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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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今日の言葉+2010年++2/2

ちょっと自分で自分の日記を
読みなおしていて、ひさしぶりに、
今日の言葉*を整理。整理してみたら、
かなり長くなった。。。



「あい  口で言うのはかんたんだ
愛  文字で書くのもむずかしくない
あい  気持ちはだれでも知っている
愛  悲しいくらい好きになること
あい  いつでもそばにいたいこと
愛  いつまでも生きてほしいと願うこと
あい  それは愛ということばじゃない
愛  それは気持ちだけでもない
あい  はるかな過去をわすれないこと
愛  見えない未来を信じること
あい  くりかえしくりかえし考えること
愛  いのちをかけて生きること」

(谷川俊太郎「あい」)



「ユーモアを一枚の紙にたとえると、上質のむなしさと、
気品のある楽天主義とが表裏をなしている。そのはざまで
弾けるのがユーモアで、洒落や冗談とは違う。」

(司馬遼太郎)



「自分を殺して、作り物の自分みたいなものを
そこに築いて、与えなきゃならない」

(手塚治虫)



「一日一日を、たっぷり生きていくより他は無い。
明日のことを思い煩ふな。明日は明日みずから思ひ煩はん。
今日一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮らしたい。」

(太宰治「新郎」より)



「わたしは、一日に100回は、自分に言い聞かせます。
わたしの精神的ならびに物質的生活は、
他者の労働の上に成り立っているということを。」

(アインシュタイン)



「二人はりんごをたいせつにポケットにしまいました。
川下の向こう岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には
熟してまっかに光る丸い実がいっぱい、その林のまん中に
高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルや
ジロフォンにまじってなんとも言えずきれいな音いろが、
とけるようにしみるように風につれて流れて来るのでした。」

(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より)



「物質に身を捧げるのは魂を擦り切らせること。
精神のなかに自分を見出すのは人間を結びつけること。
人間のなかに自分を見るのは、世界を建設すること。 」

(ルドルフ・シュタイナー)



「仕事というものは結果からいえばその人の生活手段であるが、
手段だと思ってその仕事をすることは悪い。仕事は目的である。」

(志賀直哉)



「肝心な点は、感動すること、愛すること、
望むこと、身ぶいすること、生きることです」

(ロダン)



「素晴らしい評価でも最悪の評価でも、
評価は周囲がするものであって、
自分自身が出した結果でも、示した方針でもない。
自分の姿だけは絶対に見失ってはいけないと思っているんです」

(イチロー)


愛おしい人がいて、その人からも愛おしいと思われて、
気持ちがお互いを見ていて、大事な何かを常に交換している。
これが奇跡的な男女のゴールだとしたら、出会いとか別れとか、
片思いのトキメキとか、全てはその周りの付属品でしかないのかもしれない。
結婚でさえも。もし今、そのただなかにいるなら、2人の関係の過去や
未来については、何の後悔も、未練も、悲観も、哀しみも、必要ない。
2人の気持ちがいつか変わっていって、2人の関係も変わっていって、
それは当たり前に起こることだし、2人がもし一緒になっていたとしても
それは起こるのだけど、今その瞬間の事実だけは、大切に守らないと。
心はそのためにある。

(れいこちゃん)







「人は、なおす気がないのか。なおすことを、放棄しているのか。
しかし、自然は、なおすことで成り立っているのだ。
水が汚れたら、海がなおして、空にのぼって、
雨が降って、土を通って、きれいになる。」

(小沢健二「うさぎ! 沼の原篇 初期 第一話から第六話」)




「夫故物理ハア・プリオリト云ッテ先天ノ理トシ、
心理ハア・ポステリオリト云ッテ後天ノ理ナレバ
先ヅ先天ノ理ヲニテ人間ト云フモノガ出来テ、
其二元ニ就テ後天ノ心理ガ自然ニ就テ後天ノ心理ガ
自然ニ備ハル故ニ之ヲネセシテイト云ッテ、
已ムヲ得ザルニ出ヅルノ理ト申スデゴザル

