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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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ウソをつかない力、つかせない力。

あと10時間くらいしたら、ドイツに帰る。

帰るというのが正しいのか、
行くというのが正しいのか。
毎回わからなくなる。

行ったり来たり。
出発したり到着したり。


帰るところがあるというのは、
どんなに幸せなことだろう。
居場所があるというのは、
どんなに幸せなことだろう。
笑顔で迎えてくれる人がいるというのは、
どんなに幸せなことだろう。


移動するたびに、
二つの故郷を行き来するたびに、
しみじみと、そう感じる。







東京駅の人ごみの中で、
新宿駅の人ごみの中で、
渋谷駅の人ごみの中で、
絶え間なく行き来する人々に、
半分眩暈を起こしながら、
呆然とした。

無数の人の顔が、次から次へと、
目の前をものすごい勢いで通り過ぎていく。
ぶつからないようにと、必死で歩いていると、
まるで、それは反射神経を鍛えるゲームのようで、
命と魂のある生き物同士の会話は、まったく見当たらない。
大量の人の顔が、私の中をすり抜けていく。
悲しい顔の人、幸せな顔の人、美しい顔の人、怒っている顔の人。
残像現象のように、しばらく残っては、あっという間に消えていく。


毎日これほどの人とすれ違っているにも関わらず
一生すれ違わない人の方が、圧倒的多数なのだ。
そのことに、その事実に、しばしまた呆然とする。
ものすごい確率で、人は人に出会い、
自分の知らない扉を開けていく。
たくさんの鏡と出会って、たくさんの自分を映し出す。
ほんものの鏡と出会って、ほんものの自分を見つけ出す。



「ウソをつかない力」という言葉をふと思い出す。

大江健三郎さんの「『新しい人』の方へ」という
大好きな一冊に書かれていた言葉だ。
家に転がっていたので、読み返す。

子どものために書かれたこの本は、
大江ゆかりさんの優しい絵とともに、
じんわりと、心の隅々まで温かさが浸透してくる。



自然な生き方として、「生きる習慣」として、
ウソをつかない勇気をきたえられるとか、

強い人でウソをつく人が一番困る。
弱い人であるために、必要のないウソをつく人もいるとか、

自分が自分に持っている「誇り」。
『誇り」をなくした大人がウソをつき始めるととめどがないとか、

そういうお話にいちいち納得させられる。
最後にこう締めくくられている。
ここが私の心に特別かつーんと響いた一節だ。


「信仰を持っている人たちなら、心の中にある神さま、
仏さまを裏切りたくない、と思われるでしょう。
はっきり信仰を持っていなくても、やはり自分のなかに、
そのように大切なあるものを持っている人は多いはず。
もっと一般的に、これまで会った先生や家族や、先輩、
友人のなかに、あの人に対して恥ずかしいことはできない、
と思う人があるはずです。
小さいことであれ、自分がウソをつきそうになる時、
ほんの短い間でいい、口をつぐんだままでいるのです。
そして、あの人がいま自分を見つめているとして、
このウソをついていいか、と考えてみることです。
・・・
そういう人たちを具体的にしっかり持っているのも、
ウソをつかない力をたくわえることです。
こういう人たちのことを思いながら確かめると、
自分のなかの「誇り」ははっきりしてきいます。
人生の終わりに、心から、ありがとう、さよなら、と
私がいいたいのは、これらの人たちに向けてです。」



満員電車に乗りながら、この「ウソをつかない力」に
ついて思いだしていた。ウソというのは、多分、
自分というのの半歩先を勝手に透明に歩きだす。
それを自分があとから追いかける。
ウソをついてしまうかしまわないかの境界線は
きっと案外微妙で、だからこそ、危険でもある。
透明だったウソに服を着させて
本物のウソにしてしまうかしないかは、
ちょっとした気の迷いだったり、
ちょっとした怖さだったりするのかもしれない。
別に援護するつもりはないが、
今クスリ問題で騒がれている女優だって
きっとそんなつもりはなかったのに、
ウソがウソを呼び込んで、洋服をぐるぐる巻きにして、
彼女自身の体が見えないほどになってしまったのかもしれない。


ウソをつく力は、誰しもが持っているのだろうからこそ、
ウソをつかない力を自然と身につけること、
ウソをつかせない力が周りに存在することは、
その微妙な位置に立つ、人間というこの微妙な生き物にとって
まっすぐに生きる力を与えるのだと思う。


「誇り」と呼べるもの。

ちっぽけな私には、そんな大きいものは、
見当たらない、見つけられない、
そう思っていたけれど、誇りっていうのは、
自分の心の芯をじーんと震えさせる人たち
そのものなのかもしれないなぁと最近感じる。

「人生の終わりに、心から、
ありがとう、さよなら、と言いたい人たち」


今までも、そして、今現在も
私を見えない力で支えてくださっている
「そういう人たち」を思いながら、
満員電車の中で、人ごみの中で、
心の芯がじーんと震えて
ありがとう、と心の中で叫んだ。




今日の言葉*
「仕事を始める時には、十人のうち二,三人が
 賛成する時でなければならない。一人も賛成者が
 いない時では早すぎるが、十人のうち、五人も
 賛成するような時では、着手しても、
 すでに手遅れである。」
(大原総一郎)
by sachiolin | 2009-08-24 03:32 | 思〇