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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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観□ レンブラントと写楽

昨日はレンブラント、今日は写楽を観た。

すごい人で、人に酔った。
絵のエネルギー+人のエネルギーで、
見終わったら、見事にフラフラになった。
そういえば、日本の美術館ってこうだった
そうだった…と、フラフラになった。

みんな、熱心に真剣に見ていて、
なんだか、妙に感動してしまった。



レンブラントは、当たり前なのだけれど、
絵が、ものすごくうまかった。笑。 

生地の手触りや光沢、髪の毛のやわらかさまでが、
分かるようで、鳥肌が立った。目の前にあるものが
目の錯覚、絵具の重なりとは到底思えなかった。
なんか違うものも、あの間には重なってる。

ものすごい。本物のすごさ。

今回は、版画をたくさん展示してあった。
昔見たデューラ―の版画と違って、
レンブラントの版画は、湿気を感じた。
海が近いところに住んでいた、というのを感じた。
手法の違いは勿論だが、風土がつくりだすものも感じた。
オランダのどこまでも平たい土地と、水がそばにある
風景を、思いだした。和紙も利用していたとは、知らなかった。 
音楽にとっての空気(沈黙)が、絵にとっての紙。
乾燥した空気だと音がよく飛ぶのと同じで、
紙を選ぶことで、絵の表情もぐっと変わる。


それにしても、西洋美術館の常設展は、必見である。
いつもガラ空きで、拍子抜けしてしまう。
今回は、「奇想の自然ーレンブラント以前の北方版画
という企画展もやっていて、とても面白かった。


ルーベンスやルノワールの描く女性像が、
昔からずっと苦手だったのだが、今回初めて、
いいな、と思ったので、自分で自分に驚いた。
きっと自分の中で変化が起きている。 
マネは相変わらず大好きだった。
ボナールもとても好きだった。

男も女も、それぞれに、男なるもの女なるものを内に抱えている。
絵にしても、私はどこか中性的なものが、昔から好きだった。
たとえば、マネの絵は、男のなかの女なるものが響いている。
多分だから、彼の描き出す女性は、いつも惹かれた。

ルーベンスやルノワールの女性の絵を見ていると、
「男のなかの男なるものから見る女性性」が迫ってきて、
それが嫌だった。コンプレックスだったのだろう。
そこには、「男にしかわからない女のある部分」が
描かれているのだと思う。それは、女である私には、
決して分からない部分であり、それは闇のような
ところでもあり、こわかったのかもしれないし、
深層心理では、それに憧れていたのかもしれない。
コンプレックスと憧れ、嫌いと好きは、表裏一体である。


今回は、その部分を素直に、よいなと思えた。
そのことに驚きもし、少しうれしくもあった。




写楽は、大胆かつ繊細で、バランス感と距離感がすごかった。
絶妙すぎだ、あれは。黒い色の占める割合とかも絶妙で。 
ひとりひとりの個性とかキャラクターをとらえすぎていて、
1割増しきれいに描いておくっていうゴマスリ(?)を、
完全に忘れている感が、最高だった。そこに、
ブロマイド製作の言うなれば「職人」という枠を
一気に壊して、飛び越えて「芸術家」となってしまった
写楽の写楽たるユエンを垣間見ているようだった。

それにしても、「顔」というのは、面白い。
眉、目、鼻、口。この4つの配列、要素だけなのに、
ほんの少しでも、位置とか長さとか大きさが違えば、
全く違った表情になる。これだけ沢山の人がいるのに、
みんな違う顔なのだ。違うと感じるのだ。すごいことだ。
特に、東洋人は、西洋人にない、表情の豊かさがあると思う。

「表情」って「情が表に出る」ってことかもしれない。


10か月で146作品ってことは、ほぼ2日に1作品を
描いたことにあんる。すごいなー写楽さん。

それだけ集中して描いているのに、詰まり過ぎていなくて、
アソビがある感じがすごい。自由でカラッとしていて。
何百年経っても、「新しい」と感じてしまうのが、本物の証拠だ。


146作品中、142作品を展示しているってすごい。
よく世界中から集合させたものだ。レンブラントの世界に比べて、
浮世絵の世界というのは、なんとも「しっくりくる」感じが不思議だった。


今週は、美術館週間にしていて、週末は、
藤代清治さんの自宅スタジオ展に行く予定。
太田光さんの「マボロシの鳥」の原画も楽しみである☆ 



今日の言葉*

「私たちは、食べるために生まれてきたのではなく、
もちろん金のためでもなく、楽をするために生まれてきたのでもなく、
子孫を残すためでもなく、長生きするためにでもなく・・・・
自分の情熱を燃やすために、向いていることをこの人生で
やりつくすために生まれてきたのではないだろうか。 」

(よしもとばなな)
by sachiolin | 2011-06-10 03:19 | 観□Bild