(したがって、物理は、ア・プリオリといって先験的な原理であり、
心理はア・ポステリオリといって後験的な原理なのである。
まず、先験的な原理である物理法則によって 
人間の身体が構成され、その人間に後験的に
心理が自然に備わってくる。このことを、ネセシティ、
すなわち、必然的名因果関係というのだ)」

(西周(あまね)
::竹内薫+茂木健一郎「異端の脳がホンモノ!」より )




「人は脳によってのみ、歓びも、楽しみも、笑いも、
冗談も、はたまた、嘆きも、苦しみも、悲しみも、
涙のでることも知らねばならない。特に、われわれは、
脳あるが故に、思考し、見聞し、美醜を知り、
善悪を判断し、快不快を覚えるのである」

(ヒポクラテス :: 時実利彦「人間であること」より)



【Yesterday is history.Tomorrow is a mystery.
Today is a gift. That's why it's called the present 】 



「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」

(井上ひさし)



「いいかお前たち。常識を壊すってことは、
明日からまともに電車にも乗れなくなるってことだよ。
それで悩むだろ。でも僕らは永遠のいのちを手に入れようと
してるんだ。それにくらべて、30年や40年の悩みなんて、
どうってことはないだろ。」
「どうして人は戦争なんてしてひっどい殺し合い
なんて醜いことをするか知ってるか? この世界に
これっぽちも希望がないからだよ! くっだらない科学や
芸術や哲学が、嘘ばっかりの世界をつくってきたんだ。
いいかお前たち。僕らは死なないんだよ?」

(荒川修作 )



「でもね、宇宙から見れば、わたしたちはちっぽけで、
長い目で見たら、人生はいつもプロセスで。
昇ったり降りたりしても、常に途中でしかない。
素敵な人たちと出会えたこと、そして、
そのつながりを保っていけることだけでも、
ほんとうに、宝なんだから。」

(すみきちブログより)



「大切なのは、人間の内面の悪の中に身を置くことです。
破壊のかまどの中で物質が破壊され、物質がカオスに
帰せられるとき、そしてこの内面の破壊衝動に道徳衝動が
注ぎ込まれるとき、私たち自身の中で、霊的な存在が
芽を出し、育ち始めるのです。」

(ルドルフ・シュタイナー)




「世人は常に自己の正面を見る。私は目を内部にかえす。
そこに据えてじっと離さない。各人は自己の前を見る。
私は自分の内部を見る。私は、ただ私だけが相手なのだ。
私は絶えず私を考察し、私を検査し、私を吟味する…」

(モンテーニュ ::時実利彦「人間であること」より)



「思想だけがあって感情がなければ、人間性は失われてしまう。
必要なのは知識でなく思いやりである。思いやりがなければ
残るのは暴力だけである。」

(Charlie Chaplin)



「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。
遊は絶対の自由と、豊かな創造の世界である。
それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、
人もともに遊ぶことができた。神と共にというよりも、
神によりてといべきかも知れない。」

(白川静「文字逍遥」より)



「ニーチェが言っているように、再考の善なる悟性とは、
恐怖を持たぬことです。片桐さんにやってほしいのは、
まっすぐな勇気を分け与えてくれることです。
友だちとして、ぼくを心から支えようとしてくれることです。
わかっていただけますか?」

(村上春樹「かえるくん、東京を救う」より)




「終わりと言うものは無い。始まりと言うものも無い。
人生には無限の情熱があるだけだ。始まりと思うのも自分、
もう終わりだと思うのも自分。」

(フェデリコ・フェリーニ)



「涙が目の本質であって、視覚ではない。」

(ジャック・デリダ)



「新しいことはどれも実証できません。
火花のようにパッと光って消えてしまう。
そのしっぽをつかみ、創造に結びつけるのが考えることなのです。」

(外山滋比古)




