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わたしの心の風景メモ。 


by sachiolin
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分け入っても分け入っても。

偶然、実質三日ほどのフリーデイズができ、
ひさしぶりに朝から晩まで、練習練習練習。

世の中は小春日和で、お日様がぽかぽか
しているが、4月末にひとつオーディションを
受けるので、花ばかりのんびりと見ているわけにも
いかないのだった。


基礎練習もひさしぶりにみっちりやる。
カールフレッシュの三度、六度、オクターヴ、
フィンガードオクターヴ、十度。

くぅ。

手が、昔みたいに広がらない。
プチショック。

オーケストラの中だけで弾いていると、
重音ってものを弾かなくなるものだ。
普段運動もせずに仕事ばかりしていた
サラリーマンが、突然暇ができたから、
柔軟運動をしてみたら、ウントモスントモいわない感じ。
毎日少しずつまたのばしていこう。

手を思い切り広げて、じっと見る。
この手とずっと付き合ってきたのだなぁ。
私は自分の手が、割と好きだ。
小さいけど、がんばってる。
手の中の感覚、指先の感覚。
訓練してきた、ともにしてきた、大切な手。



ひさしぶりに、自分に果てしなく厳しくなってみる。
音程も、本当に納得するまで、ひとつひとつ
確かめていく。音程って深い。弦楽器って深い。


一本の「分かる」という枝が伸びると、
そこから十本の「分からない」という小枝が伸びる。
そうやって、どんどん枝が広がっていくことが、
ものを知っていくことだし、成長していくことだ
という内容のことを、茂木健一郎さんが
言っていたのを思い出す。

本当にそんな感じだ。


ひとつのことを、追求していくと、
いかに自分が分かっていなかったかが、分かる。
分からないことが、また目の前に沢山広がる。
それは、まるで暗い森を歩いていくようだ。

一歩進めばさらに道は暗くなって、
十の小道が広がっている。

恐かったら、進まなければいい。
引き返したかったら、引き返せばいい。
後ろには、太陽が燦燦と照って、小鳥が歌を
歌って、野原がのんびりと広がっている。
でも、この暗い森を進んでいけば、
その先には、もっと美しい場所がある。
そこへ行くには、ここを通り抜けなくてはならない。

一体いくつの森を通り抜けてきたのだろう。
いくつの森をこれから通り抜けるのだろう。

美しい場所の先には、またきっと森があるのだ。

考えたら、進めなくなる。
後ろをみたら、進めなくなる。
前を向いて、進むだけ。


「分け入っても分け入っても青い山」
という種田山頭火のことばが、
ふわりと頭に浮かんできた。
彼は、これをどういう気持ちで詠んだのだろう。

分け入っても分け入っても。


正剛先生の千夜千冊の一冊に、
「山頭火句集」があった。

幼き頃に母を自殺で亡くしている。
さらに、弟の自殺、離婚、関東大震災と、
荒れ狂う人生の渦のなか、あるきっかけで
禅寺に放り込まれ、住職と出会い、
人生が変わっていく。

騙し絵のような不思議な絵を描く
マグリットも確か、小さいときに母を
自殺で亡くしている。
私はそれを知ったとき、あの摩訶不思議な絵から
単なる目と空想の遊びではなく、
突然、そのぽかんと開いた心の穴が
透けて見えたような気がしたのを覚えている。


心の穴を埋めるためだけに、描いたわけでも、
詠んだわけでもないのだろうけど、
それは、暗闇の森に足を踏み入れていく
ことにも似ているのかもしれないと思った。

分け入っても分け入っても。
結局何も見つからないかもしれないけど。
今日も一歩、明日も一歩。



今日の言葉*
「炎天をいただいて乞ひ歩く
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
雨だれの音も年とつた
うしろすがたのしぐれてゆくか
いつまで旅することの爪をきる
ここにおちつき草萌ゆる
水音しんじつおちつきました
ぬいてもぬいても草の執着をぬく
何が何やらみんな咲いてゐる
松かぜ松かげ寝ころんで
遠山の雪も別れてしまつた人も
何か足らないものがある落葉する
月のあかるい水汲んでおく
春の海のどこからともなく漕いでくる
鎌倉はよい松の木の月が出た 」
by sachiolin | 2009-04-12 07:39