2011年 08月 08日
道 ≡ 養老孟司さん
死ぬとは身体の道連れにされるということです。そうすると、「共同幻視論(※吉本隆明)」という言葉の意味もよくわかってくる。つまり脳はほかの人と機能を共有しているのです。たとえば日本語は共有できるわけです。心臓の機能は共有できないから移植するしかないんだけど、共有部分をどんどん増やすことが社会の目的の一つなんですよ。
書いたものを残すなり何なりすると、本人は死んでも一応脳の一部は残っている。そういう形で共有可能なものをできる限り増やそうという方向に拡大するんではないかという気がするんです。
そうすると逆にいえば、死ぬことを運命づけられているわれわれを、社会が救ってくれるわけで、そういうふうに脳は自分自身を拡大したものとしてまず社会をつくる。
(養老孟司さん「脳と生命」)
by sachiolin
| 2011-08-08 13:06