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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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鳩のそれ。

一年に一回か二回、道端でそれに会う。
会うたびにドキッとする。
会うたびに反射的に目をそらす。
それにも関わらず、そのことを忘れて
なぜかまた同じ道を歩いてしまったりする。
そしてまたドキッとして目をそらす。

大抵は鳩のそれだが、たまに
ハリネズミのそれだったりする。


おとといもそれに出会った。
気が向いて、たまたまいつもとは
違う坂道を選んで自転車を走らせていた。





それは、どぎつく、しかも突然
自分の前に現れる。
自転車で走っているので、余計に
ほんの一瞬の出来事なのだが、
それは、私の脳を一瞬麻痺させる。
そのグロテスクな姿は、あまりに強烈だ。
死ぬということの縮図が、コンクリートの
平面上にウソみたいに薄っぺらく
ウソみたいに濃縮されてそこにただ存在する。

それは動かない。それは笑わない。
それは泣かない。それは悲しまない。

車に轢かれてしまったのだろう。
一瞬の出来事だったのだろう。
明日には清掃されてしまうのだろう。
歩く人は忘れてしまうのだろう。
また日常が戻るのだろう。


たとえば、世界のあちこちで
いたみ悲しまれている有名歌手の死と、
たとえば、ある町のある歩道で
誰もが早く掃除してほしいと無くなってほしいと
ただ気持ち悪がられている鳩の死と、
たとえば、ある山の静かな土の上で、
誰にも見られることなく
ただ死んでいく一輪の野の花の死と。

いったいどれがほんとうに
ほんとうの死なんだろうか。

命というのは、重さがあるのだろうか。
命というのは、同じではないのだろうか。
命というのは、何を背負っているのだろうか。

死ぬときに、悲しむ人がたくさんいればいるほど
その生き物は、価値があるのだろうか。
生きた価値があったのだろうか。
生きる価値とはあるのだろうか。
生きる価値とはなんだろうか。


人間は時にいろいろ背負いすぎる。
もし名前もなければ、学校もなければ、
友達もなければ、仕事もなければ、
家族もなければ、会社もなければ、
名声もなければ、名誉もなければ、
ただそこに素っ裸で生きているならば、
人間もやはり、鳩のように気楽にえさをついばみ
野に咲く花のように可憐に咲いているのだろうか。

何も背負わなかったら、悲しみはないのだろうか。
何も背負わなかったら、孤独はないのだろうか。

背負った分だけ、悲しみは増える。
喜びも増える。責任も増える。

有名歌手はたくさんの人を背負っていた。
沢山のひとが、その歌手の死のなかに、
その歌手を愛した昔の、愛している今の
自分の死を発見する。彼はたくさんの人の
心の中で生き続けるけど、やっぱり一度死ぬんだ。
もうその歌手が歌を更新することはない。
もうその歌手は永遠に昔の人になる。
やっぱり死んでしまったんだ。

鳩はなにも背負っていなかった。
いや、鳩は鳩で家族がいたのかもしれない。
けれども、お葬式もしないし、歌も歌わない。
ただ、紙っぺらみたいに薄くなって、
そこに圧縮されてしまったんだ。
やっぱり死んでしまったんだ。


背負っていたものが、
死を重くする。
背負っていたものが、
死を悲しくする。


背負っているものが何もなかったら、
私がもし、親も持たずに、過去ももたずに、
突然この世界に落ちてきて、
誰にも知られず、誰とも関係せず
たったひとりで、鳩みたいにそこに生きていたら、
それはどういう感じなんだろう。

うれしいんだろうか。
きらくなんだろうか。
かなしいんだろうか。
さみしいんだろうか。


あの人が悲しむから、
あの人が困るから、
あの人が嬉しがるから、
あの人が喜ぶから。

だから、生きているんではないか。
だから、間違わないでいようとするのではないか。
だから、強くなりたいと思うのではないか。
だから、優しくなりたいと思うのではないか。
「あの人」たちに支えられている、
死ねない力、死なない力に、
生かされているんではないか。

それとも、みんな
鳩のように、野の花のように、
まっすぐにただそこで生きているんだろうか。
まっすぐにただそこで死んでいくんだろうか。

人間は、鳩のように野の花のように
美しくて強くて大きいものなんだろうか。
人間は、鳩よりも野の花のように
もろくて弱くて小さいものなんだろうか。

鳩も野の花も、人間のように
喜んで悲しんで笑って泣いているのだろうか。



夕立のざあざあという音の中で、ベットに横になる。
もしこのまま自分がこの音の中に消えてしまったら
どうなるんだろうと、死んだ鳩を思い出して、目を閉じた。
私はまだそこで呼吸をしていた。
私はまだここで生きている。
私は明日もここで生き続ける。

誰もが、明日絶対に死なないとは言いきれない。
誰もが、明日死ぬかもしれないというぐらぐらした
土台の上で花を咲かせている。生きている。

不思議だけど、生きている。



今日の言葉*

「これが私の優しさです


窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに

あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?

それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなつていいですか
あなたのおかげで」

(谷川俊太郎)
by sachiolin | 2009-07-07 08:50 | 考〇