「視界が曇っていても、覚悟を決めた瞬間、くっきりと晴れ渡るという経験は、誰にでも一度や二度はあると思う。視界を曇らせている原因は、外的環境ではなく、きっと自分の内側の濁りなんだろう。いろいろなことを知り、考えて、分別臭くなることは避けられなくても、畢竟、一度限りの人生。 」

(佐伯剛さん)




「日本の物語はまさしく「もの」について語っている。あるいは「もの」が語っているのだとさえ言える。このときの「もの」は西洋の物質とまったく異なり、事物から人間のたましいまでも含む広範囲にわたる存在である。それは、ある意味における「現実」であり、昔の日本人は「現実」をそのまま語るのが物語と思ったかもしれない。しかし、それは今日的に見れば物語を展開させる「装置」を沢山もっているのごとく見えるわけである。」

(河合隼雄)




「小説を書くというのは、黄泉の国へ行くという感覚に近い感じがするのです。それは、ある意味では自分の死というのを先取りするということかもしれないと、ふと感ずることがあるのですね。」

(村上春樹)



赤ん坊は、根拠のない自信に満ちている。ハイハイするときに、
「できるかな」などと思わない。伝い歩きをするときに、
「今日は調子が悪いから明日にしよう」などためらわない。

大人になるにつれて、人は根拠のない自信を失う。
それで、何かをしないことの言い訳ばかりうまくなる。
他人に対しても阻害する。君はそう言うけどね、
一種の理想論であって、現実はなかなか厳しいよ、などと言う。

根拠のない自信を持つ人は、他人に対しても根拠を求めない。
それが、自由な空気を醸成するのだ。根拠のない自信を持て。
偶有性の海に飛び込め。思いきり泳げ。裏付ける努力をせよ。
他人にも、根拠を求めるな。今までのあなたは、寝転がっているだけだ。
まずはハイハイをせよ。それから伝い歩き。立ち上がって歩け。
やがて、走り出せ!

(茂木健一郎)



「どのように執筆するか?ぼくには師も作家仲間もいなかったから、
自分で独自のシステムを作らざるを得なかった。大事なのはリズム。
メロディーでもハーモニーでもなく、リズム。」
「ページをめくるまで何がおきるのかわからないのが
読書の楽しみ。書き手としてもこの楽しみを味わっている」

(村上春樹)



シャープで繊細なだけでは遠くまで届かない。より多くの人々の感覚の奥底にまで何かを届けるには「鈍み」が必要。切れ味ではなく、鈍器で断つ。スピードと力と間合いをもって強靱に無数の感性を突き抜け突破していく「鈍み」。

(原研哉さん)



「美しい」ってなんだろう。
美しい花、美しい人、美しい心、美しい絵。
世の中には、ホントにいろいろな「美しい」がある。
しかしこんなことは言えると思う。
「美しい」ことは、かならずしも「キレイ」であることではない。
「美しい」ことと、高価であることは別である。
「美しい」ことは楽しいことではあるが、
しばしば心底悲しいことにもつながっている

(森村泰昌)




「まあ、人間みんなリバーシブルだよね。
表があれば裏がある。裏があってこそ表が在りうる。」

(宇多田ヒカル)



「結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは
自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものではない。
そして欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを、
自分できっちりと認識するしかない。」

(村上春樹)






古代人にとって、朝日というものは、実は死の国を通って
生の国に甦った太陽を意味します。二見浦(三重県)から出る
朝日を日本人はたいへん愛して崇拝の対象にしたのですが、
二見浦というのは実は門なのです。死の国から生の国に通ずる門、
そして二つの岩のあいだの注連縄(しめなわ)は生の国と死の国との
境界なのです。だから朝日は死の国から生の国に甦った太陽で、
朝というものは、これは夕方と同じように古代人にとって、
あの世の霊がこの世に現れるときなのです。人間とそういう怨霊とが
出会うときが朝であり夕方である。どうも日本の古代人にとっては、
夜が一日の本質であったようです。

アイヌ語で「夜」のことを「アン」と言います。
「アン」というのは存在することです。つまり「アン」が一日の本質で、
夜明け方を「アンケシ」、「アン」の終わりと言います。
明けの明星の「アケ」はこの「アンケシ」が縮まったものと思います。

夜の終わりが実は朝ですが、朝は魑魅魍魎がまだいっぱいうろついている
時刻だというふうに考えられたのです。そして桜花というものも、
実は日本人にとって、たまゆらに咲いてたまゆらに散っていく不気味な花です。
桜の花の下には何か怨霊がうごめている、そういう花だったのです

(梅原猛「あの世と日本人」)



'It is not the strongest of the species that survive,
nor the most intelligent but the ones the most responsive to change.'

