけれど、自分のためにも勉強していきたい。

如何せん、ドイツにいると、不思議と、脂分をとりたくなる。
これだけ乾燥していると、やはり体がそういうものを
自然と本能的に求めるのだろうなと思う。
チョコとか、チーズとか、そういうものは日本では
そんなに食べないのに、こちらだと気づくと手にとっている。
その地で生きていれば、風土に合った食べ物を、
体に必要なものを、人間は自然にとろうとするし、それが正しいと思う。
でも一方で、いくらドイツに暮らしていようと、
日本人であることを忘れてはいけないとも思う。
やはり、ご飯にお味噌汁、というスタイルで、
きちんと自分の軸を戻す事をしないと、体がいつか悲鳴を上げる。
ドイツ食だけでもだめだし、日本食だけでもだめ。
なんでもバランスってもんが大事だ。

昨晩はそんなわけで、段ボールの中から、
インスタントのしじみ汁なぞを発見し、
夜な夜なひとりで味わった。
これぞ至福の時。
ごくりとお味噌汁を口に入れた瞬間、
すーーっと体が癒されるのを感じた。
「嗚呼、我、日本人なり。」

しじみ汁を味わった後、絵が描きたい気分になって、
久しぶりに、クレヨンと画用紙を引っ張り出した。
小一時間。夢中になって色を重ねた。
久しぶりすぎて、いまいち調子が出なかったけど、
出来上がった花瓶を見ながら、今の自分とゆっくり会話した。
なんか、すこし、すっきりした。最高の気晴らし。また、描こうっと。


今日の言葉は、野口晴哉語録より。
本当にこの方はスゴイ方だなと、思う。
言葉がまっすぐで、ど真ん中直球で、
時を超えて、ずどーんと心に響く。
何を以てして「健康」というのか、「生きる」というのか、
「死ぬ」というのか、よくよく考えさせられる。
風邪の効用は、おススメの本。


今日の言葉*

「養生とは無事を保つことではない
養生は無理を無理なく用うることだ
無理のない養生は不養生の一つだ
護ることもとより大切だが 鍛えることはもっと大切だ
鍛えるということの出発点は心にある
行為そのものに鍛えるということがあるのではない

断食して丈夫になる人あり 餓死する人あり
食いたくとも食わぬ人には断食は健康法になり
食いたいのに食えぬ人は餓死する
生と死の境『わ』と『え』のみ
養生の第一歩は心の『わ』と『え』を切替えることにある
『え』から出発した如何なる行為にも鍛えるということは含まれてはおらぬ
『わ』から出発した如何なる行為も人間を鍛える」

(野口晴哉)
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by sachiolin | 2009-09-09 21:25