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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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帰ること、動くこと

山登りをしたときも、映画「砂の女」をみたときも、
ゆらゆらと満員電車に揺られているときも、
そこはかとなく「帰ること」というテーマが、
自分の頭のなかで、蠢きつづけている。





山登り。
本格的に初めて体験し、山登りという言葉は、
山下りも含んでいるのだという当たり前のことに
気づいた。天候が非常によくなかったこともあって、
今この一歩を進んだら、帰りの一歩が必要になるのだ、
つまり、一歩は二歩を意味するんだと気づいて、驚いた。
普段はそういうことを考えることもなく
無意識に一歩を増やしていく。
朝が来れば、また新しい一日が始まって、
ゼロから一歩が始まって、一日が終わると
たまった歩数が一応精算されて、また次の日ゼロから始まる。
私がイメージしていた、生から死への道、人生、というものは、
まっすぐの一本の道がずっと目の前に続いていて、
それを休みながらも、立ち止まりながらも、ひたすら
一歩一歩前に進んでいくというカタチだった。
嵐もあるだろうし、坂もあるだろうし、周りの景色も変わるだろうけれど、
それはずっと直線で、死というのは、いつか来るであろうゴールラインを
踏むことなのだろうと。一歩進んだら、何歩下がろうと、道になっていて、
悩んでも立ち止まっても、結局またそこをまっすぐに歩んでいくしかない。
漠然とだけれど、そういうイメージだった。

山登りも、実際はそういうことの積み重ねなのかもしれないが、
日常生活で感じ得るものとは全くちがった。
山登りは、頂上が目的地だと思っていたけれど、
やはり家が、帰るべきところに帰ることが、
もしかしてゴールなのかもしれないとも思った。
視点が違うことで、見えてくるものが違った。
行って帰るということは、どういうことか?
頂上、折り返し地点、とは一体なんなのか?
そんなことをずっと考えている。
ただ前にある道を一方通行でまっすぐに進むこと、
死に向かって歩いていくことが、生きることだと
安直に考えていたから、余計にそのテーマが
自分にとって新鮮に、蠢く。

そもそも「帰るところ」があるってすごいことだと思う。
「ホーム」とは一体なんだろう。



砂の女。
すごい話だ。非現実的だけど、無きにしも非ずとどこかで思わせる。
フィクションなのだけど、ノンフィクションに片足つっこんでいるような
感じで、これぞリアルフィクションだと思った。
砂の女にとっては、帰るところは、動かない。
引っ越しもしない。動いているのは、砂ばかりである。
その砂に人が動かされる。考えてみると、あれだけ懸命に
労働しているのに、実際に起きていることは、砂が移動している
ということだけなのだ。砂自体は減りもせず、増えもせず、移動している。
今日も増えたと人間が思うだけで、実際は砂は動いているだけなのだ。
それがなんとも恐ろしい。極小の静の粒が、極大の動の生き物となって、
すべてを飲み込んでしまう。砂にとっては、帰るところも戻るところも
ないのかもしれない。風に吹かれて、水に流されて、動き続ける。
女はそれに動かされ続ける。労働をする。
名を残すためでも、業績を上げるためでもなく、
生きるために、静かに労働をする。淡々と労働をする。
男も砂に動かされ始める。女に動かされ始める。
何のためにここに来たのかも忘れてきて、
本当の自由というものを、最後の最後に見つけ出す。

生きるも死ぬも、本来は無目的なのことなのかもしれない。
何かのためにがんばるとか、何かのために生きるとか、
そういうことは通り超えたところに、野生の「生」が
潜んでいて、静かな「死」が待っているのかもしれない。


人があふれる駅のホームで、ふと思った。
これだけの人が、今日も動いて、働いて、
それはまるで動き続ける砂のようでもあるし、
動かされ続ける男や女のようでもあった。

自分という人間も、この大きな宇宙の
砂の一粒なのかなと鳥肌が立った。

帰るところは、どこだろう。


今日の言葉*

「『知る』と『信じる』は両立しないんだと気づいた。
知ってしまうと、信じることはできない。子供が『信じてよ』
という未来を信じてやれないのは、子供についてなにも
知らないことよりも、ずっと悲しくて、悔しい。」

「やっとわかった。信じることや夢見ることは、
未来を持っているひとだけの特権だった。
信じていたものに裏切られたり、夢が破れたりすることすら、
未来を断ち切られたひとから見れば、それは間違いなく
幸福なのだった。」

(重松清「流星ワゴン」)
by sachiolin | 2009-08-04 01:52 | 考〇