(Charles Robert Darwin)



「音楽は徳の法である。それは宇宙に魂を与え、心に翼わ与え、
想像を飛翔させる。また悲しみに魔法をかけ、万物に快活さや
生命を吹き込む。音楽は秩序のエッセンスである。音楽は
真善美であるところのすべてのものへと導く。それは不可視的だが、
眩惑的で、熱情的で、永遠の形態である」

(プラトン)



「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。
不可避のものが君の上にかかっている。 
生きているうちに、許されているうちに、善き人たれ。」

(マルクスアウレーリウス「自省録」神谷美恵子訳)




古代社会では口に出したコト(言)は、
そのままコト(事実・行為)を意味したし、また、
コト(出来事・行為)は、そのままコト(言)として
表現されると信じられていた。それで、言と事は未分化で
両方ともコトという一つの単語で把握された。
 ところが奈良・平安時代以後になると両者は次第に
分化してきて、「言」は「コト(事)のすべてではなく、
ほんの端にすぎないもの」を表す「ことのは」、
「ことば」として事から独立するようになった

(木村敏「時間と自己」 )




「いっぽんのその麦を 
すべて過酷な日のための 
その証しとしなさい 
植物であるまえに 炎であったから 
穀物であるまえに 勇気であったから 
上昇であるまえに 決意であったから  
そうしてなによりも 収穫であるまえに 祈りであったから 
天のほか ついに 指すものをもたぬ 
無数の矢を つがえたままで ひきとめている 
信じられないほどの しずかな茎を 風が耐える位置で 記憶しなさい」

( 石原吉郎「麦」)




ほんとうに人を愛するということは、
その人が一人でいても生きていけるようにしてあげることだ。

(三浦綾子「道ありき」)




1.物事の関わりと人の行動原理を理解しよう。そうすれば、
 自分が何をなそうとしているかも理解できる。
2.自らの行いは価値ある目標へと向けよう。
 ただしそれに到達できるかどうかを問うてはならない。そうした行いは
 規範や実例となるものであって、目標と取り違えてはならない。
3.それがどのような影響をもたらすかを鑑みることなく、すべての人に
 自分自身へと語るように語りかけよう。そうすれば、人々を自らの世界
 から締め出し、孤独の内に人生の意味や、完全な創造性への信念を
 見失ったりしないだろう。
4.自らが創造できないものを破壊してはならない。
5.空腹でない限り、料理に手をつけてはならない。
6.自らが持てあますものを欲しがってはならない。
7.必要もなしに嘘をついてはならない。
8.子供を尊ぼう。敬意をもって彼らの言葉に耳を傾け、限りない愛情をもって語りかけよう。
9.6年の間は仕事に打ち込もう。ただし7年目には、おのれ一人となるか、
 見知らぬ人々の下へと歩みだそう。そうすれば、友人たちの思い出が自らが歩んできたことを
 妨げることはない。
10.人生を気楽にすごし、声がかかったときにはいつでも旅立てるようにしよう。

(レオ・シラード ::wikipediaより)




理論(theory)の語源はギリシャ語の「見ること(テオリア)」である。
西洋では、見ることがそのまま捉えること、理解することを意味する。
そしてこれが単に客観的観察を本領とする自然科学だけでなく
哲学をも含めた学一般の基本姿勢なのである

(木村敏「時間と自己」)
by sachiolin | 2011-05-27 01:23 | 今日の言葉+Wörter